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2003/10/12

19.ホタルとバッタ

 おとといの11日に、7月に亡くなった祖母の百ヶ日法要があった。とはいっても、法要に参加したのは祖父と叔母ひとりだけで、今回は僕も母も参加しなかったのだが(百ヶ日はごくちんまりやるので、わざわざ来なくてもよいとのこと)、それでもひとつの区切りであることには変わりはないし、一応自分なりに祖母のことを思い出したり、去年の旅行で撮った写真の整理をしたりしながら百ヶ日の午後を過ごしてみた。

 さて、祖母が亡くなってから時間が経ったせいか、家族のみんなも祖母の死というものに対してだいぶ整理ができてきたように思える(実際ちゃんと聞いたわけじゃないからよくわからんけど)。いや、時間が経ったからというのももちろんあるんだけど、やはりこういう儀式というか節目をひとつずつ経ていくことで、各人の中でそれなりの整理がついてきたという部分も大きいのだと思う。
 かくいう自分も、通夜→葬儀→四十九日(前寄せ法要)→初盆→四十九日(当たり日)→百ヶ日という一連の儀式を経てきたことで、心の中でだいぶ整理がついてきたように感じる。あれからいままでのことをだいぶ客観的に、いい意味で距離をもって考えられるようになってきた。今回百ヶ日を済ませてそういうことを特に感じたので、祖母が亡くなってから起きた印象的なことを書いてみる。とはいっても、まあちょっとしたエピソードみたいなものなんだけど。

 祖母が亡くなった晩の、これから葬儀をどう進めるか段取りを決める話の中で、孫代表で弔辞を読んでほしいと祖父から言われた。そうはいっても、孫は僕を入れて3人しかいないので、代表っていってもたいしたものではまったくないのだが、とにかくそう言われた。もちろん僕としては断る理由なんてない。やるんなら自分がということは強く思っていたから、二つ返事で承諾した。いいよ、もちろんやりますとも。
 で、弔辞を引き受けたはいいのだけども、問題がひとつあった。時間がないのである。祖母が亡くなった晩、僕が母の実家に着いたのは深夜の1時頃だったし(その時間に段取りの話し合いをやっていた。弔辞の件を言い渡されたのもこのとき)、翌日の通夜の日は一日中ばたばたする。弔問客も大勢来る。よって、落ち着いて書ける時間は通夜のあと、告別式の前夜しかない。しかも告別式は朝7時半から始まるという忙しいスケジュールである(ふつうは午後1時くらいからだよね)。だから速攻で書かないと寝る時間がない。ぎゃあ、ただでさえ寝てないのに。しかしだからとといっておざなりのつまらないものを書いて読みたくもない。祖母にあげるものだからそれなりのものにはしたい。でもゆっくり書くだけの時間はない。さあ困った。
 ……とまあ、そんなようなわけで、お通夜の日中は大まかなイメージを練るだけにしておいて、書く方は練ったイメージを元にその晩一気にやることにした。だってそうでもしないと書きようがないもの。それに弔辞を書くなんてまったく初めての経験だし。

 ようやく落ち着いて書き始められたのは、夜中の12時か1時ぐらいからだ。明日に備えてみんなが早めに寝たあと、部屋にひとりになってドアを閉めて書き始めた。それでできたのが11回目に載せたあれなのだが、書いてるあいだ、どういうわけかもう泣けて泣けて仕方がなかった。おかげでぜんぜん筆が進まない。でも書こうとすると涙がどかどか溢れてくる。部屋にひとりでよかったとつくづく思った。実は誰かが起きてきてドアを開けたりしたらどうしようってずっと思ってたんだよね。ドアには鍵が付いていなかったし、そういうとこを見られるのってあんましかっこのいいもんじゃないから。で、書き終わったのは結局朝の4時頃。寝る時間はほとんどなし(泣)。翌朝のセッティングは全部サボってソファーの上でずっと寝ていた。もちろん朝飯だって抜き。そんなものより5分でいいから寝たかったのだ。苦労した甲斐あって、弔辞の方は無事に済んだけれど。

 その翌日、葬儀がひととおり終わってひと段落ついたあと、みんなしてお茶を飲んでいたら、おば二人がゆうべ家の外でホタルを見たという話になった。それはいつごろのことかと時間を聞くと、ちょうど僕がノートとペンと涙を相手に苦闘しているときだ。おばたちが言うには、ちょうど霧のかかった夜だったのでホタルの光がすごくきれいで、二人で「おばあちゃんはホタルになったんだね」とか言い合ってたらしい。むう、いいなぁ。うらやましかったのであとで外に出てしばらく辺りを探してみたのだが、その晩は霧も出ていなかったし、ホタルらしき光はどこにも見つからなかった。あとで聞いた話、ホタルというのは霧の出ている日に出ることが多いのだそうだ。なんだ、惜しいことをした。ちょっと見てみたかったのに。

 それから1ヵ月後の、初盆を済ませたあとの深夜、僕はTVをつけてF1のドイツグランプリを見ていた。妙な時間に目が覚めてしまって眠れなかったのだ。
 んで、ぼけっとTVの画面を眺めていると、バタバタッという激しい音とともに1匹のバッタが居間に入ってきた。なにせまわりは田んぼだらけで、家の中に虫が入ってくることなんて珍しくもなんともないので、「ああ、虫だな~」と思って放っておいたのだが、飛んできたのがバッタだというのは少しばかり気になった。虻とか蛾だとか、うんか(※体長6ミリ程度の、稲につく小さな虫)なんかが家の中に入ってくることは多いけれど、バッタが入ってくるというのはちょっと珍しいからだ。でもいちいち気にしていても仕方がないので、いつもと同じように放っておいた。どうせじきにいなくなるだろう。

 翌朝起きると、そのバッタが台所にいた。青草のようなきれいな色をしたまだ若いバッタだ。朝食の準備をしていた母やおばが、「ほら、こんなとこにいないで外に出な」と言って窓の外に出そうとするのだが、バッタはじっと網戸にとまったままで、一向に外に出ようとしない。外に出るどころか、じきに祖父の湯呑み茶碗の上に移って、湯呑みのふちをうろうろと歩き始めた。外に出るとかどこか違うとこに行こうといった雰囲気はまるでない。どうやら祖父の湯呑みが気に入ったみたいである。
 そこで、そのバッタはゆうべから家の中にいたんだよということを僕が言うと、「おばあちゃんはこんどはバッタになったんだねえ。おじいちゃんの湯呑みが好きなんだよ」と誰かが言った。ホタルの次はバッタである。ひどく忙しい。でも、それを聞いて「またバカなことを……」などと言う人はひとりもいなかった。ただみんな替わりばんこに台所をのぞき込んでは、飽くこともなく湯呑みに登ったバッタの姿を眺めていた。
 そのあともバッタは家の中から出ようとはせず、結局それから半日くらいそのあたりにとどまっていた。夕方見たときにはすでにいなくなっていたが、バッタがいなくなってしまったことがわかると、どことなく寂しい気持ちになった。

 もちろんみんな、本当に祖母がホタルやらバッタになったと思っているわけではない。そんなことを純真無垢に信じるのは、いいとこ幼稚園児くらいまでのものだろう。いい歳こいてそんなオカルトがかったことを信じているわけではないし、そんなことは言われなくともみなわかっている。通夜の晩にホタルが出ていたのもただの偶然だし、バッタの出どころはおそらく、祭壇の横に飾られていた花の中だ。外に出そうとしてもなかなか出て行かなかったのは、バッタがまだ羽化したばかりで飛びたつ準備ができていなかったからだし、湯飲み茶碗の上を歩いたのもただの偶然だろう。
 でも、そんなことがあってからは、みんな虫を見ても殺生をせずに外に逃がすようになったし、何かの拍子に家の中に虫が入り込んできては、「おばあはこんどは……」などと言うようになった。お互い口に出しこそしないけど、でもどこかでみんながあのときの思いを共有しているのが空気でわかった。言うまでもなく、それは悪くない感覚だった。

 きっと、こんなふうにして人は癒されていくんだろうな。あれがただの偶然に過ぎないことを理性では知っていても、それを支えにして悲しみを越えていくことができるし、また、そうすることで肉親の死を自らの内に取り込んでいくのだ。

 いま、母の部屋にある祖母の遺影の前には、まえに僕がチョコエッグか何かで当てたバッタのフィギュアが置いてある。なかなかリアルにできた、わりに精巧なやつである。それを当てたのは祖母が亡くなるだいぶ前、たしかいまから1年ぐらい前のことだったと思うけれど、気がついたときには何も言わずにそこに置いてあった。なんだか不思議な縁だなあとは思うけど、どうもバッタは、これからずっとそこにいることになりそうである。

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