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2003/11/09

20.浜崎あゆみライブレポ

 ……というタイトルを思いついて書いてはみたものの、書いてみてから自分はいったい何をやってるんだろうって思ってしまった。だって、浜崎あゆみのライブレポですよ。エミネムでもパティ・スミスでもパール・ジャムでもなくて浜崎あゆみ。メタリカでもストーンズでもレディオヘッドでもなくて浜崎あゆみ。うーん、なぜ? 自分で自分がわかりません。キャラじゃないよな、全然。
 とまあ、そんなことを言っていてもしかたがないし、それにこうやって書きはじめたということは、このネタで何か書いてみたいことがあるということの証左なので、とりあえず行けるとこまで書いてみます。なんで自分が……という思いはなくはないのだけれど、ええと、そういうこともなるべく考えないようにします。集中、集中。

 先月の13日――つまり体育の日に、代々木体育館まで出掛けて浜崎あゆみのコンサートを見てきた。さっき数えてみたら、僕はいままで合計で27回ぐらいライブというものに足を運んだことがあるのだけど、そのすべては洋楽の、つまり外タレのコンサートであります。高校生のときのガンズ・アンド・ローゼズにはじまって、直近は6月のパティ・スミスまで、全部外国のミュージシャン。そのあいだ日本人のアーティストを見に行ったことは実は一度もなかったりする。マジな話、ただの一度もない。
 なぜいままで日本人のアーティストを見たことがなかったのかといえば、それは僕が主に洋楽しか聴かない洋楽至上主義者だったからだ。いまはそれほどひどくはなくなったけれど、学生の頃は日本のアーティストなんて大半がゴミだと思っていたし、そういう偏見を抱いている期間はわりに長かった。そういった偏見がなくなってからは、機会があったら日本人のライブにも行こうと思っていたのだけれど、あまり見たいものがなかったり、あってもお金がなかったりということが続いた結果、そういうチャンスに恵まれずにここまで来てしまった。そんなわけで、今回の浜崎あゆみが僕にとってはJ-POP初体験である。

 どうしてはじめてのJ-POPにあゆを選んだのか? まあ簡単に言ってしまえば、チケ代が安かったからというのがいちばんの理由です。今回のコンサートは全席指定の定価6800円だったのだけど、僕が買った値段は2300円。なぜそんなに安かったかといえば、ヤフーのオークションで買ったから。ヤフオクでは原価割れの安い値段でチケットが出ていることがしばしばあるので、うまく使えば結構お得なのです。
 それから、今回はドームではなくてアリーナクラスの会場だったことも大きい。浜崎といえば毎回ドームツアーというのがほぼ定番になっているけど、今回は珍しくアリーナでのショウだったし、いつもより小さなハコで、しかもこの値段で見れるんだったら悪くないよなと僕は思った。特に激しく見たいとは思わないけれど、でもこの機会を逃すのもちともったいないよなという感じである。
 あともうひとつ肝心なのが、浜崎あゆみだったら見に行ってもまあいいかな、と思えたこと。これは大事だ。もしこれがglobeだったりTUBEだったりウルフルズだったりしたら誰に頼まれても行かないところだが、浜崎だったらまあOKである。僕は特に彼女のファンではないが、でも決して嫌いではないし、いくつかいい曲を歌っていることも知っている。そういえば以前にはべつのところで彼女の詞の一部を引用させてもらったことだってある。その曲のタイトルは<A Song For XX>。最初のアルバムに入っていた、浜崎としては最初期の楽曲だが、個人的にはこの曲が彼女の中でベストだと思う。詞と曲のマッチングも完璧だし、なんというか、この曲には浜崎あゆみという人の原点みたいなものがありありと詰まっているような気がするのだ。出来不出来はともかく、最初のアルバムにはそのアーティストのすべてがつまっているという、ポップ・ミュージックの世界における一種の定説みたいに。

 代々木体育館に来るのはかれこれ10年ぶりだ。10年ぶりの代々木に入ってみての最初の感想は、「あれ、意外とここ小さいな」というもの。同伴したタ君(仮名)はやたらと「ここ大きいですね」を連発していたけれど、僕は2度目だったせいか、まえ来たときより小さく感じた。どうしてだろう、単に慣れの問題なのだろうか。
 ちなみに前回ここに来たのは、たしか93年のボン・ジョヴィのショウ。ボン・ジョヴィというと、ジャンル的にいえばまあハード・ロックということになるのだけど、ヴォーカルのジョン・ボン・ジョヴィの人気が高いせいもあって、ハード・ロックにしてはひどく女性客が多かったのが印象的だった。あまりにも黄色い歓声が多いので、一瞬間違えてSMAPのコンサートに来てしまったんじゃないかと思ったぐらいだ。
 それから僕らのいた左手10メートルぐらい先に、長髪に革ジャンを羽織ったいかにもメタル・ファン風のお兄ちゃんがいたのだけれど、いかんせんまわりの客層がそんな感じなので、メタル風にヘッドバンギングをすることもできないし、かといって客席の3分の1以上を埋め尽くした女の子たちといっしょにきゃーきゃー歌うこともできずで、半ば硬直した姿勢のまま、どうすることもできずに2時間のあいだそこに立ちつくしていた姿をいまでも覚えている。それにしてもあれは気の毒だったな。まあ所詮は他人事なんだけどね、でも気持ちはわかる(しかし人間というのはくだらないことをいつまでもよく覚えているものですね)。

 あゆのライブは例の<A Song For XX>で幕を開ける。小林幸子と見まがうばかりの電飾バリバリの衣装で登場した浜崎がこの曲をアカペラで歌い始め、途中からバックのついた演奏へと切り替わる。衣装が衣装なので、「ちょっとどうなん?」とはじめは思ったけれど、やはりこの曲はよかった。何かこう心のどこかにぐっと来るものがある。意外なことにこの曲はシングルにはなっていないのだが、にもかかわらずこうして毎回のように歌われるということは、彼女にとってこの曲はどこか特別な思い入れのある曲なのではなかろうか。あるいはそれはただの僕の勝手な思い込みに過ぎないのかもしれないけれど、でもそんなような気がしてならない。
 <A Song For XX>が終わると突然曲調が変わり、アップテンポのダンサンブルな曲へとなだれこむ。タイトルは不明。あゆの衣装も、黒の小林幸子から銀ラメのタンクトップにショートパンツという姿に変わっている。たぶん小林幸子の下にはじめからこれを着込んでいたのだろう。大勢のダンサーといっしょに激しく踊りだす浜崎。さっきまでのソウルフルな余韻は跡形もなくどこかにすっ飛んでしまった。むぅ、ちょっと悲しいような……。
 3曲目は<Evolution>。これも速い曲だ。実は僕が曲とタイトルを一致させることができるのは<A Song For…>と<Evolution>のこの2曲だけ。あとは曲は聴いたことがあってもタイトルを知らないか、タイトルは知ってても曲と一致しないという状態が延々続く。やっぱファンじゃないんだなあ。まあ特に予習とかもしてこなかったしね。なにせ行きの電車の中ではあえてレディオヘッドを聴いていたようなやつですから。ま、ささやかな抵抗ってやつ。

 <Evolution>のあとはあゆがいったんステージから退場して、長いあいだ間奏みたいなものが続く。最初は何かと思ったが、要は浜崎の着替え中の時間稼ぎである。バンドの場合はこういう時ギター・ソロなりジャム・セッションをしてれば場を繋ぐことができるが、ソロ・アーティストの場合はその辺ちょっとむずかしい。観客はみんな「あゆ」ひとりを見に来ているのであって、バック・バンドを見に来ているわけではない。ゆえに主役がステージから姿を消してしまうと、途端にどこか間延びした時間ができてきてしまう。もっともこれはどうしようもないことだけどね。分身の術が使えれば話は別だが、浜崎あゆみの身体はひとつしかない。

 だいぶ長い間があったあと、突如あゆがスタンド席にあるロイヤルボックスに現れてその場で歌いだす。事前に今回は3ステージでやることを知っていた僕はそれほど驚かなかったけれど、ボックス席近くのお客さんは狂喜乱舞している。まあそりゃそうだよな、スタンド席にいたらそんな間近で見れるなんてふつうは思わないもの。
 3ステージというのは、正面のメインステージのほかに、アリーナ最後方にサブステージがあって、ロイヤルボックスに3つ目のステージがあるということ。メインとサブのあいだは大きな花道で繋いであって、この花道も実質ステージとして使っていた。とにかく会場全体を広く使っているのが今回のライブの特徴である。どの席から見てもいちどは近くで生あゆを見ることができる。正直この演出には感心しないわけにはいかなかった。見に来たお客さんのことをしっかりと考えている。

 ショウの中盤、3回目のお着替えタイムのあと、こんどはアリーナ後方のサブステージにあゆが出現。衣装は純白のウエディングドレスである。後方席から大きな歓声が上がると同時に、「きゃーっ! あゆきれーい!!」という声が次々に飛んだ。メインステージよりも近かったので、タ君に双眼鏡を借りてちょっと見てみたけれど、たしかにきれいだった。いいスタイリストが付いているせいかもしれないけど、それにしてもとてもよく似合っている。
 壮観だったのはこの場面での演出だった。ウエディング姿の浜崎が<M>を歌いながら花道をメインステージに向かってゆっくり歩いていくのだが、その彼女のドレスには、5,60メートルはあろうかという長大なベールがついているのだ。しかもおそらくあれは1枚布。プリンセス・ダイアナのドレスもすごかったが、たぶんこっちはもっとすごい。豪華さにも気合いが入っている。それまではショウ全体を通して若干演出過多なような気がしていたのだが、ここまでやられるとこちらとしてもただ感服するしかなかった。いや、あれはちょっとした見ものだったですよ。

 さて、その後は衣装を4回ほど換えつつ本編の最後まで突っ走った(衣装替えは全部で9回。計10着)。どちらかといえば僕は今回、腕組みなんぞをして傍観者的にひとごと的にショウを見物していたに近いのだが、それでもしっかり納得させられてしまうだけのものはあったと思う。それから、その晩やったうちのほとんどの曲をいちどは耳にしたことがあったというのにも、正直言って驚いた。いかにシングル曲中心の構成とはいえ、それってなかなかできることじゃないと思うのだけど。

 ただ少し気になったのは、ショウの演出にひっぱられるあまり、彼女が何を表現したいのかがいまひとつ感じられなかったという点である。これはなんて言えばいいのかなあ、「見せ方は実によくできているのだけれど、その中で彼女が表現したいことがいったい何なのか若干見えにくかった」といったところだろうか。うまく言えないのだが、全体を通して何かが平面的であるように思えたのだ。こんなことを言ったらファンの人にすっごい怒られそうだけれど。
 この平面性みたいなものについて言えば、ショウの進行に引きずられた部分は実際あったと思う。なにしろあれだけの凝った演出をしているのだから、段取りにひっぱられるなという方が無理というものだ。それはある程度仕方がないだろう。でもそれだけじゃなくて、これはなんて言ったらいいだろうか、あれだけ大掛かりな演出をしてはいるけれど、浜崎あゆみという人にはほんとうに伝えたり表現したいことって、実はそれほどないんじゃないかという気がしたのだ。彼女は心のどこかにわりに大きな空白というか、空虚さを抱えている人のように思えた。空虚であるからこそ何者にもなり得るし、空虚であるからこそ自分をどう見せるかの構築に熱心なのではないか、みたいに。

 以前、とある本で、浜崎あゆみにとっての中心テーマは自分が何を表現すべきかということより、自分がどういった表現者であるべきかということであるというのを読んだことがある。最初は「ふうん、そんなものかねえ」と思っただけだったけど、今回のショウを見て、それは比較的的を得た指摘なのではないかという感想を僕は抱いた。
 もちろんそうであることがいけないというものではまったくないし、僕がこう述べたことで、彼女と彼女の音楽の価値が減ぜられるものではいささかもない。まったくない。でもその一方で、僕が浜崎あゆみという人にいまいち共感を抱くことができないというか、どこかで微妙な距離感を覚えてしまうのは、その辺りに理由があるのかもしれないなということも考えた。まあ、これは根拠の薄弱なただの勘に過ぎないのですが。

 まあそんな小難しい話はともかく、なかなか得るもののあるコンサートでありました。今回ようやくながらこうして生のJ-POPを体験できたことで、邦楽に対して抱いてきた目に見えない隔たりや偏見のようなものを、少しは払拭することができたんじゃないかという気がする。これを機会にもっともっとこだわりが取れて、変な食わず嫌いをしない人間になれたらいいなって思う。つまらないプライドやこだわりに縛られて自分で自分の視野を狭めてしまうのって、あまりいいものじゃないからね。も少しユル~い人間になりたい。

 ともあれ、いっしょに行ってくれたタ君には感謝です。さすがにひとりでこの手のコンサートに出掛けるだけの勇気は、僕にはないからね。ではでは。

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