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2003/08/22

11.学びとるもの、忘れてはならないもの

 身近な人がひとり死ぬたびに、自分の人生が少しずつ重くなっていくのを感じる。自分の人生なんてちっぽけなものかもしれないけれど、でも自分ひとりだけのものではない、もっと重いものになっていくように思える。人が死ぬたびにそこから何かひとつでも学んでいけないのであれば、死者に対して顔向けができない。それが死者に対する礼儀というか、残された者の務めではないかと思う。

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 おばあちゃんへ

 このミニカー、覚えていますか?
 とはいっても、もう20年以上も前のものだから、覚えていないかもしれませんね。これはたしか僕が4才だか5才のときに、おばちゃんに買ってもらったものです。もう23,4年も前のものだから、まあちょっとした年代ものですね。

 このミニカーは、たしか2週間ぐらい前に、ふとしたきっかけで見つけ出して、何気なく部屋に飾っておいたものです。特にどんな理由があってとかいうわけではなかったのだけれど、まあ、ただなんとなく。
 でもこのミニカーを部屋に飾るようになってから、こんど――にお見舞いに行くことがあったら、これを持って行こうと考えるようになりました。その頃にはもう意識もだいぶ混濁していて、いろいろなことがわからなくなっていたみたいだけれど、でもこれを持っていって、「覚えてる? 小さいときにおばあちゃんに買ってもらったものだよ。いまでも持ってるんだ」って言えば、きっと何かを思い出したり、喜んだりしてくれるのではないかと思っていたのです。

 おとといの夕方、おばあちゃんが救急車で――の診療所に運ばれたと聞いたときも、迷わずこれを持って行こうと決めました。明らかに病状はよくない。もう二度と意識は戻らないかもしれない。でも、これを持っていって話しかければ、少しは笑ったり手を握ったり、何か反応してくれるんじゃないかと思っていたのです。そうしてほしかったのです。
でも結局、その思いは果たせなかった。僕がこの家に着いたときには、おばあちゃんはその場所で二度と目覚めることなく眠っていたし、それから2日が経った今日のいまでは、こうして骨壷に入ってそこに納まっているというわけです。もう顔を見ることもできない。

 僕が最後のお見舞いに行ったのは、まだ温泉病院に入院していた2月の末のことでした。それから4ヶ月以上もの間、僕はいちども会いに来なかった。もちろん来ようとは思っていました。来ようと思えばいつだっていつだって来れたはずなのに、でもそうすることをしなかった。
 もちろん、あまりに急なことだったから、死に目に会えなかったのはある程度仕方ないにしても、できたはずのことをやらなかったことについては、いまでもすごく後悔しているし、そうしなかった自分に対してひどく腹を立てています。そして何よりも、おばあちゃんに対して本当に申し訳なく思っています。ほんとうに、ごめんなさい。

 実は今日、朝からポケットの中にこのミニカーを忍ばせていました。礼服の中にミニカーだなんてずいぶん変な取り合わせだけど、もし機会があったら、こっそり棺の中に入れて一緒に焼いてもらおうと思っていたのです。
 でも結局のところ、これを棺の中に入れることはしませんでした。棺の中で一緒に焼いてしまうと、なんだかとても大切なものまで一緒に灰になってしまうような気がしたからです。僕の中から、何か消えてはならないはずのものまでが失われてしまうように思えたのです。

 そういうわけで、このミニカーは僕が死ぬときまで持っていることにしました。もう古くて傷だらけで、値打ちにしたら300円もしないかもしれないけれど、でも僕にとっては、本当にかけがえのない大切な思い出の品なのです。少なくとも、今日からはそうなりました。
 この古いミニカーを手に取るたびに、僕はこれからもいろいろなことを思い出すでしょう。この上もなく楽しかった日々のことも、取り返しのつかないミスを犯したときの悔しさも、いろいろまとめて。

 いままで本当にありがとう。正直、それ以外の言葉が見つかりません。もし気が向いたら、夢の中にでも顔を出してください。そうすれば、去年の旅行で見せられなかった四万十川ぐらいは見せてあげられるかもしれないから。
じゃあまた、そのうちね。

 平成15年7月6日  孫代表 ――――

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 きのう祖母の四十九日をやってきた。こないだやった法要ではなく、本当の当たり日の方だ。いままでこのミニカーはずっと祭壇に預けてあったのだけど、これを区切りに自宅へ持って帰ってきた。いまはこれを書いているパソコンのすぐ横に置いてある。
 これからずっと、僕はこの古しいミニカーを持っているつもりだ。祖母への弔いの記憶として、自分への戒めのしるしとして。

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