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2003年5月

2003/05/27

1.恐怖のボブ・ディラン

 2年ほど前に、ボブ・ディランのライヴを見に行ったことがあった。

 僕は特に熱心なディラン・ファンというわけではないけれど、でもボブ・ディランといえば、多くのアーティストに多大な影響を与えた、ロックの歴史におけるいわば「生ける伝説」みたいなものだから、その姿はいちどじかに見ておきたいと思っていたのだ。それにディラン氏ももうそろそろいい歳なので、いまのうちに見ておかないとそのうち死んじゃうんじゃないかという心配もあった(ちょっと不謹慎だけど)。
 チケット代が1枚9,500円というのにはさすがにひるんだけれど、ボブ・ディランなんだからまあ仕方がないやと思って電話予約でチケットを購入。友達の分とあわせて2枚。ディランを見る機会なんて、きっとこれが最初で最後だろう。

 会場のパシフィコ横浜に着いて驚いたのは、僕らの席の位置だった。なんと最前列なのである。しかも真ん中。最前列の、ど真ん中。これより前はない。
 チケットには「1階9列」とあったから、てっきり9列目だとばかり思っていたのだが、パシフィコは前方の席をステージでつぶすので、たいがい9列目が最前列になるというのを僕は知らなかったのだ。ディランが使うであろうマイク・スタンドがすぐ目の前に見える。僕はしばらく呆然としてしまう。すごい、あのボブ・ディランをこんな近くで見られるなんて。でもいいんだろうか、こんな若造の自分が? 
 気になったのでまわりをぐるっと見渡してみたけど、観客のほとんどは40代以上で、20代くらいの若い人は数えるほどしかいない。僕はうれしい反面、ちょっと申し訳ないような気分になる。

 客電が落ちてバンドが登場すると、大きな拍手が起こる。「伝説」がギターを抱えて僕の前に立つ。近い。近すぎる。あるいはその存在感のせいか、ディランがすごく大きく見える。彼の顔は思っていたよりも若く、精悍で、その目には鋭く、いくぶん冷たい光が宿っている。どう見ても老け込んでいるというふうではない。僕はいくばくかの感動と同時に、一種の驚きを感じることになった。もう半分立ち枯れたジジイなのではと思っていたけれど、彼はまだ現役ばりばりのミュージシャンなのだ。すげぇな、これは。
 しかしひとつ戸惑ってしまったことがあった。観客がみな座っているのだ。開演と同時に立ち上がる人はひとりもいない。そういえばステージと客席を仕切る黒い柵もない。誰かが感激のあまりステージに上がりこんでディランに抱きついちゃったとしても、誰にも止められなさそうである。いや、間違いなく止められないだろう。そして「あれ、こんなんでいいんだろうか?」と戸惑う僕をよそに、そのままの状態でバンドの演奏が始まった。しごく淡々と、なんの演出もなしに。

 仕方がないから僕もおとなしく座って見ていたのだが、これがどうにも落ち着かなくて困った。ライヴといえば「開演と同時に総立ち」というのがあたりまえになっていたせいもあるし、それに(これがいちばんの問題なのだが)僕の真正面にいるディラン氏が、じーーーっと僕のことを見ているように感じられたからだ。まるで、何かを責めているかのような目つきで。

 僕としてもできることなら立って見たかった。これは五木ひろしのコンサートじゃなくて、いちおうロック・コンサートなのだ。最前列の客が座っていたりしたらバンドだって気分が乗らないだろうし、腹だって立つかもしれない。
 でも、まわりには立って見ている人はひとりもいないし、それにこの位置で立ったりしたら、すかさずうしろの方から「見えねえぞ!」という声が飛んできそうで怖かった。僕は迂闊に立つこともできない。しかし目の前の「ロックの巨人」は正面を見据たまま、相変わらず硬く冷たい眼差しで僕の方を見ている。すごく濃密に、かつ無表情に。やはり何かを責めているように見える。

 そんなわけで僕は、2時間のあいだずっとコンサートに神経を集中することができなかった。最前列の椅子の中で、体がもぞもぞと落ち着かなかった。ディランが僕を見ているというのはたぶん気のせいだとは思うんだけど、でも「やっぱり座っているのがまずいんだろうか?」とかなんとか、いろいろ気になってしまうのだ。すごくいい席だったんだけど、でも逃げ場がないぶん却ってきつかった。こう言い方をするのもなんだけど、でもあれはちょっとした拷問だったと思う。なにしろ僕は、最後の曲があの「風に吹かれて」であることにすら気づかなかったくらいなのだ。やはり相当緊張していたのだろう。

 ボブ・ディランという人がいつもああなのだということを知ったのは、それからしばらく経ってからのことだった。後日たまたまディランのライヴ映像を見る機会があったのだけれど、そこに映っていたディラン氏の表情は、僕がこないだ見たときのそれとまったく同じだったから。
 ステージ上の彼は常に無表情で、開演から終演まで(それこそゴルゴ13的に)ただのいちども笑顔を見せることはなく、それは最後にバンドが横一列になって観客にあいさつをする時も変わらなかった。なーんだ、もともとこういう人だったのか。自分のせいじゃなかったんだ。ああよかった。

 いいものを見れたと思う。ボブ・ディランをあんな至近距離から拝めるなんてすごい幸運だし、年配のロック・ファンに聞かせたら、きっとよだれを垂らして羨ましがるに違いない。よほどの金持ちにでもならない限り、あんな機会はもう二度とないだろう。
 でも、もしもういちど機会があったら、こんどはもう少しうしろの方から気楽に見たいなと思う。もちろんそれがとても贅沢な希望であるというのはわかってるんだけど、でもあの日はもう本当にくたくたになったんだから。

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