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2003/11/23

23.こういうことを言ってしまうのもなんだけど

 人間関係ってすぐほどけちゃうんだなあって思う。べつに携帯のメモリーに300人もの名前が入っているわけじゃないけど、よく動きまわってた頃はそれなりにたくさんの知り合いや友達がいた。特に用がなくても結構なペースで会ったり電話したりメールしたりを繰り返していた。でも、ある時からあまり無理に人間関係を広げないようになったら、人間関係の数なんてもう知らん間に目減りしてしまってあらあらあらである。それこそなんだか、もうちょっと笑ってしまうぐらいに。だいたい携帯に150何件登録してあったって、実際に使うのは20件もないんだよね。いや、10件かもしれん。そんなもんじゃないですか? 僕はそんな感じなんですけど。

 でも、それでもべつにいいかあって思ってるんだよね。それはそんな前みたくあくせくしなくても、繋がる人とはそれこそ腐れ縁みたいにしていつまでも繋がってるからでもあるし、結局のところそんなにたくさんの人間関係を維持していくことなんてできるもんじゃないっていうのが薄々ながらにわかってきたからかもしれない。まったくウキウキの小学1年生じゃあるまいし、ともだち100人なんてことは土台無理なわけで。だから考えてみれば、あの頃は自分がたくさんの人間関係・友人関係を持っているってことに酔ってたのかもしれないな、などと思わなくもない。もらった名刺の数が増えていくことで、なんとなく自分の価値が確認できてると錯覚するちょっと空虚なサラリーマンみたいに。
 ともあれ、なんだかんだしてるうちにいろんな人たちとも連絡を取らなくなって、半分音信不通みたいになってきちゃってるけど、そういえばみんなどうしてるのかなーなんてことをたまに考える。ほんと、みんなどうしてるんだろう?

 ……ということを僕のほうではひそかに内心思っているわけだけれど、ちびちびとこういう書きものを綴っているせいか、まわりの人には僕がどうしているかの動静はだいたいわかるらしい。ま、そりゃそうか。先週ひさしぶりにサッカーを見に行ったのだけど(横浜対鹿島。よもやヒラーセにゴールを決められて負けてしまうとは。うくく)、そしたらいっしょに行った友達に、「ほかの人たちはどうしてるのかよくわからないけど、とりあえず岡本さんはラジオがあるから動静がわかる」みたいなことを言われた。なるほど。僕の方からは向こうの様子は見えないけれど、逆側からはそれなりに(断片的ではあるにせよ)僕の様子が見えてるんだね。べつにそういうことを意図してこれを書いてるわけじゃなかったので、そんなことにはてんで気づかなかったんだけれど、言われてみればたしかにそういう効用もあったのかもしれないなあと、新横浜のモスバーガーの中でコーヒーを飲みながらぼんやり考えたりした。

 以前に較べて自分の人間関係が目減りしているせいなのかどうかはわからないが、実は最近ずっと調子が悪い。いや、「悪い」という言い方はちょっと感じが違くて、これもとある友達が言っていたように、「低いレベルで安定している」といった方が最近の僕の状況には比較的近い。これがもっとガーン!って感じで激しく鬱に落っこちていれば、ああやばいやばい、これはいかん、いかんぞう的な危機意識も多少は持つことができるのだけれど(ん?どうかなあ、怪しいなあ)、どちらかというといまの状態はゆるゆると気がつかないうちに泥沼に沈み込んでいるという感じに近いので、気がついたときには手遅れになってるというか、結構なところまで事態が進行していってしまうような感がなくもない。言うまでもなく、こういうのはあまりよい傾向とは言えない。まあ経験的にこの手の泥沼の感覚はからだで知っているつもりだから、そんなにひどいことにはならないとは思うけれど、でもやっぱり少し間違えば、90年代の阪神のようにずるずるとどうにもならない奈落の底に転がり落ちてしまうんだろうなという危機感は捨てきれずに持っている。

 で、こういう総括をしてしまうのはいささか気が早いかもしれないけど、2003年という1年を振り返ってみたとき、ことしはあまり良い1年じゃなかったなあと言わざるを得ない。いまはもう11月も下旬だから、そういう総括をしてもそれほど早くはないかもしれないけど、これと同じ感想を10月の時点でかかりつけのカウンセラーさんに話していたから、もしこの結論をはたから見れば、これはこれでちょっと気の早い1年の総括に過ぎると映ったかもしれない。おいおい、いまからそう言っちゃうのはちょっと早いんでないの?みたいに。
 でも、すでにその10月の時点で、「ことしはあまり進捗のないろくでもない1年だった」という感覚は強く動かしがたいものになっていた。もちろんあなたは、まだ年が終わるまでに2ヶ月以上もあるのだから、そういう結論を出すのは早すぎるのではないか/もっと事態を好転させるべく、残りの時間を使って何がしかの努力をするべきなのではないかとおっしゃるかもしれない。
 しかしその時点で僕の中には、この流れはそんなに簡単には覆らない/しばらくは我慢の季節が続くだろうという打ち消しがたい予感というか、確信があったから、月をふたつ半ほど残した10月の時点でも、「ことしはあまりいい年とはいえなかった」という時期尚早めいた結論を導き出すのにそれほどの躊躇は感じなかったわけだ。
 だからうざったいようだけど、こういうのは他人がなんと言おうと、結局は自分の中の感覚なんだよね。あるいは自己肯定感のようなもの。他人がどんなにダメだダメだと言ったとしても、本人が自分の中で「これでオッケー」と思えればそれはそれでオッケーだし(たとえばダメ連的な生き方とか)、どんなにまわりから見て、ものごとが順調そうに進んでいたとしても、当の本人が「ああ自分はダメだ」と思っていれば、それはそれでダメなのである。そこを判断するのは最大の当事者である本人自身であって、周囲の人間のする仕事ではない。そうですよね? こういうのはあまり心温まる結論とはいえないかもしれないけれど、結局のところ人間というのは孤独な生き物なんだよなというのが僕個人の基本的な視座というか、スタンスみたいなものであります。すいません、ひねくれ者で。もう少し素直になるまでには、まだあたりをぐるっとひとまわりするだけの時間が必要みたいです。あんまり期待しないで。

 さて、ここのところずっと調子が芳しくないということを先ほど書いたけれど、これまずいよなあって思うのは、以前に較べて自分の状態の回復状況というか、ものごとの進展の速度が目に見えて鈍化しているという事実である。もっと具体的にいうと、僕がひきこもりの生活から抜け出して精神科に通い始めた99年から1~2年のあいだに起きたもろもろの変化に較べ、ここ1~2年のあいだに起きたそれというのは、質・量ともに、もう悲しくなるぐらいに少ない。しかもその速度は、世紀をまたいで年を追うごとに次第次第に鈍く弱くなっているように僕には感じられる。このままいくといずれ上り坂を進むトロッコみたいに速度が落ちて、遠からぬうちにもと来た道を加速度をつけて逆戻りしてしまうんじゃないかという悲観的な予感が頭をもたげてくる。ああもう、いやですねえ。まったく未来も希望もあったもんじゃない。
 もちろん、ものごとというのはそんな簡単かつ急激に変化するものじゃないんだと言ってしまえばそれはそれでその通りなのだろうが、やはり99-2000年頃の自分なりにめまぐるしい変動の季節を知っているので、あまり適切ではないとどこかで知りつつも、いまとあの頃を較べて現在の進捗のなさを嘆くというサイクルから離れることができずにいる。かつての全盛期の勢いを取り戻すことができずに日々苦しみながら、いつ終わるとも知れない不本意な2軍生活を強いられている野球のピッチャーみたいな心境といったら少しは近いだろうか。
 言うまでもなく、そういうのはあくまで僕自身の主観でしかない。客観的に見てどうなのかということは僕にはわからない。あるいは外から見たら、そういう悪いサイクルにはまっているようには全然見えないのかもしれない。実際、僕のことをもっともよく知っている人のひとりであるかかりつけのカウンセラーさんだって、「必ずどこかに向けて動いているし、どこにも行き着かないなんてことはない」というようなことをほぼ毎回のように言ってくれる。でもそれにもかかわらず、当の僕自身はそういう実感を持ちきることができなくて、やっぱり自分はこの先どこにも辿り着かないんじゃないかとか、いま通っているトンネルは実は真下に向けて掘り進んでいる底なしの枯れ井戸なんじゃないかみたいな不安を抱えて、夜中に落ち込んだり暗くなったりちょっと泣いたり気持ち悪くなったり吐きそうになったりみたいな相変わらずを飽くこともなく延々と繰り返している。まったく、いったいいつまでこんなのが続くんだろう?

 ああ、なんか暗くなっちゃったな。少し明るい話でもしようか。こんなんばっかだと正直気が滅入る。政治の話でもしようか。それとも天気の話がいい?

 ここのところあんまり良いことがなかったというのはさっきから繰り返し書いてることだけど、その中でもひとつだけハッピーなことがあった。体重が減ったのだ。いぇい!(上戸彩)
 少しずつやせてるというのは前にも書いた。夏のあいだ食欲がなくって、9月ぐらいに体重計に乗ったら知らないあいだに2~3キロ落ちていた。それで気を良くしてあまり食べないようにしていたんだけど(秋のリバウンドが怖かったっていうのも大いにある)、その甲斐あって遂に念願の大台、60キロのラインを割り込みました。パチパチパチ。いまの体重は59.4キロ。いままでのMAXは67。体重が60を割ったのなんてほんと何年ぶりだろう? たぶん4年とか5年とか、もしくはそれ以上じゃないかな。まあ何にせよこの4,5年の閉塞を破ったという点では、それはそれでひとつの達成と言えるかもしれない。言えないような気もするけれど。

 ちなみにどうやってやせたのかというと、これはただ単に食べなかっただけだ。はじめはリバウンドが怖くてあまり食べ過ぎないように気をつけていただけだったのだが、そしたら自然と胃袋が小さくなって、最近ではちょっと不思議なくらい量が食べられなくなった。それといまは家の事情で月のうち半分以上を自宅でひとりで暮らしているので、その辺の要因も大きかったかもしれない。ひとりだとどうしても食事がおざなりになるし、自炊をしても自分で作ったものというのはまずたいてい美味くは感じられないので、自然と食べる量が減ってくれたという利点はあったと思う。まあなにしろそういう意味ではよかったかもしれない。
 いくつか不満を述べるべき点があるとするならば、ジーパンのサイズが小さくなってベルトを買わなければならなかったことと(ウエストのサイズは31から29になった)、いままで持ってた服が心なしか大きく見えて、なるべくならばいままでよりワンサイズ小さなものを選ぶようにしなければならなくなったことの2点なのだが、でもこういうことをあんまり並べ立てるとイヤミだと思われてあとで手痛いしっぺ返しが来そうなのでこのあたりでやめておこう。憂さ晴らしとかいって毎日のようにビールを飲んだりしなければいいんだよということも言ってみたいけれど、なんだか火に油を注ぎそうな予感がするのでこれもやめておく。おお、怖や怖や。

 しかし考えてみれば、何もしてないのにやせているというのはあまり良い傾向とは言えないのかもしれないな、ということも思ったりする。というのは、うまいこと体重が減ってくれている時期と、ここのところの不調というのは、それはもう見事なぐらいに重なっているからだ。食い物がどうのこうの以前に、ただ単に精神の不調の問題なのかもしれない。そういえばここ2,3ヶ月のあいだ、食べものが美味いなんて感じたことがいったい何度あっただろう? 大いに疑問だ。
 よく結婚したての男の人が太りだすと、「幸せ太り」みたいな言い方をされるけれど、そりゃ太って当然だよなと思う。ハッピーになって食欲も増えて、そのうえ喜々として毎日のようにしっかりとした料理を作ってくれる人がいるわけだから(10年後のことはともかく)、それまでと同じ感覚でぱくぱく食べていたら、それは太らないほうが不思議というものである。
 それで発見したんだけど、やせるために何をすればいいかといったら、それとは全部逆のことをすればいいわけだ。まず不幸になることとひとり暮らしをすること。悩みごとを増やすこと。食事はなるべく簡素なものして、ビールを飲まず、野菜中心の食事にし、できたら1日中寝ていて食事をとる時間を体に与えないようにするのが望ましい。そしてそれはまさしく、いまの僕が置かれている状況とそっくり同じだ。すばらしい。新しいダイエット理論の発明だ。きっと僕はこのテーマで本を1冊書くべきなのだろう。
 ……というのはもちろん冗談だけど、書いていてもあまり笑えないところが悲しいところだ。やはりなかなか素直にはなれないみたいです。ううううう。

 とまあ、そんなようなわけで、この章では良いニュースはなにひとつありません。ここまで引っぱっておいてそれが結論です。すみません。そういうことはもっと早く言えよって言われるかもしれないけど、なにぶんいまになって気がついたことなので、その辺はひとつご勘弁ください。鬱の証に、しばらくのあいだは中島義道の新しい本でも読んでおとなしくひきこもっていますので。それではまた。

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