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2003年10月

2003/10/30

番外編2:サボっていたあいだの日記7泊8日

■10月20日(月)
1年半ぶりの大阪。夜にクルマで近所をあちこち走ってもらう。
環状線を走っている途中、万博公園のそばで太陽の塔が見えた。
おお、まさに「20世紀少年」的世界。
ともだち!ともだち!ともだち!ともだち!

■10月21日(火)
野球が中止になったので、
難波やら心斎橋の辺りをひとりでさんざんぶらつく。
大阪球場の跡地に立派なショッピングモールができていてびっくり。

しっかし大阪の市営地下鉄は運賃高すぎ。
梅田から心斎橋の距離で200円ってどういうことよ?
営団だって初乗り160円だよ。まったく市営のくせに……
っていうか、市営(民営じゃない)だからいけないのかな。
そういや横浜の市営地下鉄も高いものね。

それはそうと、阪急電車のレトロな外観は◎。

■10月22日(水)
その日見た夢①:
第3戦途中。
先発はムーアで、10対5でダイエーがリード。なんて不吉な。

その日見た夢②:
片瀬那奈とキスしそうになった。
彼女の方から「キスしてもいいよ」だって。
でもあとちょっとってとこで目が覚めた。ああ、もう。

本日の第1試合:
関西学院大対関西大リーグ戦(準硬式)。
従兄弟が出ているのだが、彼の活躍でみごと逆転勝利。

本日の第2試合:
夢とは違って、2対1で逆転サヨナラ。
勝ったのはいいが、しっかし疲れた。
10回矢野の敬遠は作戦としては正しいんだけど、
悲しいかな、ああいうのってだいたい裏目に出るんだよね。
それにしても和田はよかった。さすがにいい投手。

■10月23日(木)
今日は幼なじみの子(というか)が夢に出てきた。
小学校のとき以来会っていないのだが、なぜか結構いい雰囲気。
なんだろう、環境が変わると見る夢も変わるんだろうか?
しかし金本の一発にはシビれた。

■10月24日(金)
帰りの飛行機で石原良純を発見。あまりじろじろ見てはいけない。
機内のニュースでは兄やんが映っている。弟のほうが濃ゆい。

■10月25日(土)
アメリカも日本も、今日は野球がなくて平和な1日。
でもJリーグがあるので結局テレビの前。だめぢゃん。

■10月26日(日)
朝起きたらワールドシリーズが終わっていた。
がびーん、ががびーん!!
まったく本拠であっさり負けるなよなあ。
そうですか、ジョシュ・ベケットはそんなにすごいですか。
一度も見れなかったよちくしょう。
ことしはボストンとの7戦目がいちばんおもしろかったな。

さて、シリーズが7戦までもつれこむ。
弱った、リンキン・パークのライヴとかぶってしまった。
ここまで長引かないだろうと思ってこの日にしたのに。
しかたないのでヤフオクでチケットを売ることにする。
無事に売れたのでほっとひと安心。臨時収入1万。

マンUを粉砕した稲本のゴールはすばらしいの一言。
しかも場所はあのオールド・トラフォード。信じられん。

ミュージシャンのエリオット・スミスが自殺していたのを知って
ちょっとショック。大ヒットはしないけど、いい曲書いていたのに。

■10月27日(月)
通院日。ここのところ流れが澱んでいることをいろいろ話す。

家でひとりでテレビを見てもつまらないので、
渋谷の路上で最終戦を観戦。30人ほどの人だかり。
明治通りにも阪神ファンの姿がちらほら。
案の定和田を打ち崩せない。回が進んでも球威が落ちない。
ホークスおめでとう。広澤おつかれさま。

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2003/10/12

19.ホタルとバッタ

 おとといの11日に、7月に亡くなった祖母の百ヶ日法要があった。とはいっても、法要に参加したのは祖父と叔母ひとりだけで、今回は僕も母も参加しなかったのだが(百ヶ日はごくちんまりやるので、わざわざ来なくてもよいとのこと)、それでもひとつの区切りであることには変わりはないし、一応自分なりに祖母のことを思い出したり、去年の旅行で撮った写真の整理をしたりしながら百ヶ日の午後を過ごしてみた。

 さて、祖母が亡くなってから時間が経ったせいか、家族のみんなも祖母の死というものに対してだいぶ整理ができてきたように思える(実際ちゃんと聞いたわけじゃないからよくわからんけど)。いや、時間が経ったからというのももちろんあるんだけど、やはりこういう儀式というか節目をひとつずつ経ていくことで、各人の中でそれなりの整理がついてきたという部分も大きいのだと思う。
 かくいう自分も、通夜→葬儀→四十九日(前寄せ法要)→初盆→四十九日(当たり日)→百ヶ日という一連の儀式を経てきたことで、心の中でだいぶ整理がついてきたように感じる。あれからいままでのことをだいぶ客観的に、いい意味で距離をもって考えられるようになってきた。今回百ヶ日を済ませてそういうことを特に感じたので、祖母が亡くなってから起きた印象的なことを書いてみる。とはいっても、まあちょっとしたエピソードみたいなものなんだけど。

 祖母が亡くなった晩の、これから葬儀をどう進めるか段取りを決める話の中で、孫代表で弔辞を読んでほしいと祖父から言われた。そうはいっても、孫は僕を入れて3人しかいないので、代表っていってもたいしたものではまったくないのだが、とにかくそう言われた。もちろん僕としては断る理由なんてない。やるんなら自分がということは強く思っていたから、二つ返事で承諾した。いいよ、もちろんやりますとも。
 で、弔辞を引き受けたはいいのだけども、問題がひとつあった。時間がないのである。祖母が亡くなった晩、僕が母の実家に着いたのは深夜の1時頃だったし(その時間に段取りの話し合いをやっていた。弔辞の件を言い渡されたのもこのとき)、翌日の通夜の日は一日中ばたばたする。弔問客も大勢来る。よって、落ち着いて書ける時間は通夜のあと、告別式の前夜しかない。しかも告別式は朝7時半から始まるという忙しいスケジュールである(ふつうは午後1時くらいからだよね)。だから速攻で書かないと寝る時間がない。ぎゃあ、ただでさえ寝てないのに。しかしだからとといっておざなりのつまらないものを書いて読みたくもない。祖母にあげるものだからそれなりのものにはしたい。でもゆっくり書くだけの時間はない。さあ困った。
 ……とまあ、そんなようなわけで、お通夜の日中は大まかなイメージを練るだけにしておいて、書く方は練ったイメージを元にその晩一気にやることにした。だってそうでもしないと書きようがないもの。それに弔辞を書くなんてまったく初めての経験だし。

 ようやく落ち着いて書き始められたのは、夜中の12時か1時ぐらいからだ。明日に備えてみんなが早めに寝たあと、部屋にひとりになってドアを閉めて書き始めた。それでできたのが11回目に載せたあれなのだが、書いてるあいだ、どういうわけかもう泣けて泣けて仕方がなかった。おかげでぜんぜん筆が進まない。でも書こうとすると涙がどかどか溢れてくる。部屋にひとりでよかったとつくづく思った。実は誰かが起きてきてドアを開けたりしたらどうしようってずっと思ってたんだよね。ドアには鍵が付いていなかったし、そういうとこを見られるのってあんましかっこのいいもんじゃないから。で、書き終わったのは結局朝の4時頃。寝る時間はほとんどなし(泣)。翌朝のセッティングは全部サボってソファーの上でずっと寝ていた。もちろん朝飯だって抜き。そんなものより5分でいいから寝たかったのだ。苦労した甲斐あって、弔辞の方は無事に済んだけれど。

 その翌日、葬儀がひととおり終わってひと段落ついたあと、みんなしてお茶を飲んでいたら、おば二人がゆうべ家の外でホタルを見たという話になった。それはいつごろのことかと時間を聞くと、ちょうど僕がノートとペンと涙を相手に苦闘しているときだ。おばたちが言うには、ちょうど霧のかかった夜だったのでホタルの光がすごくきれいで、二人で「おばあちゃんはホタルになったんだね」とか言い合ってたらしい。むう、いいなぁ。うらやましかったのであとで外に出てしばらく辺りを探してみたのだが、その晩は霧も出ていなかったし、ホタルらしき光はどこにも見つからなかった。あとで聞いた話、ホタルというのは霧の出ている日に出ることが多いのだそうだ。なんだ、惜しいことをした。ちょっと見てみたかったのに。

 それから1ヵ月後の、初盆を済ませたあとの深夜、僕はTVをつけてF1のドイツグランプリを見ていた。妙な時間に目が覚めてしまって眠れなかったのだ。
 んで、ぼけっとTVの画面を眺めていると、バタバタッという激しい音とともに1匹のバッタが居間に入ってきた。なにせまわりは田んぼだらけで、家の中に虫が入ってくることなんて珍しくもなんともないので、「ああ、虫だな~」と思って放っておいたのだが、飛んできたのがバッタだというのは少しばかり気になった。虻とか蛾だとか、うんか(※体長6ミリ程度の、稲につく小さな虫)なんかが家の中に入ってくることは多いけれど、バッタが入ってくるというのはちょっと珍しいからだ。でもいちいち気にしていても仕方がないので、いつもと同じように放っておいた。どうせじきにいなくなるだろう。

 翌朝起きると、そのバッタが台所にいた。青草のようなきれいな色をしたまだ若いバッタだ。朝食の準備をしていた母やおばが、「ほら、こんなとこにいないで外に出な」と言って窓の外に出そうとするのだが、バッタはじっと網戸にとまったままで、一向に外に出ようとしない。外に出るどころか、じきに祖父の湯呑み茶碗の上に移って、湯呑みのふちをうろうろと歩き始めた。外に出るとかどこか違うとこに行こうといった雰囲気はまるでない。どうやら祖父の湯呑みが気に入ったみたいである。
 そこで、そのバッタはゆうべから家の中にいたんだよということを僕が言うと、「おばあちゃんはこんどはバッタになったんだねえ。おじいちゃんの湯呑みが好きなんだよ」と誰かが言った。ホタルの次はバッタである。ひどく忙しい。でも、それを聞いて「またバカなことを……」などと言う人はひとりもいなかった。ただみんな替わりばんこに台所をのぞき込んでは、飽くこともなく湯呑みに登ったバッタの姿を眺めていた。
 そのあともバッタは家の中から出ようとはせず、結局それから半日くらいそのあたりにとどまっていた。夕方見たときにはすでにいなくなっていたが、バッタがいなくなってしまったことがわかると、どことなく寂しい気持ちになった。

 もちろんみんな、本当に祖母がホタルやらバッタになったと思っているわけではない。そんなことを純真無垢に信じるのは、いいとこ幼稚園児くらいまでのものだろう。いい歳こいてそんなオカルトがかったことを信じているわけではないし、そんなことは言われなくともみなわかっている。通夜の晩にホタルが出ていたのもただの偶然だし、バッタの出どころはおそらく、祭壇の横に飾られていた花の中だ。外に出そうとしてもなかなか出て行かなかったのは、バッタがまだ羽化したばかりで飛びたつ準備ができていなかったからだし、湯飲み茶碗の上を歩いたのもただの偶然だろう。
 でも、そんなことがあってからは、みんな虫を見ても殺生をせずに外に逃がすようになったし、何かの拍子に家の中に虫が入り込んできては、「おばあはこんどは……」などと言うようになった。お互い口に出しこそしないけど、でもどこかでみんながあのときの思いを共有しているのが空気でわかった。言うまでもなく、それは悪くない感覚だった。

 きっと、こんなふうにして人は癒されていくんだろうな。あれがただの偶然に過ぎないことを理性では知っていても、それを支えにして悲しみを越えていくことができるし、また、そうすることで肉親の死を自らの内に取り込んでいくのだ。

 いま、母の部屋にある祖母の遺影の前には、まえに僕がチョコエッグか何かで当てたバッタのフィギュアが置いてある。なかなかリアルにできた、わりに精巧なやつである。それを当てたのは祖母が亡くなるだいぶ前、たしかいまから1年ぐらい前のことだったと思うけれど、気がついたときには何も言わずにそこに置いてあった。なんだか不思議な縁だなあとは思うけど、どうもバッタは、これからずっとそこにいることになりそうである。

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2003/10/05

18.あまのじゃく

 阪神がリーグ優勝を決めたあとに、何人かの友だちからおめでとうの電話やらメールをもらった。やはり18年も待たされたのだから、あいつも相当に喜んでいるだろうと考えたのだろう。なんだかんだでお礼を言い損ねてしまったので、この場を借りて御礼申し上げます。その節は、さんくすでした。

 でも、実際のところを言えば、阪神が優勝してものすごくものすごく喜んでいるかといえば、そうでもない。そうでもない。
 もちろん阪神が優勝したのはうれしい。今年にかぎって1回も阪神の試合を見に行けなかったけれど、できれば胴上げを生で見たいとは思っていたし、優勝決定の瞬間はテレビの前でしっかりと味わった。仙一さんの胴上げの数だけ万歳もした。だけど、街に繰り出して大騒ぎをしたり道頓堀にダイブしたり、あるいはセーヌ川に飛び込んだりトラファルガー広場を勇んで行進したりしたくなるほどに喜んだかといえば、答えはノーだ。特に六甲おろしを歌いまくったということもないし、道頓堀に飛び込んだりしたいとも思わない。それが多摩川であっても帷子川であっても、話は同じ。

 なんというか、へそ曲がりなのかな。あるいはあまのじゃく。
 ある友だちは阪神が優勝を決めたその晩に電話をくれたのだけど、僕がそれほど激しく喜んでいるわけではなかったので、どことなく拍子抜けしたようだったし(せっかく電話をくれたのに、悪いことをしてしまった)、また、ほかの誰かには、「キミはへそ曲がりだからねぇ」と言って笑われたりもした。まあたしかにそうかもしれない。むかしから大勢でつるんでバカ騒ぎをするのはあまり好きじゃないし、「みんなが右向きゃ自分は左」的な傾向もずいぶん前からあった。8月の長期ロードを終えて優勝が秒読みに入ると、メディアでもカメラに向かって「阪神絶対優勝ー!!」とか叫んでいるファンがたくさん取り上げられていたけれど、そういう「熱狂的虎ファン」を見るたびにどこか引いてしまう自分がいたし、テレビや新聞でわけのわからない便乗グッズが紹介されるたびに、「もういい加減にしなよ」と心の中で思っていた。まったくタイガースのロゴが入った虎模様の絨毯だなんて、そんな悪趣味なものいったい誰が買うっていうんだ?
 しかしマスコミが好んで映し出すのは、道頓堀に飛び込んだり、かに道楽の眼をむしったりするような興奮したファンばかりだったし(きっとテレビ的に見映えがするのだろう)、また、メディアがそういうファンや道頓堀の騒ぎを半ば煽るようにして取り上げたおかげで、「阪神ファンというのはみんなあんな感じなんだ」的イメージが作られてしまった部分はあったと思う。そして、そうやって演出されたイメージを基準にしたとき、僕みたいに肝心なときになって妙に醒めてしまうようなやつは「へそ曲がり」に見えてしまったのだろう。

 でもさあ、むかしからの阪神ファンにはこういう人って結構多いんじゃないかな。これは今年阪神が独走して優勝は織り込み済みだったからそれほど大きな感動がなかったというのもあるだろうし、個人個人の性格みたいなものもあると思う。同じ阪神ファンだからといって、みんながみんな黄色と黒の法被を着てメガホンを持って、六甲おろしを歌いまくって騒いでるってわけじゃないはずだ。周囲が優勝だ優勝だと騒げば騒ぐほど妙に醒めてしまったという人は意外に多いんじゃないか。道頓堀の騒ぎを横目に、静かに噛みしめるように優勝を喜ぶタイプの人だってたくさんいたと思う。だいたいあの乱痴気騒ぎが全大阪的に大々的にそこかしこで繰り広げられていたというわけでもないだろうに。

 ところでこれは、こないだ父から聞いた話。
 父はこの春から大阪に単身赴任してる。彼も子どもの頃からの阪神ファンなのだが、このまえ所用ついでに藤井寺球場に行って近鉄対阪神の2軍戦を見てきたらしい。藤井寺での2軍戦の入場料は全席自由の300円。わざわざ2軍の試合を見に来る人というのはやはりよほどの野球好きなのだろう、聞こえてくる話が明らかに「通」の会話でちょっとびびったってなことを父は言ってた。
 さて、試合が終わったあとふと気がつくと、客席の中でサインを求められている人がいるのが目に入った。グラウンドの中ではなく、客席である。いったい誰だろうと思ってよく見てみると、タレントの矢崎滋だった。矢崎滋といってわからなければ、NHKの「クイズ・日本人の質問」で左から3番目に座っていた博士役の人といった方が通りがいいだろうか。そう、メガネをかけていて額の広いあの人(うぅ、ごめん、こんな表現で)。そんな有名人がこんなところに来ているなんて、ちょっと意外だった。
 矢崎さんはひととおりサインを済ませると、バックネット越しに2軍監督の木戸と話をはじめた。きっと旧知の間柄なのだろう。そしてグラウンドにいる木戸が「甲子園には行かないんですか?」と尋ねると、彼はこう答えたらしい。

 「いまの甲子園は野球じゃなくて応援を見に行くようなものだから、優勝が決まるまでは甲子園には行かない。優勝が決まってから行くよ。いまの甲子園じゃ野球なんか見せてもらえないもの」

 もちろんこれは父からの伝聞だし、実際とは違う部分もあると思う。でもこの話を聞いたときに僕は、「この人すげぇんだな」ってすぐに思った。これを聞いてわかったのは、矢崎さんは筋金入りの阪神ファンであること、甲子園にも足繁く通っていること、野球をよく知っていること、そして何よりもこの人はほんとうに野球が好きなんだなってことだ。そうでなきゃこんなセリフは出てこないでしょ。

 阪神のリーグ優勝が決まったとき、矢崎博士は道頓堀に飛び込んだだろうか? 六甲おろしを歌いまくって仲間といっしょに飲めや歌えの大騒ぎをしただろうか? もちろん実際に聞いたわけじゃないからわからないけど、おそらく答えはノーだろう。では矢崎博士は阪神ファンとして「へそ曲がり」なのだろうか? もちろん僕はそうは思わない。全然思わない。むしろ次々と道頓堀に飛び込んでいた若く「熱心」なファンなんかより、ずっと深くて強い人なんだと僕は思う。そして阪神を愛している以上に野球を愛している。僕はそこまで徹底はできないけれど、でもこういうタイプの人って結構好きだ。こういう人って一見醒めていてへそ曲がりのように見えるかもしれないけど、でもそれは単に喜びの発露のしかたが違うだけで、素直だとかヒネクレてるとか、そういう種類の問題ではないと思う。ホント、そういう種類の問題じゃないと思うよ。

 さて、矢崎さんの話に関連したことだけど、「いまの甲子園じゃ野球なんか見せてもらえない」といった部分はたしかにある気がする。いや、それは何も今年の甲子園にかぎったことでは全然なくて、1軍の試合であれば神宮であれ横浜であれ東京ドームであれ、どこに行っても状況はそれほど変わらないと思う。ではその理由は何かといえば、外野席から鳴り響くあのくそやかましい応援のせいだ。特に鳴り物入りの、選手一人一人にテーマソングとかがついてるやつ。「かっとばせー、○○○。ホームランホームラン○○○」とかいうあれ。延々続くの。あれうざいんですけど、正直言って。
 だいたい僕はあの野球の応援団という人種がキライである。やかましい鳴り物を鳴らして応援を続け、大きな顔をして場所を陣取り、さも自分たちがいちばんチームを愛してるんだという顔をする(実際そう思ってるのかもしれないけど)。試合なんかそっちのけでまわりの客を盛り上げることに汲々とし、ひどいときには客席の方を向いて腕を振り振り応援の指揮をとっている。グラウンドに背を向けた彼らは当然、選手のプレーなんかてんで見ちゃいない。ああいうのを見ていると、この人たちはいったい何しに来てるんだろうって思ってしまう。それにあの鳴り物入りの応援って、ドームだとよく響くんだよね。これがまたうるさいんだほんと。
 まあ野球の楽しみ方なんて人それぞれなんだからそんなのはまだいいんだけど、でも中にまわりの人間に応援を強要するバカがいるのには心底あきれる。僕がじっと選手の動きを見ていると、「はいみなさんご一緒に~」とかいった調子で手拍子を強要し、僕がそれを無視していると、なんでいっしょに応援しないんだという目つきでこちらを睨んでくるような連中だ。球場には応援ではなく野球が見たくて来ている人だってたくさんいるというのに、まったくこの人たちにはそういうことがわからないのだろうか?

 日本で行われたカブス対メッツのメジャー開幕戦や、日米野球なんかを見に行っていちばん新鮮だったのは、野球の音がよく聞こえるってことだった。ボールがミットに収まる音、バットがボールを叩く音、審判のコール、その他もろもろ。いろんな音が聞こえる。なぜそんなに野球の音が聞こえるかといえば、余計な応援がなくて、みな選手のプレーに集中しているからだ。みんな野球を見ている。選手の集中を乱すようなものは何もない。意味不明な鳴り物もなし。ボールパークの主役はあくまで野球そのものである。これがメジャーのスタイル。

 個人として野球を見に来て、個人としてひいきのチームを応援する。いいプレーだと思えば拍手をするし、ダメだと思えばブーイングをする。それでいいじゃないですか。なんであんなふうに徒党を組んだり、まわりの人間まで自分たちの行動にあわせようとしたりするのか、僕には理解できない。ああいうのを始終見せつけられると、しまいには野球を見に行くのが嫌になってくる。矢崎博士がどう思って甲子園に行かないのか(わざわざ2軍の試合を見に行くのか)は正確にはわからないけれど、でも僕が思っているところとそれほど違いはないのではないだろうか。ああいう集団行動にうんざりしてるんじゃなかろうか。もっと野球が見たいと思ってるんじゃないだろうか。

 こんなことを書くとすかさず、「だからキミはへそ曲がりなんだよ」なーんて言われてしまうのかもしれない。まあそう言われてしまうと僕としても返す言葉がないのだけれど、でも、それでもね、と僕は思う。個人の自由を許さない全体主義の一部になるくらいなら、むしろ「へそ曲がり」でいる方が僕としては居心地がいいのですが。

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2003/10/02

17.ネクラ

 先週の定例会をもって、約々4年間続いた「ひきこもりについて考える会」が終了した。今後は「新ひきこもりについて考える会」という新しい会を立ち上げて(実質的には「引き継いで」といってもいいのだけど)、いままで同じような活動を続けていくことになる。でも引き継ぐといっても何といっても、ひとつの区切りを迎えたことには変わりはないわけで、そういう意味ではちょっとした感慨みたいなものもある。また、それよりなにより、いままでこの「ひきこもりについて考える会」を立ち上げてここまで続けてこられたふみこさんには、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいであります。こういう貴重な場を提供してくださったこと、この場を通じていろいろと考えを深めることができたこと、そしてここを通じていろいろと面白い人たちに出会えたこと、ほんとうに感謝しております。こんな面白い場っていうのは、全国探してもそんなにはないと思う。

 ……などということを書いたあとにこういうことを書くのは非常に気が引けるのだが、「考える会」に出たあとの夜・帰り道というのは、実はかなりウツになることが多い。これは以前からそうだったし、いまでもそうだったりする。実はこないだもそうだった。電車に乗って一人になって、ぽつんとシートに座った途端に、なんだか「はあ~~」っていう気分になってしまうのだ。どうしてかはわからない。どうしてかはわからないけど、でもそうなのだ。いやもっと正確に言えば、おそらく僕はその理由を薄々ながら気がついているのだけど、でも僕はそれを明瞭な言葉に置き換えることができない。手にとってその感触を確かめることのできるような言葉を見つけ出すことができない。名前がない。そういうのってちょっとばかしイライラすることだけれど、でもそういうのが長いこと続いてきたので自分としてはなんだか慣れてしまった。うん、まあそういうものなんだよみたいな感じである。これが果たしていいことかそうでないのかは、自分ではよくわからないのだけど。

 「考える会」に出たあとにはよく鬱になると書いたけど、もちろんこれは「考える会」という集まりの責任ではまったくない。主宰者であったふみこさんの責任でもまったくない。そこははっきりと強調しておこう。これはあくまで、僕個人が抱えている問題に端を発するものだ。問題は僕がそれをはっきりと意識化することができないっていうこと。あるいはそのことをはっきりと意識したくないので、その理由を言語化することから逃げ続けていることだ。だって、言葉にしてしまったらどうしたってそれと正面切って向き合わなければならなくなるから。これは大事なことなのでもう一度繰り返します、これは実に明快に僕自身の個人的な問題です。「考える会」という集まりにはまったく何の責任もありません。たまたまそれが起きている場が「考える会」だというだけのことです。

 まあそれはともかく、この会に出席するたびにこういう思いをするので、一時期は「考える会」に出ることについて真剣に見直そうと考えた時期があった。つまりは、この会に出るのをやめるということである。それはもう1年以上も前のことなので半分忘れてしまったけれど、でも当時はかなり真剣にそのことについて考えた記憶がある。たぶん自分なりにどこか行き詰まっていたのだろう。

 思えばそのときの状態って、心の調子を崩して少しずつ坂道を転げ落ちるようにひきこもりへと埋没していった時期のことに似ている気がする。当時大学生だった僕は、学校の授業よりも所属していたサークルが第一という生活を送っていたのだが(一種のスチューデント・アパシーですね)、ある時を境にそのサークルに顔を出しづらくなった。サークルこそが自分のいちばんの居場所という気持ちがあったのだが、そこに出席するたびに傷ついてサークルに出たことを後悔するという日々が続いた。そしてずるずると周囲の対人関係から撤退し、気がついたら自力ではどうすることもできないぬかるみの中にはまっていた。何とかしなきゃと焦れば焦るほど事態は確実に悪くなった。
 似ているのは「出たいけど出ると傷つく。でも自分にはほかに行くところがない」というところ。いまは1年前ほど思いつめてはいないけど、でもそれがまったくなくなったわけじゃない。事実こないだもそれがあったわけだし。

 結局のところあの頃と今って、たいして変わってないのかなって時々思う。見た目上はあのぬかるみからも脱して友達もできて、傍目から見たら何の問題もないように見えたとしても、実は閉じてねじれた環の上をぐるっと回って、また元いたところに戻ってきただけなんじゃないかという気がする。進歩なんか全然ないし、結局のところ自分はこの先どこにもたどり着かないんじゃないかってことを夜中にひとりでよく考える。これはたまたま弱気になったときだからそう思うのかもしれないし、事実冷徹に事態はそういう方向に進んでいるのかもしれない。僕にはその辺の判断がうまくつかない。これは僕が僕の問題についてあまりに当事者でありすぎるからかもしれないし、ただ単に事実を知りたくなくて目を逸らしているからなのかもしれない。まあできたら前者の方だと、僕としてはうれしいのですが。

 だいたい今日だって結局1日なんにもしなかった。きのうの夜中にヤンキース対ツインズの地区シリーズを見始めたあとは、朝寝て昼起きて夕方ちょこっと寝て、あとは見るともなくテレビ見てネットしてぐだっとしてただけだ。それ以外は昼間友達と電話して猫と遊んで……、それからえっと、あとはなんだっけ? ともかく、はっきりと有意義と言えそうなことなんて電話以外はなんにもしてない。外にも出ていない。まわりの人からは「忙しいの?」ってよく聞かれるんだけど(なんで?)、忙しくなんか全然ない。毎日さしたる成果もなくうだうだと無為に日々を送っているだけです。しょせんその程度です。まったくこれのいったいどこに進歩なんてものがあるのでしょう?

 ……などということをぐだぐだと書きつつ、眠剤飲んでこれから寝るのです。最近毎日天気はいいけど、晴れた空がなぜかいまはうらめしいです。明日のことで確実に言えそうなのは、またBSで朝までヤンキースを見ちゃうんだろうなあということだけです。ヤンキースが負けたあとのことまでは知りません。できたらワールドシリーズまで行ってほしいのですが、この分だとひょっとしたら来週まで持たないかもしれません。がんばれクレメンス。ああもう書くことがなくなりました。次は元気なときに書きます。クラくてごめん。今日は勘弁。それではおやすみなさい。

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