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2003年9月

2003/09/28

16.自転車に乗って

 自転車のふたり乗りというものに憧れる。

 とはいっても、これはただ1台の自転車にふたりで乗っていればいいというものではなくて、よく高校生ぐらいのカップルがやっている種類のふたり乗りのことです。自転車をこいでいるのは男の子で、そのうしろに乗っているガールフレンドの女の子が、彼の肩に両手をかけて乗っているあれのことであります。もちろん女の子は座っていても構わないわけだけど、でもできたら立って乗っているほうが望ましい。それから乗っている自転車も、MTBやロードレーサーなどではなくて、やはりごく普通のママチャリが望ましい。「なぜだ?なぜそうなんだ?」と聞かれてもちょっと答えに窮してしまうのだけど、でもあれを見ると僕はいつも、ほのぼのレイクのCMに出てくるちょっと気弱そうな旦那さんみたいに、「いいなあ」とか思いながら、ぼおおおっと彼らの姿を見送ることになる。いいなあ、あれ。

 もちろん彼らからすれば、ママチャリよりもクルマ(自動車)のほうがいいんだと思う。ちょうど高校生ぐらいのカップルであれば、そろそろ18になるから、いずれは免許を取ってふたりでドライブに行きたいなんてことも考えたりするだろうし、それにママチャリに較べたらクルマのほうが断然かっこいい。クルマだったらいまよりずっと遠くまで行けるし、ちょっと海までドライブに行って、あわよくばそのあと……なんてことだって考えているかもしれない。ママチャリでは行ける範囲だって限られているし、彼らからしたら、免許を持っていて自由にクルマに乗れる僕ら大人たちのほうがずっと羨ましいに違いない。
 でも憧れるんだなあ、なぜか。いまからあれをやってみたい……とまでは思わないけれど、でも一度くらいはやっておきたかったなあというような気は、まあしなくもない。しなくもない。

 言うまでもなく、僕はいままでこういう自転車のふたり乗りというものをしたことがない。なぜこんなことになってしまったのかといえば、これは僕が通っていた高校は中学からずっと男子校で、しかもクルマの免許を取ったのは18のときだったからである。片道1時間半の電車通学のうえに共学ではなかったので、環境的にそういう浮いた話というのはなかなか起きにくかったし、免許を取ったのは大学に入ってすぐの頃だったから、僕にはそういうふたり乗りをするチャンスというか、その必要がなかったのだ。家にクルマがあるのにわざわざ自転車でデートするやつがいったいどこにいるというのだろう? 
 まあ考えてみれば、中・高一貫の男子校なんぞに通ったのがいけなかったんだよな。しかも片道1時間半の都内の学校である。自転車でどうこうなんて話は出るはずがなかった。そんなところに6年間。そういう学校を選んでしまったのはある部分においては結構な失敗だったよな、といまでは思う。まあいまに限らず、通ってる当時だってそういうことは思わなくはなかったんだけれど。
 ではなぜ僕は中・高一貫の男子校なんぞに進んでしまったのか? それはその選択をしたのがまだ小学6年生のときだったからだ。せめてどちらか片方、3年間ぐらいは男女共学の学校にしとけばよかったなあというのは、だいぶあとになってからわかったことなんだけれど、12才の頃の僕の頭にはそんなことは思い浮かびもしなかった。まったく、そんなことは考えもしなかったさ。

 僕は地元の中学に行くのではなしに、わざわざ中学受験をして私立の学校に進んだわけだが、僕が中学受験なるものを承諾したのは、中・高一貫のところに行けば高校受験なんていうものをしなくて済む&当分勉強をしなくて済むという、ただそれだけの理由からだった。あとは大学推薦。それ以外のことなんて考えもしなかった。勉強しなくて済むのはともかく、そこが男子校であるというのがあとから見ればちょっとした災厄だったわけだが、しかしまだ12才の子どもにそんな先のことまでを見据えた判断なんてできるはずなんてなかった。これが15のときだったらもう少し賢明(?)な判断ができたと思うんだけれど、そうでもなかったのかな。
 まあそれはともかく、これから中学受験をしようと考えている小学生のみなさんに僕からアドバイスできることがあるとしたら、それは「中・高一貫の男子校には行くな」ということです。いいですか、「中・高一貫の男子校には行くな(せめてどっちか片方だけは共学にしろ)」です。これは僕が中学・高校の6年間を通じて身をもって学んだ貴重な教訓であります。はい。女子校のことはよく知らないけど、学校というところに関して言うべきことは、それ以外にはほとんどないように僕には思える。

 さてさて、そんなことを書いていてふと思い出したのだけど、自転車のふたり乗り以外では、お誕生パーティーというものにも憧れる。憧れるというか、憧れた。
 これは小学校の時によくあった、近所やクラスのお友達を呼んで、お母さんがケーキやらお菓子やらを用意して、みんなで「ハッピーバースデー! おめでと~!」ってやるあれのことであります。みんなが見守る中を明かりを消してろうそくを吹き消したり、ときにはクラッカーなんかでパンパンやるやつ。これは誰でもいちどは呼ばれた経験があると思う。もちろん僕も呼ばれた経験がある。何度もある。でも呼んだ方の経験はない。なぜかというと、僕は8月生まれなので、その間は夏休みで友達を呼べなかったからだ。僕も夏休み中に誰かの誕生パーティーに呼ばれた記憶というのはない。そういえばないなあ。
 だいたい小学生の頃の僕はといえば、夏休み中は最初から最後まで(7月25日から8月30日まで)いなかの祖父母の家に居ずっぱりだったから、クラスの友達を呼んでパーティーなんてことはできるはずがなかった。僕の誕生日を祝ってくれるのはクラスや近所の友達ではなくて、家族や祖父母・おばさんなどの親戚一同だった。
 もちろんべつにそれが嫌だったわけではない。でも僕にはそういう「お友達を呼んで」式の誕生パーティーというものを一度もやったことがなかったから、小学生のあいだ、僕の心にはその手のお誕生会への憧憬が捨てがたく居座りつづけていたのだ。「一度でいいからああいうお誕生会をやってほしい/みんなから作りきれないほどのプラモデルをもらってみたい」と子ども心に願っていた。誕生日だというだけでそんなにたくさんのプラモデルをもらえる友達がうらやましくてしょうがなかった。まあ結局のところ、そんな希望を親に向かって言うことはできなかったし、そういう機会には一度も恵まれずにここまで来てしまったわけなんだけれども。

 いまさらそんなことをやってもらいたいとは思わない。そんなことをされたら、ただ単にこっ恥ずかしいだけだ。喜ぶどころか逆に憤慨するかもしれない。でも世間の8月生まれの人には、こういう希望を叶えられないままここまで来てしまった人って、わりに多いんじゃないだろうか。そーゆー果たされなかった思いをいまだ密かに心に抱えつづけているのは、決して僕だけに限らないのではないだろうか。8月生まれのみなさん、その辺いったいどうなんでしょう?? ええと、僕はその辺、結構マジで興味があるのですが。

 これはこないだも書いたことだけれど、しかるべき時期にしかるべきことをやっておくというのは結構大切なことなんだと思う。それがどんなにくだらなくてしょーもないことであっても、それを果たさないままに歳を重ねてしまうと、何かを積み残したままどこか釈然としない気持ちで日々の生活を送ることになる。何かをやり残したまま、そして自分がいったい何をやり残しているのかすらよく認識できないままに生きることになる。すっきりとその先へ進むことができづらくなる。そういうのってもちろん、精神衛生上よろしくない。以前に較べて歳を重ねたせいか、最近の僕はそういうことをよく考えるようになった。ほんと、しかるべき季節にしかるべきことをやっておくというのは大切なんだよね。まあいまさらそんなことを言ってもしょうもない部分はあるにはあるんだけれど、しかしそれでもなおかつ。

 ……とまあそんなようなわけで、僕は街でふたり乗りの自転車を見かけるたびに「いいなあ」と心の中でため息をつき、ちょっと前にあった「初めてのデートは、駐車場の広いレストランに行った」とかいう三菱自動車のコマーシャルを見るたびに、「いいなあ」と心の中で呟いていたのでした。でも幸か不幸か、僕は車庫入れでミスるようなことは……もうないんだよね。はあ。

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2003/09/21

15.プロジェクトX

 「プロジェクトX」という番組、好きですか? 僕はあまり好きではありません。なぜかと聞かれてもちょっと答えに詰まってしまうのですが、でも何となく「いやだな」という思いを抱いてしまうのです。
 いや、これはこの番組そのものに対してということではなくて、むしろこの番組をとりまく空気みたいなものが好きになれないのです。なんかうまく言えないんだけど。

 以前は好きでした。僕はたまたま第1回の放送を見たのですが(富士山レーダーの回ね)、これは実に見応えがありました。営利のためでもなく、自分たちの名誉のためでもなく、ただ台風の被害から多くの人の命を救いたいという純粋な情熱あるいは使命感からあの困難なプロジェクトを立案して達成した過程は、見ていて大きな感動を覚えるものがありました。「よく知らなかったけど、日本にはすごい人たちがいたんだな」と思わせるものがありました。その後の放送も、見るたびにそういうことを感じさせられました。そこまではよかったです。そこまでは。でもね。

 この番組が中島みゆきの主題歌とともに大ヒットして(特に中高年のあいだで人気が高まって)再放送が頻繁に流されたり、ビデオや書籍などの関連商品が嵐のように売れ出すころになると、何かが変わってきました。少なくとも僕にはそう思えました。あの熱気はなんかヘンでした。はっきり言って、ちょっと気持ち悪かったです。
 これは僕の思いすごしに過ぎないのかもしれないけれど、でも彼らの抱く興奮や熱気、そしてこの番組を取り巻く空気というのは、そのプロジェクトの素晴らしさについてというよりはむしろ、「日本はすごかったんだ、俺たちはすごかったんだ」という過去へのノスタルジーに支配されていったように感じられました。感動の思いが過去へ過去へと流れているように思えてならなかった。そしてそれと同時に、僕の中には何か言葉にならない苛立ちのような感覚がありました。何がと言われてもうまく言えないのだけど、でも何かが気に障るのです。非常に感覚的な表現で申し訳ないのですが。

 感覚的なことばかり言っていてもしょうがないので、ちょっとした具体例をひとつ。
 前に仲間うちで話をしていてこの番組の話になったときに、ある女性が「あの番組は好きじゃない。だって女が全然出てこないじゃない」というようなことを言いました。
 この意見には僕もはっとしました。僕はそれを聞くまでそのことに全然気づかなかったんだけれど(やっぱ自分が男だから?)、そういえばこの番組に出てくるのはほとんど男ばかりで、女性というのはあくまで男性をサポートしたり、家にいて家庭を守る役割としか出てこないような気がします。
 もちろん昔のことだから、ある程度そういう傾向は出るのはやむを得ないでしょう。良いも悪いも、なにしろそういう時代だったのだから。でも「それでもなあ」と思ったこともまた事実です。あるいはこの番組の内外では、そういった社会の在り方みたいなものがレイドバック的にそこはかとなく期待されているのかもしれません。どうなんだろうね?(どうなんでしょう?) これは一考に値するかもしれません。

 ところで、少し話が飛ぶようですが、「プロジェクトX」を見て喜んでいる人たちというのは、僕の目には戦艦大和を愛してやまない人たちにダブって見えます。大和の愛好家というか、マニアな人たちに。
 僕はミリタリー関係のことは全然詳しくないのですが、戦艦大和というのは、軍艦としては大変な技術力でもって造られた船なんだそうです。戦後、大和について調査したアメリカ軍が、「船自体はともかく、この主砲の砲塔については、我が国の技術をもってしても同じものは造れない」といったような報告を出したというような話もどこかで読みました。
 まあ航空戦力主流の時代においては、でかいだけで燃料食いすぎの、いささか時代遅れな代物ではあったかもしれませんが、でもともかく、いろんな意味で文字どおりの「超弩級」戦艦であったことはたしかなようです。また、それだからこそ一部の大和愛好家にすれば、「大和はすごかった。そんな大和を造った日本もすごかったんだ」ということになるようです。
 でも、考えてみてほしいのは、じゃあなぜその「すごい大和」を造った日本があの戦争に負けてしまったのか?ということです。なぜそんな「すごい」国があんな無益な戦争をしたのか? なぜあんな軍国主義に走ってしまったのか? なぜ誰もそれを止められなかったのか? そもそも大和は1回でも活躍したのか?
 戦艦大和のすごさについてはだいたいわかりました。でも大和がすごかったからといって、それを造った国も「すごかった」というのはやはりどこかずれていますよね? 戦艦大和の存在が大日本帝国の優秀さを示すものになるとはとても言えないはずです。それは結果を見れば一目瞭然だし、大和の素晴らしさを称えるよりも先に考えるべきことはあるはずです。少なくとも僕はそう思う。

 で、「プロジェクトX」の話に戻ります。あるいはその熱心なファンの話。
 「日本はすごかった」。ここまではいいです。敗戦後の焼け野原から立ち直って急激な高度成長を果たし、世界有数の経済大国になった。こういう番組で取り上げられる素晴らしいプロジェクトをいくつもいくつも成功させた。日本も日本人もすごかった。たしかにそうかもしれない。
 でも、僕を含む多くの人が疑問に思うのは――これは「大和」のときと同じように――なぜその「すごい日本」がダメになっちゃったのか?ということです。なぜその「すごい日本」が、いまのような先の見えない閉塞状況に陥ってしまったのか。なぜいつまでたってもそこから抜け出すことができずにいるのか。なぜその「すごい日本」をつくりあげてきた人たちが窓際に追いやられているのか。リストラされて職を失っているのか。自信を失っているのか。居場所を失っているのか。果たして彼らファンの人たちはこの問いに答えることができるのでしょうか。悪いけど、僕には甚だ疑問です。

 誤解のないよう言い添えておきますが、僕はこの番組のことを責めるつもりはありません。この番組がそういう一部のノスタルジックな風潮の助長を意図したうえで作られているというつもりもありません(まさかね)。でも、そうなる危険性みたいなものについてはある程度自覚的であってもいいんじゃないかなというのが、一視聴者としてのささやかな私見ではあります。送り手側にはそういう意識はなくとも、受け手側がそれとは違う解釈をする可能性までは否定できないのではないか。また人気番組というプレッシャーの中、「視聴者の期待」に応えようとして、知らぬ間に番組の雰囲気が当初の意図とは違った方向に誘導されてしまう可能性もないとは言い切れないのではないか。たとえ結果的にではあっても、影響力のあるテレビ局がそういった現実逃避的な風潮を助長しているのだとしたら、それはやはり問題視されるべきなのではないか。

 さてさて、最近は多少下火にはなったようだけど、「プロジェクトX」はいまもまだ根強い人気があるようです。放送開始からこれほど長いあいだ番組が続いているということは、それだけいまもこの番組を見ている人が多いということなのでしょうし、また、中島美幸の歌う主題歌が150週ものあいだ連続でチャートインしている事実をもっても、この番組の人気の高さは容易に想像できます。「プロジェクトX」は、すでにちょっとした長寿番組の仲間入りを果たしているのかもしれません。少なくともNHKの看板番組になっていることだけはたしかでしょう。

 でも、「もういい加減にしてもらえないかな」というのが僕の率直な感想です。
 これはきっと多くの人が抱く疑問だと思うけど、あれほどのすぐれたプロジェクトやエピソードがそんなに無尽蔵に存在するのでしょうか。取材したものをすべて番組として使えるわけでもないだろうし、企画段階でボツになったものだってかなりあるはずです。最近ではほとんど見ていないからよくわからないけど、いかに天下のNHKが力を入れているとはいえ、あれだけのレベルのものを毎週維持するというのはかなり困難なことであるように僕には思えます。そして実際、最近では放送の半分ぐらいが以前やったもののアンコール。といえば聞こえはいいが実質は穴埋め再放送。そこまでして番組を続ける(番組が続く)理由はいったい何なのか。
 実際、たまにこの番組にチャンネルが合うと、いつかどこかで見たようなことの繰り返しです。プロジェクトに関わるのは陽の当たらない部署にいる技術者たちで、皆会社人間で、長い苦労の末に何がしかの達成を成し遂げる。だいたいはそういうことの繰り返し。あとはおなじみのエンドロールと<ヘッドライト・テールライト>。決して退屈とまでは言わないけど、でも昔に較べたら番組の質がいくぶん落ちているように思えます。以前に較べると何かが欠けているような気がするし、「なんだ、まだやってるのかよ」とつい思ってしまう。

 僕は彼ら「挑戦者」たちが成し遂げたことを非難するつもりはさらさらありません。ひとつひとつの仕事はどれもすばらしいと思う。でも、過去の偉業やノスタルジーの話はもういいのではないでしょうか。その手の話は124回(03年9月20日現在)もやればもう充分でしょう。

 もういい加減現実に目をつぶるのはなしにして、なぜこうなってしまったのかを真剣に考えてほしいと思う。この番組のファンの人たちに、この国を作ってきた人たちに、考えてほしい。この国の閉塞状況はいったいいつになったら解消されるのか。この国はいったいどこで道を踏み誤ってしまったのか。何がまずかったのか。その責任はいったい誰にあるのか。この国が抱える莫大な額の借金――しかもこのうえまだ増やそうとしてる――はいったいどうするのか。
 こういう言い方はあまりしたくないけれど、彼らの世代に残された時間はそれほど多くはないはずです。それともそういう「あとかたづけ」的な仕事は、そのあとの世代が負うべき負債なのでしょうか。借金取りに取り立てを迫られるのは、僕らの仕事なのでしょうか。

 まあ僕の率直な感想を言わせてもらえば、「戦艦大和」といっしょに海中深く沈むようなことは、できたらしたくないんですけれどね。いや、これはほんと、マジメな話。

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2003/09/14

14.太る…

 25を過ぎたら太るようになった。歳を取るというのは恐ろしいものだな、といまさらながら思う。僕のことを直接知っている人にはまず信じてもらえないと思うけど、むかしはこんなんじゃなかった。もっと痩せてた。いや、ほんとです。ほんとです。ほんとです。

 いま僕は身長が166cmなのだけど、体重はたぶん63キロから64のあいだぐらいだと思う。ここで、「たぶん63キロから64のあいだぐらい」という曖昧なことばを使わざるを得ないのは、日々サッカーのトレーニングがきつくて体重の変動が激しいから……といった理由ではもちろんなくて(そんなもんやってないって)、あのクソいまいましい体重計なるものに全然乗っていないからである。そういや全然乗ってないな。
 ここ何ヶ月かのあいだ、「そういえばうちの体重計はどこに行ったのだろう??」とずっと疑問に思っていたのだけれど、こないだ物置部屋を捜索していたら、偶然ほこりだらけになった体重計の死骸を発見することになった。ただでさえ場所を取るうえに誰にも使用されることがないので、僕の知らないあいだに誰かの手で幽閉されてしまったのかもしれない。あるいは歯医者の待合室に漂うあの独特の匂いみたいに家族のみんなから不当に憎まれているので、いじけた猫のように自ら姿をくらましてしまったのかもしれない。すまない、悪いことをした……とは全然思っていないけれど。はは、ごめんよ。

 いまは体重が63から64のあたりと書いたけど、いまから10年ぐらい前(つまり大学に入った18,9の頃)はだいたい51から52キロというところだった。その間身長は変わっていない。体重だけが変わっている。約々25%の増量。身長が166で体重が50キロちょっとだったから、当然身体はガリガリに痩せていて、あばら骨は束になって見えていた。
 その頃はとにかく量を食べるということができなくて、「体重が増える」という人がうらやましかったのを憶えている。決してマッチョになりたかったわけではなかったのだが、でもあばらの浮き出た自分の身体がいやでいやで仕方がなかったのだ。あれはどう見たって見映えのするもんじゃないから。
 そんなわけで、当時の目標は体重を55キロに乗せることだったのだけど、その目標はなかなか達成されることはなかった。54まではなんとか行っても、そのひとつ先の壁が高かった。全然太らない。その頃はそういう体質だったのかもしれないし、食べ物よりも先にCDにお金が消えるという生活を送っていたから、あるいはそのせいだったのかもしれない。

 大学在学中はそんな状態がずっと続いていたのだが、ある時信じられない変化が起こる。ある日何気なく体重計に乗ってみたら、針が62キロを指したのである。ごく控えめに表現して、僕はものすごくものすごく驚いた。なにせその前計った時は53か4ぐらいだったのだ。きっと何かの間違いに違いないと思って何度か乗り直したり、体重計を別の場所に置いて試したりもしたのだが、何度やっても結果は同じだった。62キロ。62キロ。62キロ。全然変わらない。
でも、そうなっても、「げげ!大変だ!!」というふうには思わなかった。むしろちょっと嬉しかったくらいだ。自分では全然気がつかなかったけれど、いつの間にかあのあばらの浮き出た貧相な身体とおさらばできたわけだし、なんだか自分がちょっと違う人間になれたような気持ちだってした。
 このとき急に体重が増えた理由は、おそらくその頃していた肉体労働的なバイトの賜物だったのだろうと思う。というか、それしか思い当たるフシがないから、それ以外には考えられない。もっともバイトとはいっても、これは祖父のところの手伝いで、1ヶ月ほど重い荷物を運んだり畑をつくったりということを繰り返していたら、いつの間にかそうなってしまったのである。僕にはその自覚は全然なかった。そういえばあの頃は肉体労働の疲れで、毎日暇さえあればくたくたと泥のように鉛のように眠っていたから、肉体的な負荷という点ではかなりのものがあったのかもしれない。

 一気に体重が増えたことで、最初は僕もちょっと喜んでいたのだが、しばらくしてから困った事態が勃発した。増えた体重が減らないのである。しかも食べれば食べただけ太ってしまう。
 以前は「やせるのは簡単だけど、太るのはむずかしい」だったのに、体重が60のラインを超えた途端に、「太るのは簡単だけど、やせるのはすごくむずかしい」へと転化してしまった。60キロを境にして、いろんなものが前とはすっかり逆になってしまったわけだ。いやはや、ものごとの変化というのはまったく恐ろしいもので。
 そしてそれ以降体重はほとんど減っていない。体重が64までいったときには生まれてはじめてダイエットを志したりもしたのだが、思っただけで実行には全然至らなかった。そのうち元に戻るかな?ということも考えたのだけど、そういうことも全然なかった。ちなみにいままでの最高は66キロ。身長と同じ。このときはさすがにやばいと思った。体重が身長を超えたらそれはまずいですぜ。

 高校の時から仲のよかった友だちと顔を合わせる機会がたまにあるのだけど、彼は僕と会うたびに「お前は太った、それにしても太った」と言ってくれる。しかも開口一番にそれだ。<おまえほかに言うことはないのか>と毎回のように思うのだけど、でも一方では、それもまた仕方がないのだろうなとも思う。なにせ彼の中にある僕のイメージはといえば、まさしくあばらが浮き出てガリガリに痩せていた頃のイメージにとどまっているのだから。会うたんびに太った太った言いたくなる気持ちは、まあわからないでもない。わからないでもない。
 一方最近の友だちの場合は、「いや、昔は痩せてたんだよー」って言っても誰も信じてくれない。全然信じてくれない。ある人に「まえは50キロちょっとしかなかったんですよー」って言ったら、彼はしばし絶句したあと、ぽつりと呟いた。「信じられない……」。
 彼もショックみたいだったけど、でも僕はもっとショックだった。だって、いくらなんでもそんなリアクションすることないじゃないですか。いやまあ、その気持ちは……わからなくはないけど……。でもね。

 と、そんなことを書いていたら、急にふと「いま体重どれくらいなんだろう?」と思いたって、さっき久々に体重計に乗ってみた。ここのところ何人かの人から「やせたね」って言われてたから、ちょっと乗ってもいいかな~という気になったのだ。
 そしたらやったね! 61キロですよ。予想より2キロも少ない。やっぱりやせてたんだ。うわ、なーんかすっげぇ得した気分。特にダイエットやワークアウトをしてたわけでもないのに、2キロも減だなんて。やっぱいるんだよ神様、誰だよ「ことしは阪神の優勝で運を使い果たした」なんて言ったやつ。

 ……などとうかれていると、じきにリバウンドが来てしまうのが減量の怖いところであります。はい。それにもうじき秋だもんね。そういや去年も無残にはね返ったもんね。ちっ。やはり良いことは1年にひとつのようである。

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2003/09/07

13.東京ヴェルディ

 こないだ「アンチ巨人」についての話を書いたけれど、僕が阪神ファンであるせいか、東京ヴェルディというクラブのことも好きになれない。というか、はっきりいってキライである。Jリーグ創設の頃にひとりだけ企業名をつけて「読売ヴェルディ」とかいってたのも気に入らないし、地元をおろそかにしたばかりか、自分らを巨人と同一視して「俺たちは全国区だから」といった驕りが見えたのもかなりいけ好かなかった。
 ヴェルディはいまではかつての栄光をすっかり失って毎年のように低迷を続けているわけだけれど、ヴェルディのクラブとしての本質的な姿勢みたいなものは以前とあまり変わっていないようにみえるし、どうも読売嫌いが身体に染みついてしまっているせいか、このチームを少しでも応援してあげようという気には全然なれずにいる。というかむしろ、「早く2部に落ちればいいのに」とずっと思いつづけている。ヴェルディが2部に落ちたらJ2も活性化して結構面白いことになるんじゃないかという気がするんだけどな。そうでもないのかな。

 ともかくそんなふうだから、おととしの7月にヴェルディ対名古屋グランパスの試合を見に行ったときには、ひそかに期待していたというか、楽しみにしていたことがあった。試合前の選手紹介のときに、ヴェルディとヴェルディ・サポーターを思いっきりブーイングしてやろうと思っていたのだ。ちょうどその頃のヴェルディはリーグの最下位を独走していて、2部降格の最有力候補だったし、ヴェルディを応援してるやつらなんてみんなアホみたいな連中に違いないから、思いっきりブーイングしてやるにはいい機会だと思っていたのだ。その日わざわざヴェルディのホームゲームを見に行ったのは、「ピクシー」ことストイコビッチの現役最後の試合だったからであって、ヴェルディが見たくて行ったわけではない。全然ない。

 でも結果からいうと、僕はこの日、ヴェルディのサポーターに対してブーイングをすることができなかった。なにしろ数が少ないのだ、ヴェルディ・サポーターの数。この日の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)の観衆は4万3千人、スタンドはストイコビッチの最後のプレーを見ようという人たちでほぼ満員に膨れあがっていたのだが、にもかかわらずゴール裏の緑の集団はほんのちょっとしか見えなかった。たぶん100人から200人、せいぜい見積もっても300人というところではなかったか。とてもじゃないけどかつてリーグ2連覇を達成したクラブとは思えないし、正直J2のクラブかと思った。いや、J2のクラブだってもう少し多いかもしれない。ヴェルディはこの年に本拠地を川崎から東京に移してきたのだが、東京の人というのは、その多くが以前からあるFC東京を応援するので、地元であってもヴェルディを応援する人は少ないのだ。ヴェルディのことなんかみんなして知らんぷりしている。
 しかもその日はグランパスのサポーターが大挙して押し寄せたため(もちろん彼らもストイコビッチの最後の勇姿を見届けるためにここまで来たわけだ)、東京での試合だというのに、どう見てもグランパスのホームゲームにしか見えなかった。ゴール裏スタンドの片側はすでに真っ赤に染まっていたし、サポーターの数だけでいったら、たぶん30対1ぐらいの割合ではなかっただろうか。あるいはもっと。

 それまで僕はヴェルディのサポーターを思いっきりブーイングしてやるつもりで気合満々だったのだけれど、彼らの姿を見ていたらすっかり気持ちが萎えてしまった。それはもちろん、あまりの数の少なさを見てだんだん気の毒になってきたというのもあったけれど、それよりももっと大きかったのは、彼らが本物のサポーターであるということに気がついたからだ。
 彼らは数こそ少ないものの、本当にヴェルディのことが好きで好きで、チームがずっと負けつづけているにもかかわらず(あるいはチームが負け続けているこんなときだからこそ)、こうしてスタジアムまで足を運んで熱心に応援を続けているのだ。決して「いまはこのチームが強いから」と付和雷同的に応援するチームを変えたりするようなやつらなどではない。彼らは本物のサポーターなのだ。そういう人たちに向かってブーイングだなんて、いったい誰にできるだろう?

 それから4ヵ月後の11月に、また東京スタジアムに行く機会があった。このとき見たのはヴェルディ対FC東京の「東京ダービー」。2001年2ndステージの最終節である。
 「ダービー」というのは、基本的には同じ街を本拠地とするクラブどうしの対戦のことで、双方のクラブおよびサポーターは、お互いに対して強いライバル心(あるいは敵愾心)を抱いていることが多いから、ダービーマッチというのはいつもよりずっと盛り上がることが多いのだ。そしていまのところ、この手のダービーマッチが見られるのはこの東京だけである。
 もちろん僕が応援していたのはFC東京の方。ブーイングこそしないが、それでもヴェルディなんて間違っても応援する気にはなれないし、しかもこの日は01年のリーグ最終戦で、ヴェルディはJ2降格の瀬戸際に立たされていた。この日負ければヴェルディはJ2降格が濃厚。たとえ勝っても、残留を争う横浜と福岡の結果次第では2部への降格が決まるという試合だった。ダービーマッチが見られるうえに、「名門」ヴェルディの惨めな姿が見られる(しかも引導を渡す相手はよりによって同じ街のクラブだ)なんて最高じゃないかと僕は思った。まさに記念碑的な1日。こんないいものを見逃すなんて、そんなのもったいなさすぎる。

 さて、試合が始まってからの僕はといえば、ピッチの上ではなく、ほとんどFCサポーターの方を見て過ごしていた。試合そのものよりもサポーターを見ている方がずっと面白かったからだ。
 まず試合開始からしばらくすると、突然全員で声をそろえて「福岡先制!福岡先制!」と叫んで相手を動揺させ(もちろん福岡が先制したというのは真っ赤なウソ。でも他会場の試合経過は携帯で調べられるから、一瞬マジかと思った)、相手キーパーがボールを蹴ろうとするとそのたびに茶々を入れて相手をおちょくっていた。しかしそれは海外によくあるようなプレー妨害のための悪辣な嫌がらせではなくて、半ばふざけているというか、楽しんでいるような感じのヤジ行為だった。しかもどこでどう示しあわせているのか、大勢のサポーターが一斉に同じことを言うのだ。こういうのを見ていると、傍観者の僕であってもなんだか妙ににんまりさせられてしまう。
 FCサポーターの特徴はただ単におもしろいというだけではなかった。味方の選手が緩慢なプレーをすれば、サポーター席からは容赦なく厳しいヤジやブーイングが飛んでくる。東京のサポーターというと横浜なんかと同じで、割とおとなしいイメージを抱いてしまうのだが、実際はそんなことはない。横浜みたいに声が黄色くないし、かなりえげつないヤジを飛ばしたりもする。でもそのえげつなさというのは、徹底的に相手を邪魔するようなヒステリックな態度のそれではなくて、どこか遊び心のある、余裕のあるえげつなさだ。決して人の胸クソを悪くするようなものではない。そこは首都に住む人間のセンスというか、洗練さみたいなものが表れているのかもしれない。

 ところで結局、サポーター席のおもしろさとは対照的に、試合は退屈な展開のままに推移し、ヴェルディが前半に奪った先取点を守りきって地味~に終了のホイッスルを迎えた。スコアは1-0。地味というよりか、内容だけ見ればべつに見なくてもいいような試合だ。
 しかも最悪なことには、残留を争う福岡が負けたことで、ヴェルディのJ1残留が決まるというおまけまでついてしまった。まったくなんてこった、せっかくヴェルディの2部落ちが見れると思って楽しみにしてきたのに。うつろな目でピッチの方を見やると、ヴェルディのイレブンと監督がピッチの上に飛び出して抱き合って喜んでいる。僕は客席でガッカリしている。まあ横浜がJ1に残ったのはせめてもの救いだったけれど、でも僕としてはやはり落胆しないわけにはいかなかった。まったくいったい何のためにここまで来たんだか……。

 当然FC東京のサポーターも、この結果にはすごくガッカリしているものだと思っていた。ダービーマッチで負けた上に、降格寸前だった「川崎」ヴェルディが目の前で1部残留を決めてしまったのだから、ライバルチームのファンからすれば面白かろうはずがない。たぶん巨人に負けたときの阪神ファンの心境みたいなものだろう。
 しかし僕のそういった予想(あるいは期待)は間違っていた。試合が終わってしばらくすると、FC側のサポーター席からは拍手が起こり、スタンドの最前列からは「サヨナラべるで~、なんて言うと思った?」とか、「来年もまたダービーやろうぜ~」といった垂れ幕が次々に下ろされたのだ。
 僕は一瞬わが目を疑ったが、しばらくしてからようやく状況が呑み込めてきた。つまり、彼らが試合中にさんざんに「川崎帰れ!」などと罵っていたのは、半ばただのパフォーマンスみたいなもので、彼らはヴェルディの降格なんか望んじゃいなかったのだ。いや、少しは望んでいたかもしれないけれど、少なくとも僕とは違って、1部残留を果たした相手に向かって拍手を送るぐらいの寛容さはあったわけだ。まったくなんてこった。

 それは美しい光景だった。J1残留を祝福された緑のサポーターからは、じきにFC東京コールが起こる。それは少ない人数を感じさせないほどの大きなエールだ。ヴェルディの選手たちが赤と青のサポーター席に向かって手を振っているのが見える。そしてそのあとには、FCサポーターのスタンドから祝福と返礼のヴェルディ・コールが起きる。彼らの多くは声を合わせて叫んでいる。「東京ヴェルディ!」と。

 東京スタジアムから調布の駅へと歩く道すがら、僕はちょっとばかり落ち込んでいた。そしてその時の感覚は、いまでも僕の中に苦い記憶として残っている。それは、「ほんとに自分は心が狭かったよな、もう少し寛容になれなかったのかな」といった後悔と恥ずかしさの念だ。もっと素直にヴェルディの残留を祝福してあげてもよかったのにな、と。
……とは言いつつも、あれから2年近くが経ったいまでも、僕は相変わらずヴェルディの2部落ちを望んでいたりする。「早く落ちろー、早く落ちろー」って、毎年のように思っている。totoをやるときには意地でもヴェルディの勝ちには印をつけない。それが習慣なのだ。すみません、つくづく進歩のない奴で。でもいちど染みついてしまった気持ちというのはそう簡単には消えてくれないものなのです。野球でいったって、そんなに簡単に巨人のことが好きになれるわけじゃないものね。まあそういうことでお許しください。多少の努力は……しているつもりなのですが。とほほ。
 しかしそれにしても、あの日はなかなかいいものを見れたよな、うん。

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