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2003/09/28

16.自転車に乗って

 自転車のふたり乗りというものに憧れる。

 とはいっても、これはただ1台の自転車にふたりで乗っていればいいというものではなくて、よく高校生ぐらいのカップルがやっている種類のふたり乗りのことです。自転車をこいでいるのは男の子で、そのうしろに乗っているガールフレンドの女の子が、彼の肩に両手をかけて乗っているあれのことであります。もちろん女の子は座っていても構わないわけだけど、でもできたら立って乗っているほうが望ましい。それから乗っている自転車も、MTBやロードレーサーなどではなくて、やはりごく普通のママチャリが望ましい。「なぜだ?なぜそうなんだ?」と聞かれてもちょっと答えに窮してしまうのだけど、でもあれを見ると僕はいつも、ほのぼのレイクのCMに出てくるちょっと気弱そうな旦那さんみたいに、「いいなあ」とか思いながら、ぼおおおっと彼らの姿を見送ることになる。いいなあ、あれ。

 もちろん彼らからすれば、ママチャリよりもクルマ(自動車)のほうがいいんだと思う。ちょうど高校生ぐらいのカップルであれば、そろそろ18になるから、いずれは免許を取ってふたりでドライブに行きたいなんてことも考えたりするだろうし、それにママチャリに較べたらクルマのほうが断然かっこいい。クルマだったらいまよりずっと遠くまで行けるし、ちょっと海までドライブに行って、あわよくばそのあと……なんてことだって考えているかもしれない。ママチャリでは行ける範囲だって限られているし、彼らからしたら、免許を持っていて自由にクルマに乗れる僕ら大人たちのほうがずっと羨ましいに違いない。
 でも憧れるんだなあ、なぜか。いまからあれをやってみたい……とまでは思わないけれど、でも一度くらいはやっておきたかったなあというような気は、まあしなくもない。しなくもない。

 言うまでもなく、僕はいままでこういう自転車のふたり乗りというものをしたことがない。なぜこんなことになってしまったのかといえば、これは僕が通っていた高校は中学からずっと男子校で、しかもクルマの免許を取ったのは18のときだったからである。片道1時間半の電車通学のうえに共学ではなかったので、環境的にそういう浮いた話というのはなかなか起きにくかったし、免許を取ったのは大学に入ってすぐの頃だったから、僕にはそういうふたり乗りをするチャンスというか、その必要がなかったのだ。家にクルマがあるのにわざわざ自転車でデートするやつがいったいどこにいるというのだろう? 
 まあ考えてみれば、中・高一貫の男子校なんぞに通ったのがいけなかったんだよな。しかも片道1時間半の都内の学校である。自転車でどうこうなんて話は出るはずがなかった。そんなところに6年間。そういう学校を選んでしまったのはある部分においては結構な失敗だったよな、といまでは思う。まあいまに限らず、通ってる当時だってそういうことは思わなくはなかったんだけれど。
 ではなぜ僕は中・高一貫の男子校なんぞに進んでしまったのか? それはその選択をしたのがまだ小学6年生のときだったからだ。せめてどちらか片方、3年間ぐらいは男女共学の学校にしとけばよかったなあというのは、だいぶあとになってからわかったことなんだけれど、12才の頃の僕の頭にはそんなことは思い浮かびもしなかった。まったく、そんなことは考えもしなかったさ。

 僕は地元の中学に行くのではなしに、わざわざ中学受験をして私立の学校に進んだわけだが、僕が中学受験なるものを承諾したのは、中・高一貫のところに行けば高校受験なんていうものをしなくて済む&当分勉強をしなくて済むという、ただそれだけの理由からだった。あとは大学推薦。それ以外のことなんて考えもしなかった。勉強しなくて済むのはともかく、そこが男子校であるというのがあとから見ればちょっとした災厄だったわけだが、しかしまだ12才の子どもにそんな先のことまでを見据えた判断なんてできるはずなんてなかった。これが15のときだったらもう少し賢明(?)な判断ができたと思うんだけれど、そうでもなかったのかな。
 まあそれはともかく、これから中学受験をしようと考えている小学生のみなさんに僕からアドバイスできることがあるとしたら、それは「中・高一貫の男子校には行くな」ということです。いいですか、「中・高一貫の男子校には行くな(せめてどっちか片方だけは共学にしろ)」です。これは僕が中学・高校の6年間を通じて身をもって学んだ貴重な教訓であります。はい。女子校のことはよく知らないけど、学校というところに関して言うべきことは、それ以外にはほとんどないように僕には思える。

 さてさて、そんなことを書いていてふと思い出したのだけど、自転車のふたり乗り以外では、お誕生パーティーというものにも憧れる。憧れるというか、憧れた。
 これは小学校の時によくあった、近所やクラスのお友達を呼んで、お母さんがケーキやらお菓子やらを用意して、みんなで「ハッピーバースデー! おめでと~!」ってやるあれのことであります。みんなが見守る中を明かりを消してろうそくを吹き消したり、ときにはクラッカーなんかでパンパンやるやつ。これは誰でもいちどは呼ばれた経験があると思う。もちろん僕も呼ばれた経験がある。何度もある。でも呼んだ方の経験はない。なぜかというと、僕は8月生まれなので、その間は夏休みで友達を呼べなかったからだ。僕も夏休み中に誰かの誕生パーティーに呼ばれた記憶というのはない。そういえばないなあ。
 だいたい小学生の頃の僕はといえば、夏休み中は最初から最後まで(7月25日から8月30日まで)いなかの祖父母の家に居ずっぱりだったから、クラスの友達を呼んでパーティーなんてことはできるはずがなかった。僕の誕生日を祝ってくれるのはクラスや近所の友達ではなくて、家族や祖父母・おばさんなどの親戚一同だった。
 もちろんべつにそれが嫌だったわけではない。でも僕にはそういう「お友達を呼んで」式の誕生パーティーというものを一度もやったことがなかったから、小学生のあいだ、僕の心にはその手のお誕生会への憧憬が捨てがたく居座りつづけていたのだ。「一度でいいからああいうお誕生会をやってほしい/みんなから作りきれないほどのプラモデルをもらってみたい」と子ども心に願っていた。誕生日だというだけでそんなにたくさんのプラモデルをもらえる友達がうらやましくてしょうがなかった。まあ結局のところ、そんな希望を親に向かって言うことはできなかったし、そういう機会には一度も恵まれずにここまで来てしまったわけなんだけれども。

 いまさらそんなことをやってもらいたいとは思わない。そんなことをされたら、ただ単にこっ恥ずかしいだけだ。喜ぶどころか逆に憤慨するかもしれない。でも世間の8月生まれの人には、こういう希望を叶えられないままここまで来てしまった人って、わりに多いんじゃないだろうか。そーゆー果たされなかった思いをいまだ密かに心に抱えつづけているのは、決して僕だけに限らないのではないだろうか。8月生まれのみなさん、その辺いったいどうなんでしょう?? ええと、僕はその辺、結構マジで興味があるのですが。

 これはこないだも書いたことだけれど、しかるべき時期にしかるべきことをやっておくというのは結構大切なことなんだと思う。それがどんなにくだらなくてしょーもないことであっても、それを果たさないままに歳を重ねてしまうと、何かを積み残したままどこか釈然としない気持ちで日々の生活を送ることになる。何かをやり残したまま、そして自分がいったい何をやり残しているのかすらよく認識できないままに生きることになる。すっきりとその先へ進むことができづらくなる。そういうのってもちろん、精神衛生上よろしくない。以前に較べて歳を重ねたせいか、最近の僕はそういうことをよく考えるようになった。ほんと、しかるべき季節にしかるべきことをやっておくというのは大切なんだよね。まあいまさらそんなことを言ってもしょうもない部分はあるにはあるんだけれど、しかしそれでもなおかつ。

 ……とまあそんなようなわけで、僕は街でふたり乗りの自転車を見かけるたびに「いいなあ」と心の中でため息をつき、ちょっと前にあった「初めてのデートは、駐車場の広いレストランに行った」とかいう三菱自動車のコマーシャルを見るたびに、「いいなあ」と心の中で呟いていたのでした。でも幸か不幸か、僕は車庫入れでミスるようなことは……もうないんだよね。はあ。

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