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2004年1月

2004/01/25

29.棚の上の命題Ⅲ

 3. [Slide It In / Say a little prayer / Falling Uphill]

 最近、人づての力というものを考えるようになった。順を追って話そう。

 母からの唐突な問い詰めを受けたその日、僕は一発で具合が悪くなった。元々が不調の波に沈んでいたときのことだったから、そのショックはとりわけ来た。きつかった。このまま家にいては持たないと思ったので、うまくつかまりそうな友達に電話をかけて、その日のうちに会う約束を取りつけた。ちょうどそのしばらく前から気になるというか、考えていたことがあったので、少し誰かに相談してみようと思ったのだ。僕は昔から人にものを言わない人なので、こうして誰かに何かを相談するというのはわりにめずらしいことだったりする(いや、これでもカウンセリングを受けるようになって以降はだいぶ変わったんだけど)。
 考えていたことというのは、人づて絡みの話だ。知り合いのある人から、メルマガの編集長(みたいなこと)をやらない?と声をかけられていた。そういう話を持ちかけられていたのは去年の春ぐらいからのことだったのだが、いまいち気乗りがしなかったこともあって、なんやかんやと理由をつけて僕は逃げ続けていた。え、いや、ちょっといま余裕がないんで。
 でも秋頃からの不調もあったし、また、これからの自分の活動にさしたる展望も見出せないという状況が続く中で、僕は次第に、あれをやってみるのもいいのかもしれないと考えるようになった。なぜかはよくわからないけど、ただ何となくそういう気がしたのだ。こういう横からすっと入り込んでくる話って、あまり断ったらいけないんじゃないだろうか?
 その話をさっきの友達にしてみると、「やってみるのがいいんじゃない?」との返事。私がいまやってることだって、「○○さんやりませんか?」と言われて、断るに断れずに流されるようにして始めたようなものだしね。なんか自分でも「こんなんでいいのかなー」ってときどき思うんだけど、でもこんなものなのかなーってことも思うよ。まあいまのところは、そんな感じかな。
 僕から見ると、彼女は最近流れがいいみたいだ。そういうのは何となくわかる。前やってたバイトの方からもまた声がかかっているみたいだし、考えるより先に体が動くというか、いまの彼女にはどことなく追い風が吹いているような雰囲気がある。「モテる」という言い方をするとなんかあれなんだけど、でも、流れの良い人のところには話が集まるというのは実際あると思う。それに、僕にもいくつか経験があるけれど、ものごとが決まる時っていうのは、得てして当人が拍子抜けするぐらいあっさり決まるものなのだ。

 彼女ひとりだけでは何か話し足りないような気がしたので、続けてもうひとりべつの友達とも連絡をつける。それほど長い時間は取れないが、でもなんとかうまくつかまった。いまから思えば、あの日の僕はわりにツイていたのかもしれない。あるいはこういうのは、自分から何かを求めたせいだろうか。
 ふたり目の友達も、最近流れがいい人のひとりだ。もちろん人間だから日々いろんなことがあるし、気分の浮き沈みだって頻繁にある。人に見えないところでざっぱんざっぱん波をかぶっているのかもしれない。でも、トータルで言えば、この人はこの1年でずいぶん変わったと思う。1年前とは表情がまるで違うし、何かこう生き生きしている(たぶん本人はあまりよくわかっていないだろう。なぜなら、本人は本人であることにあまりに慣れすぎているから)。「霧が晴れた」という言い方を彼女は好んでするのだが、事実、そういうような雰囲気はかなり濃厚に漂ってくる。何がどうなって「霧が晴れた」のかは定かではないのだが、あるいはごく自然に、しかるべき時期がやってきたのかもしれない。しかるべき時期が、やってくる。
 彼女とはいろいろと話が通っていることもあって、自分の活動に対する徒労感というか、無力感・無意味感みたいなものについても話すことができた。正直自分では行き詰まっている。やってても意味ないんじゃないかとか、もうやめたほうがいいんじゃないかとか、あるいは結局のところ自分はどこにも辿り着かないんじゃないかとか、つまりそういうような話だ。

 この日話した結論のひとつは、「横からすーっと、もあり」だったと思う。
 たとえばこの人はいまの仕事に就くとき、知人の伝手でもって入っている。履歴書を持って面接を受けるのではなく、知人から「ゆり子さんうちでやりませんか?」と誘われて始めたのだ。いわば横からすっと入ってきた話をうまいタイミングで掴んだともいえる。
 同じことは彼女の同僚の凪さんについてもいえる(なんか女の人ばっかですみません)。凪さんの場合も、たまたまいまの雇い主と以前からの知り合いで、しかも希望していた方面の仕事が偶然その人のところにあったので、するするっという具合に話が進んで、去年の春からはそこでソーシャルワーカーとして働いている。まあ簡単に言えば、ふたりとも人づての力でもって、いまの仕事に流れついたわけだ。

 あるいはこれは、ただ単に僕が潔癖症で頭がカタイだけなのかもしれないが、たとえば「コネ」とか「紹介」というと、何かこう裏口から入るようなずるいやり方であるような感じがして、どことなく嫌なイメージがあった。裏口入学とかコネ入社とか、つまりそういう感じだ。でもそういう横から入った話ですっとやっている人たちを身近で見ていたら、「ああ、そういうのも全然ありなんだな」って思うようになった。すごく実感的に、フィジカルな具体例として。履歴書を持っての「正面突破」だけがやり方ではない。なにもそういうのにこだわらなくたって、ほかにもやり方はあるんだ。そしてそれと同じことを、ゆり子さんも言っていた。
 「いや、私も前は『正面突破』じゃなきゃいけないんだって思ってたよ。ずっとそう思ってた。ほら、ひきこもりの人ってどうしても正社員になるっていうのにこだわるとこあるじゃない。『とにかく正社員にならなきゃだめ、面接行って受からなきゃダメ』みたいなのがあってさ。でもさあ、私も最近になって気がついたんだよね。べつにそういう正面からのやり方にこだわらなくたって、隙間隙間でもじゅうぶん生きていけるんだって。いまの私みたいに、人からの紹介で仕事をはじめるっていうのも全然ありなんだって。それからいえば凪なんかもう、人づてだけでここまで来てる人だもんね。知り合いなんて誰もいないのに大阪からこっちへ来て、それでも人づて人づてでここまでやってきてるんだからさ。すごいよな。私もこの歳になってからなんだけど、正面突破ばかりが手じゃないんだってことにようやく気がついたよ。横からすっと人づてでっていうのもありなんだ。だからさっきのメルマガの話も、とりあえずしてみたら? 話したからといっていますぐには何も起きないかもしれないけど、でも話しておけば何かに繋がるかもしれないよ」。

 後日、凪さんから印象的な話を聞いた。凪さんは実はまだ自分の履歴書を出していないらしい。
 「私、履歴書書いたけどまだ出してないんよ。ここで働きだしてもう8ヶ月なんやけど、○○さん(彼女らの雇い主)別にいまだに何も言わんし。こんなんでええんかなーって、思うんやけどね」。
 この話はひどく象徴的だ。普通は面接をするときには必ず履歴書を持参する。いままでその人がどんなことをしてきたのか、どういう人なのか、ある程度は履歴書を見て判断される。でも人づてで横からすーっと入った場合は、あらかじめ履歴書に書いてあること以上にその人のことを知っているから、履歴書なんてものはそれほど必要ではないのだ。まったく要求しないのも極端だとは思うけど、なーんか、なるほどなあって、思った。


 凪さんについてもう少し。これはあくまで「僕から見ていて」ということなんだけど、凪さんが願ったことというのは、なぜか大抵のものが叶うように見える。たとえばそれは、都合の合うバイトであったり、いちど会ってみたい人であったり、職場につけるガスヒーターであったり、その他なんでもいいんだけど、でも彼女が「こんなことあらへんかなあ」と願うと、どういうわけか彼女の前にはうまい話がぽろんと落ちてくるのだ。
 もちろん打ち出の小槌ではないから、そんなに都合よく願ったことがなんでも叶うというわけではないし、何かが転がってきたところでそれが必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。でも傍から見ていると、彼女はなんやかんやでいろんな人と繋がって、人づてでするするとうまいこと渡っていってるように見える。ただ単に隣の芝が青く見えてるだけなのかもしれないけど、でもそれって、なんだかすごく羨ましい。
 いいなあ。なんで彼女はそんなに人づてでもってうまく渡っていけるのだろう? 凪さんと僕ではいったい何がそんなに違うのだろう? そんなことを考えるともなくぼやっと考えていたら、唐突にあるひとつの疑問に行き当たった。そういえば俺はいままで、凪さんみたいに自分の願いを口にしてきただろうか?
 答えはもちろん「ノー」だ。カウンセリングを受けはじめて以降はだいぶマシになったとはいえ、それでも僕は、自分の願いや思いを口にするということをいままであまりしてこなかった。欲しいものを欲しいと言えなかったし、好きなものを好きと言えなかった。人に甘えるということができなかったし、自分の気持ちを表にすることは恥ずかしいことだと思っていた。そしてそれは僕の中であまりにも日常化していたので、僕は長いこと、自分自身のその傾向に気がつかなかったのだ。

 そしてもうひとつ。これは僕がひとりっ子だったせいかもしれないが、きっと僕の中には、「まわりはみんな、自分の思いや願いをわかってくれているだろう」的甘えがあったのだと思う。それは「べつに言わなくてもわかるだろう」という、どこか驕りにも似た気持ちだ。しかし言うまでもなく、まわりの人というのはそんなに自分のことを気にかけてくれているわけではない。言っても、みんな自分のことだけで忙しいのだ。
 しかしそれにもかかわらず、ここ最近の僕は、一向に代わり映えのしない自分の現状や、まわりの人たちが自分より先に何らかの進展を得ていく(ように見える)やるせない現実を目の当たりにして、密かに面白くない気持ちを抱いていた。なんでまわりにはこれだけ動きがあるのに、俺ばっかりが……。口に出しこそしなかったけれど、そういう思いはずっと心のどこかにあった。
 しかしそれだって、いままで自分の思いを口にしてきたか否かの違いなのだろう。たとえばこれを飲み物の自販機でいえば、あれはお金を入れるからランプがついて作動するのであって、機械の前に黙って立っていても、それで取り出し口にゴトンと飲み物の缶が落ちてくるわけではない。なのに僕がいままでやっていたことというのは、自分からはなんの働きかけもせずにただ機械の前に立って、それで自分のところには何も落ちてこないと不平不満を述べていたのと同じことなのだ。それでは何かが起こるわけがない。

 話が少し流れるようだけど、大事なことなのでやはり書いておこう。親子関係の話だ。
 このまえ藤田直美さんの『レター』(CINEMA塾)という映画を観る機会があったのだけど、その中でいちばん印象的だったのは、親子のぶつかり合いというか、父と娘が激しく口論して、自分の思いのたけを言い合うシーンだった。「私はこういうふうにしてほしかった。こんなことをしてもらってうれしかった。悲しかった。好きだった。嫌だった……」。そういえば、うちにはああいう親子間の「伝え合い」があっただろうか。お互い伝え合い、わかり合おうとする意識や努力があっただろうか。家族みんなが、「きっと向こうはわかってくれているだろう」的ぬるま湯の中にいたんじゃないだろうか。こんなことを言ったら変かもしれないけれど、でも正直なところを言えば、僕はあの映画を観ながら、ひどく不器用ながらもまっすぐにお互いの気持ちをぶつけ合えている藤田さん父娘に、どこかで羨ましさを感じていたのだ。うちは彼女の家から見たらずっと穏やかで平和だったし、親子仲の良さではまわりに羨ましがられるぐらいだったけれど、でもああいう伝え合いがもっとあってもよかったんじゃないかって、いまでは思う。

 とりあえず願ってみる。言ってみる。望んでみる。たとえどんなにカッコ悪くて恥知らずであっても、きっとまずはいっぺん口にして、求めてみるべきなのだ。手を動かすより口を動かせ。そうすればきっと、何かが揺れる。そしてそれはおそらく、言霊の力だ。願いもせずに望むな。何かが欲しければ自分から動け。ゆり子さんと別れたあとの電車の中で、僕はそんなことを考えた。

 不思議なことは起こる。ゆり子さんとそんなような話をしたそのわずか3日後に、知人を介して、決して悪くはないかもしれない話が僕の前に転がり込んできた。ちょっとした仕事がらみの話だ。いや、正確には「仕事」といえるようなものではないのだけれど、でもまあ、そんなような話(なんじゃそりゃ)。その話がこれから僕をどこへ連れていくのかはわからない。結局何に繋がることもなしに終わるのかもしれない。そういう可能性だってじゅうぶんにある。
 でも僕は、その話がこれからどう発展するかということよりはむしろ(あるいはどう消えてなくなるかということよりはむしろ)、「自分の願いや希望はなるべく口に出していこう」と決めたその数日後に、何かが自分の前にぽとりと落ちてきたというその事実の方に注目したい。決してオカルトがかったことを言いたいわけではないのだが、でも僕はその事実の中に、やはり何か言霊の力のようなものを感じるのだ。
 そしてその話の流れで、僕はあれだけ目を背けたかった履歴書というものを、たぶん5年ぶりぐらいに書いた。やってみたら、どうにか書けた。もちろん、これからこの話がどうなっていくのかはまだかなり不透明なんだけど、でも今回の件については、それができただけでもじゅうぶんよかったんじゃないかと、自分では思っている。


 「ここ最近の下り坂の原因が、わかってきたような気がする」。この文章のはじめに、僕はそう書いた。もうそろそろ結論めいたものを書いてみてもいい頃だろう。
 ここ最近の下り坂の「原因」。それはおそらく、いままでの「仕事のことは脇にのけといて~」という対人関係重視路線の限界点の到来であり、またたぶん僕は、ぼちぼち網棚の上に置いた荷物を下ろすべき時期に差しかかっているのだ。
 そしておそらくはきっと、昨年秋からの不調や母からの唐突な突き上げというのは、その限界点の到来を知らせる一種の警告だったのだろう。この流れは地震と同じで、回避することはできない。遅いか早いかの違いはあるにせよ、それは必ずやって来る。深い音を立てて、大地の底から。あのときはわからなかったけれど、でもいまでは、そんな気がしている。
 ――などとカッコいいことを言ってみても、僕の目の前にある状況がそう簡単にがらりと転換するものではないことは、この僕にもある程度わかっている。残念だけど、何かをわかっていることと、それを目に見える形に変えていけるということは、また別の話なのだ。そのふたつがどちらも同じようにうまくこなせたなら、生きていくのはもっと簡単なんだろうけれど。
 でも結局はここから始めるよりほかないんだろうなということも、何となくわかる。まあね、不満並べたってキリがないし、それに自分の人生というのは、ほかの誰かが代わってくれるというものではないからね。これは仕方ないさ。

 最後に挙げるのは、1ヶ月くらい前に凪さんからもらったメールの抜粋。ネット生活をはじめてもう7年ぐらい経つけど、その間もらったメールの中でもトップ5に入るぐらいにうれしかったやつ。僕はたまにこれを読み返しては、「流されてみるのもいいんかなー」なんて、思っている。少しずつ、少しずつ。
 「私は小さい頃からむちゃどんくさくって、なんやらかんやら人に助けられながら生き延びてこられたって感じなんよな。だから人づてでっていう発想も、私にとっては自然なものなんやと思う。その点、ゆりさんや君は、出来る・切れる→いい子→出来るって思われるっていうタイプなんやろうな。こんな風に人に弱みを見せられなくてずっとがんばってきたんかなぁって感じた。/かっこよくなんか生きられへんっていうのはず~っと実感として私はあるんよね。それがいま、結果としては救いになっているのかもね。/流されてみたらいいんやないのって思う。違うって思ったら、いつでもやめられるし」。

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2004/01/14

28.棚の上の命題Ⅱ

 2. [The Warning / So What]

 去年の12月のある日、それまでただの一度も「あなたこれからどうするの」的突き上げをしてこなかった母親に、出し抜けにこれからのことを問い詰められた。あなたがこれからどうしていくつもりなのか、どうしたいと思っているのか聞かせてほしい。唐突にそう告げる彼女の目は、どこからどう見ても真剣だった。

 うちは担当医の指示もあって、ここ数年、その手の突き上げのたぐいをされることはまずなかった。また、それ以前にしたって、その手の突き上げをしてくるのは決まって父の役割だったから、母親がこの手の質問を投げつけてくるというのは僕にとってはひどく意外な出来事であり、もっと有り体に言えば、僕にとってその事実はショック以外の何物でもなかった。単純に言えば僕自身、母はこの手の問い詰めはしてこないだろうという読みというか、甘えがあったのだ。しかし現実は違う。「あなたがこれからどうするつもりなのか聞かせてほしい」と告げる母の言葉には、抜き差しならない決意と怒りの響きがこもっていた。僕はここに至って、ようやくひとつの重大な事実を理解した。いままでそれを口にしなかっただけで、母は母なりにいろいろな思いを溜め込んでいたのだと。

 彼女は続ける。うちはいま転機の中にいる。いままで「安心してひきこもれる環境」をつくってあなたのやることにあれこれ口出しをしないでやってきたが、いつまでもいまの状態を続けていくことはできない。あなたも今年でいい加減30になるんだし、これからどうするつもりなのか聞かせてほしい。それがわかればこちらとしても対処のしようはあるが、いままで何も言わなかったからこちらも敢えて聞かなかった。いままであなたのことを腫れ物に触るようにして扱ってきたからいけないのかもしれないが、それにしても限度がある。追いつめられてから慌ててみても遅いし、いまのうちに前もってちゃんとあなたの考えを聞いておきたい。
 あなたがいろいろと活動していることはぼんやりとは知っている。いままでは医者が「とにかく刺激しないように」と言うので黙って好きにさせてきたけれど、いままでのところを見ていて、私の目には一向に良い結果に結びついたようには見えない。たしかに以前に較べて悪くなってはいないとは思うが、しかしいつまで待っても「稼ぐ」という点に至っていない。私はあなたのことが心配だし、もっとはっきり言えばストレスだ。一人立ちしてほしい。昔に較べたら多少は良くなったのかもしれないが、しかしいつまでたってもひきこもりから抜け出したようには見えない。
 あなたは私なんかよりもずっとものごとをちゃんと考えることができるし、冷静だし、やってできないことはないと思う。なのになぜいつまでたっても一人立ちできないのか正直不思議だ。医者からは「安心してひきこもれる環境を作るように」と言われてきたからそうしてきたが、居心地よくし過ぎてしまったのではないかという思いがある。

 ここまでのことを一気に言われた僕は、彼女のこの意見表明に対して何ひとつ反論できなかった。これからどうする。限度。腫れ物。心配。ストレス。いったいこれになんて答えればいい?
 中でもショックだったのは、自分のことを「ひきこもり」と呼ばれたことである。僕自身の意識の中では、いかなる定義に当てはめてみても、自分はもうひきこもりではないと思っていたのだが、親の目にはそうは映っていなかったのだ。ずいぶんまとめていろいろなことを言われたけれど、煎じ詰めてみれば、僕にとってはそれがいちばんきつかった。これだけの時間をかけたというのに、自分はあの頃から何にも変わっていないのか、と。
 たしかに母はひきこもりの定義なんてよくわかっていないし、彼らが問題にしているのは「稼げていない」というただその一点なのだろう。賭けてもいいけど、彼女はひきこもりと無職の区別だってろくについていないに違いない。しかしおそらく、問題はそんなことではないのだ。ここで厚労省のガイドラインなんぞを持ち出してひきこもりの定義を一から説明してみたところで、そんなものはクソの役にも立たないことなど充分すぎるほどに明らかだ。彼女の抱いている印象というのはある意味とても痛いところを突いている。「稼げていない」。そう、僕がどんなにいままで自分なりにがんばってきましたと主張してみたところで、「稼ぐ/一人立ちする」という観点から見たら、この4年半で何の進捗もないのは間違いのない事実なのだ。僕には反論できるだけの材料がない。

 いつまでも黙っているわけにもいかないので、僕は途切れ途切れに小さな声で答える。その質問に答えるのは簡単ではない。それに答えるためには、いままでの自分の経過についてかいつまんで知っておいてもらう必要があると思う。そう述べたあと、僕は先に書いたようなことを順序を探りながら母に向けて話し、そしてその話の最後に、僕は現時点での暫定的な結論を彼女に告げざるを得なかった。これからどうしていくつもりなのか、どうしていきたいのか、はっきりとした展望はない。


 それまでのひきこもり生活に一応のピリオドを打ち、病院に通いはじめてから、この1月でちょうど4年半になる。そしてこの4年半という期間の中で僕が培ってきたものはといえば、やはり人間関係ということになると思う。人間関係、ただそれだけ。
 でもこの人間関係というものの困ったところは、それ自体に形がないことである。作ってきたものは人間関係ですなどと言ってみたところで、僕はそれを具体的な色や形のあるものとして提示できないし、履歴書にだって書けない。それはそうだ。だからあなたはいままで何をしてきたのかと面と向かって聞かれると、僕はものすごく困ってしまう。
 それにもうひとつ言えば、いままでどれだけ自分なりに努力してきたつもりでも、世間的に見てそれが本当に「人間関係を作ってきた」と言えるほどのものなのかどうか、よくよく考えてみれば自信がない。全然自信がない。所詮は狭い世界におけるささやかな達成にしか過ぎないし、何のかのと言ってみたところで、そんなの丸っきり大したことないんじゃないかってことも思う。この程度のことをやってきた人間なんて、世間にはいくらだっているじゃないか。普通に仕事をもって働いていたら、この程度の経験なんてなんぼでもできるじゃないか。そう考えると、僕は自分で自分の立ち位置がわからなくなる。俺はいままでいったい何をしてきたんだ? 何ができるんだ? 実際のところ、これからどうすればいいんだ?

 こんなことを書くと、僕のことを直接に知っている人たちはこう思って訝しく考えるかもしれない。君はいままでいろいろやってきたじゃないか。それは君にとって大きな財産だよ。いい経験だよ。そういう経験はあとあときっと何かの役に立つと思うよ。これからのことだって、君ならきっとだいじょうぶだよ。そんなに悲観することはないと思うな。実際、少なくない数の人が異口同音にそう言ってくれる。それは僕にとってとても嬉しいことだ。僕にしたって、いままでの自分の時間がただの無意味な消耗だったなどとは思いたくない。
 しかしながら、僕が自分がいままで取ってきた路線に対して何らかの違和感や行き詰まりを感じていることは、もはや隠しようのない事実である。他人の目をごまかすことはできても、自分の目をごまかすことまではできない。
 たとえばいまはこうして、「考える会」を主な居場所としてやっているわけだが、正直僕はこの手の活動に確信が持てない。こういうことはあまり言いたくないけど、もうだんだん若いといえる歳でもなくなってきているし、自分のキャリアを作る上で、こんなことをしていても意味ないんじゃないかと正直思う。ほかにやるべきことがあるんじゃないか。間違いなんじゃないか。ただの言い訳に過ぎないんじゃないか。ただ結論を先延ばしにして逃げ続けているだけなんじゃないか。もうやめたほうがいいんじゃないか。正直そう思う。しょっちゅうそう思う。
 もちろん、僕がいままでやってきたことはそれほど間違いではないと思うし、また、そう思いたい。しかしそれが一向に「稼ぐ」という点に結びつかないことを考えると、<やはり自分のやってきたことは間違っていたのではないか……>という思いにとらわれることになる。だいたいよく考えてもみれば、いままでやってきたことなんてほとんどすべてがボラ(ンティア)なのだ。その線上をどこまで辿ってみたところで、それはカネには結びつかない。

 端的な事実をここで。結局のところ、僕がずっと棚上げにしてきた「自分が何をしたいのか」「これからどうやって食っていくのか」という最初からの命題は、いまに至っても一向に解決していないのだ。僕はあの頃から何にも変わってやしない。病院に通うようになった99年の夏からだけではない。就職活動に失敗した97年の夏から、いや、生まれて初めて進路選択に悩んだ高校3年のときから、ことこの件については僕は何ひとつ進歩していないのである。

 そういうわけでここ最近、僕はこの界隈での活動に力を入れれば入れるほど、深い矛盾の中に落ち込んでいく自分の存在をしばしば確認する。徒労感とまでは言わないにせよ、無力感・無意味感みたいなものはやっててすごくある。
 たしかに僕はいままでのことを振り返って、こう述べることが出来る。いろいろあったけど、なんとかひきこもりからは抜けました。いくつかの場所に顔を出して、友達も知り合いもたくさんできました。携帯だって持ってます。自助会もやったし、いまは「考える会」でやってます。本当に腹を割って話せる友達だって何人かいます。たしかにそうだ。間違っていない。でもそこまで来たとき、僕の前には次のある根本的な疑問が抜かりなくその姿を現す。だからなんだっていうんだ? それでいったいどうなるっていうんだ? その疑問に対する答えを、僕はまだ持っていない。

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2004/01/11

27.棚の上の命題Ⅰ

 1. [Rewind 1997-2003]

 ここ最近の下り坂の原因が、わかってきたような気がする。

 僕はひきこもりの生活から抜け出し、精神科の病院に通うようになって以降、ずっと「とりあえず仕事のことは脇にのけといて」という路線でここまでやってきた。「仕事よりもまず人間関係を」ということだ。それはそれでよかったと思う。実際ここまで、その路線でそれなりにうまくいったから。

 僕がひきこもるようになった直接の原因は、就職活動にコケたことだ。就職活動はやるにはやったが、それはもう見事なくらいに全滅した。びっくりするぐらい全滅した。試験は通るのだが、1次面接でことごとくはねられるのだ。なぜか。自分が何をしたいのかわからなかったからだ。自分がこれから先どうやって生きていって、何をしたらいいのか全然わからなかった。みつからなかった。それまで自分の将来というものについて何も考えてこなかったことのツケがまわってきたのだろう。そんなあやふやな学生を戦力として計算するところがあるとは、いまでもとても思えない。もし僕が面接官だったら、僕は僕をイのいちばんに落とすことだろう。
 そんなわけで、就職活動の途中から僕は面接に行くことを恐れるようになった。志望動機の欄を目にすることがいやだった。履歴書が嫌いだった。3分間自己PRの時間が恐怖だった。目をそむけたかった。逃げたかった。中身が何もない自分の姿を突きつけられることが恐ろしかったのだろう。そして実際、僕はその自己検証の場から逃げることを選択し、自転車とキャンプ道具一式を抱えて北海道へと1ヶ月間の旅に出た。

 北海道は楽しかった。半ば徒手空拳のやけくそで始めた旅だったが、いろんな人に会えたし、ふつうと違う価値観で生きている人にもたくさん会えた。見るべき風景も多く、感じることも考えることもたくさんあった。僕はあの旅からずいぶんなことを学んだように思う。当初予定していた1ヶ月という期間がいつのまにか2ヶ月になっていたことをみても、それははっきりとわかる。
 しかしこちらに帰ってきてしまえば、「就職先未定」という僕の置かれた状況が変わっているはずもなく、僕は以前にも増して狭く苦しい立場へと追い込まれていった。2ヶ月の旅で得た高揚感や充実感はものの2週間で霧のようにどこかへ消え失せ、「どうにかしなければ」という焦りだけを抱えながら、僕はずぶずぶと底のない沼の中へと沈んでいった。そしてそれ以降、中断された僕の就職活動が再開されたことは、一度もない。

 それから2年。
 通院を開始してカウンセリングを受けはじめたとき、僕はただひたすら、「自分が仕事をしていない」ということが気になっていた。とにかくそのことしか頭になかった。何とかしなければと焦っていた。通院をはじめるようになってからだけではない。ひきこもっている当時もずっと焦っていた。悩み、苦しみ、まともに就職できなかった自分をただひたすらに責めていた。不甲斐ない自分を否定していた。見たくなかった。逃げたかった。死にたかった。ずっとそうだった。
 カウンセリング室のドアを開けてからも状況は変わらない。「正規就職ができないのなら、その前段階としてアルバイトをしなければ」というありがちな思いから僕は抜けられなかった。とにかくそのことだけで頭がいっぱいだったのだ。
 でも何度か通って気持ちがほぐれてくると、徐々にではあるけれど、自分は直線的にダイレクトに「就職」へと至ることのできるタイプではないんだということがわかってきた。「急がばまわれ」じゃないけど、自分はいったんまわり道をするしかないんだということに気づかされたわけだ。それに、どれが本当の「近道」かだなんて、結局のところ誰にもわからないじゃないか。そう考えることができるくらい、僕の心はほどけて楽になっていった。それはそれでよかったと思う。少なくとも間違ってはいない。

 こうして僕は、仕事のことは一時棚上げにして、まずは人間関係を作ることから始めることにした。担当医も「仕事よりもまずは人間関係を」と言っていたし、そういう路線でいくことに特段の疑問はなかった。まずは病院のデイケアに通いはじめて、次にひきこもりの人の自助グループ(とびらの会)に行くようになり、それからもっと家に近いところに居場所がほしいということで、地元の精神保健福祉センターが主催するデイケアにも通うようになった。これで足場は3ヶ所だ。居場所は多いに越したことはないと思う。掛け持ちをして「保険」をかけておけば、どこかで何かがこじれた時でも大怪我をしなくて済むからだ。もちろん、数が多ければそれでいいというものでもないのだけれど。

 2000年の夏、仲間と一緒に神奈川にひきこもりの人のための自助グループを作った理由も、いわばその延長線上にあった。地元に自助グループを作った理由は、主に次の3つ。

1.単純にそういうものをやってみたかった。たまたまそういうことを言っている人が近くにふたりほどいたので、軽い気持ちで間に入ってそのふたりを引き合わせてみた。そしたら話がおもしろい方向に転がりはじめた。ややややや。
2.デイケアのような受け身の場だけでは物足りなくなった。もっと積極的に苦労をしてみたくなった。いつまでも「ひきこもり」の世界にだけいることはできないし、こういう苦労は先々何かの役に立つだろうという勘というか、期待があった。
3.地元に行き場所がほしかった。それも、いま行っている精神保健福祉センターのデイケアではないやつ。

 しかしそれにも増して大きかったのは、「4.ほかにやれることがなかった」というものだ。「ほかにやれることもやりたいこともないから、とりあえずこれをやろう」というもの。正直に告白するけれど、実はこれは、僕にとってはすごく大きな理由だった。ほかにやれることがない。

 自助会の方はなんとかうまくいった。ほとんど何もないところからひとつのシステムを構築していく作業は苦労の多いものではあったけれど、でもやっているあいだはとりあえず自分のやるべきことが見えていたし、あれこれ悩まなくて済んだ。目の前にある仕事をただ黙々とこなしていればそれでよかった。身体は軽く、気分は高揚していた。
 自分らなりに心血を注いだだけあって、この分野ではほかに引けをとることのないしっかりしたものをつくることができたと思う。もちろん、参加した人すべてに満足してもらえるものだったとはまったく思っていないし、思いつくだけで実現に至らなかったことだっていくつもあった。正直心残りのまま置き去りにしてきてしまったことだってある(心残りを果たす前に、会に対するモチベーションが切れてしまった)。でも自分なりにベストを尽くしたし、そういう意味では満足感はあった。もしいま「もういちど自助会をやってみる気はありませんか?」と聞かれたら、やはり僕はノーと答えると思う。まったく同じものをふたつ作っても、そんなの意味がない。
 あらかじめ代替わりの利くシステムを用意しておいたため、会の方はあとの人たちに渡して店をたたむことなく残すことができた。そう、人はいつまでも同じところに留まることはできないし、また、そうすべきでもないのだろう。何はともあれ、あとの人たちにバトンを渡せたのは良かったと思う。

 これは自助会のスタッフを降りる前からの話だけど、少しずつ物を書きながら、「ひきこもりについて考える会」へと自分の軸足を移すようになった。理由は、単純に興味があって、居心地がよかったから。自助会を抜けたあとはあまり積極的に居場所を増やさなかったこともあって、気がついたときには、ここが自分にとってメインかつほとんど唯一の居場所のようになっていた。
 この「考える会」というところは不思議なところで、ひきこもりに関心のある人なら誰でもが、立場を越えて集まってきた。そして僕はこの場所を通じて、いろんな人と繋がりあうことができた。「いろんな人が集まる『交差点』のようなところ」というのはほかの誰かの言だったが、たぶんきっと、僕はこの会のそういうところに惹かれていたのだろう。もっともこれは、だいぶあとになってから気がついたことなんだけれど。

 2003年の7月――「考える会」の閉会が唐突に決まったとき――僕はかなり真剣に動揺していた。ここがなくなってしまったら自分は行くところがなくなってしまうじゃないか。「この場所をなくすのはあまりにもったいない」という思いがあったことはたしかだけど、それ以上にこれからの自分の身の置き場のことが切実だった。ここがなくなってしまったら、いったい自分はどうすればいいんだろう??

 「考える会」はいったん閉会したが、幸い「何とかしてこの場所を残せないか」と思っている人がたくさんいてくれたおかげで、ほとんど「存続」に近い形でその姿を残すことができた。まだ動きはじめたばかりで危なっかしいかぎりではあるけれど、僕個人はこの新しい会の先行きについて特に心配はしていない。それは旧会が作ってくれたベースフォーマットがしっかりしているからでもあるし、また、いまのメンバーには力のある面白い人たちがたくさんいるからでもある。なんといってもいちばん大切なのは人だ。カネも大切だけど、いちばん大切なのは人間そのもの。北海道に行ったときからうっすらと心の中に抱くようになった僕のこの考えは、たぶんこの先ずっと変わることがないと思う。でもおそらく、それだけでは足りないのだ。少なくとも僕にとっては、まだほかに補わなければならないものがある。

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2004/01/04

26.「しんどさ」ってさ

 ここのところ自分で何が気に入らないって、目に力がないことだ。

 もちろんここ数ヶ月の不調で、自分でいろいろ気に入ってないところはほかにもいくつかあるんだけど、その中からひとつを選べって言われたら、やはりなんといってもこれだと思う。目に力がない。鏡を見ていて「何かが違うな」って感じる。だから鏡を見るたびに自分で自分にげんなりしてしまうことになる。まったく生気のない目をしてるよなあって。
 断言してしまうけど、まえはこんなんじゃなかった。自分で言うのもヘンかもしれないけど、もっと力のある目をしてたと思うし、また実際そう言われた。それを言ってくれたのは、とある親の会に参加していた親御さん(お父さんだった)。それまではそんなことは全然考えたことがなかったのだけど、実際にそう言われてみたらなんだかひどく嬉しかった。嬉しさがあとからあとからこみ上げてくるような感じだった。自分のやってきたことは間違いではないんだと思えた。

 以来、「目に力があるかないか」ということをだいぶ意識するようになった。鏡を見てなんか変だなあと思ったら、それはどこかで流れが澱んでいるのだと考えるようになったし、そういうときには自分で少しく目に気合を入れるようにした。果たしてそれで効果があったかどうかというのはいささか疑問だけど、ものごとを判断する基準としてはそれほど間違ってはいなかったと思う。そう、目というのは本当に口と同じくらいものを言うものなんだ。よく言われるように、目を見ればその人が自分に自信を持っているのかそうでないのかというのはあらかた察しがついてしまう。目っていうのは本当に雄弁だし、正直だし、ときには残酷でもある。残酷。

 ともあれそんなわけで、最近鏡を見るのが苦痛である。去年の11月くらいからは、鏡を見ていて自分で自分に納得できたためしはほとんどないし、あまりにもそういう状態が長く続いているのでもうなんだか半ば慣れてしまって、最近では「もうひどくなければそれでいいや」みたいな投げやりな感じで鏡に向かうことが多くなった。それはさすがにまずいんじゃないのと自分でも思うのだけど、しかしなかなかそういう流れを止めることができずにいる。
 そして残念なことに、また当初の見込みどおり、まだあと2~3ヶ月のあいだはこういう状態が続きそうであります。そういうのはだいたい自分でわかるんだ。おそらく自分なりに、ささやかな転機に差し掛かっているのだろうなという予感めいたものがある。一種の曲がり角というか。
 だから正直言って、ここのところ毎日がしんどい。胸のあたりがぐーって締めつけられるような感じがするし、抗不安剤のたぐいが手放せない。まったくいったいいつまでこんなのが続くんだろうと自分でも思う。

 でもさあ、こういうしんどい時期にこういう自分を不利な立場に追い込むようなことを言うのはヘンかもしれないけど、この手の「しんどさ」なんて、ひきこもりや元ひきこもりに限らず、誰にでもあるんじゃないかな。「ひきこもりの当事者・経験者である」というだけで、この界隈の人はひきこもりに優しかったり、妙に持ち上げて扱うみたいなところがあるけれど、でも何かしらの「しんどさ」を抱えてるのは、いわゆる「ふつうの人」だって一緒やんということを最近思わないでもない。てか、そういうことをこないだちょっと言われた。そしてそう指摘されて納得できてしまう部分は、残念ながら、ある。
 こういうことを言うとこの界隈では、それこそ「世間の価値観に毒された反動」みたいに言われがちなんだけど、でもひきこもり(いわゆる「できない人」)を擁護・肯定する一方で、いわゆる「ふつうにできてる人」の抱えてるしんどさみたいなものがひどく見過ごされてきたのかもしれないなあとも思う。いわゆる「まっとう」な道を歩いている人だって、それなりの「きつさ」は持ってるんじゃない? ひきこもりである(であった)ということはそんなに悲劇的で特別なことなんだろうか?って。
 もちろんいまさら、世間にありがちな「ひきこもりは甘えである」的“正論”に傾くつもりは毛頭ない。毛頭ないけれど、でもひきこもりや元ひきこもりの人の抱えてる「きつさ」と、いわゆる一般世間で「ごくふつうにやれてる」人が抱えてる「きつさ」を並べて比較してみたとき、ひきこもり側の人の抱えてる辛さの方が大きいなんてことがそう簡単に言えるのかなあというと、正直僕は答えに詰まってしまう。

 そんなわけで最近では、「ヒキ」(嫌な表現…)と「ごくふつうにやれてる人」を区別して考えるのってあまり意味がないのかなーということも考えたりするし(もちろんそれぞれが抱えてる「きつさ」っていうのは、かなり性格の異なるものではあるのだろうけれど)、まして「ヒキ」と「偽ヒキ」を区別して、お互いがお互いを非難しあうなんてのは、わりに不毛な行為なんじゃないかということも思うようになった。べつにひきこもりに限らず、障害者やトランスジェンダーの世界にだって、「ヒキvs.偽ヒキ」みたいな現象は起きているらしいし。乱暴な言い方であるというのを承知の上で言わせてもらえば、そんなの目くそ鼻くそなわけで。
 もっとも、僕がこういうことを言うのは、僕がいわゆる現役バリバリのひきこもり当事者からは少し離れたところに来てしまったからではないかとも思う。「おまえは現場を見てないからそういうことが能天気に言えるんだよ」ってなお叱りをあちこちから受けるかもしれないし、こんなことを書いたら一部の人たちからは結構なバッシングを受けてしまいそうなのであまり気が進まない面はあるんだけど、でもやっぱりそう思う部分はあるわけです。「できる人」の辛さが「できない人」の辛さより軽いだなんて、そんなに簡単に言えるの??って。

 それと僕がもうひとつ考え、そして気持ちの中に抱くのは、「ひきこもり経験者」というだけでわりにちやほやされるという環境に自分は慣れすぎてしまったのではないだろうかという罪悪感もしくは、そこにある種の甘えが存在していたのではないかといううしろめたさみたいな感覚である。きっとこの界隈には自分の経験を語れる人がそれほど多くないからこういうことになるのだと思うが、しかしそういう環境に慣れすぎてしまうと、結果として自分がスポイルされて、あとあともっと苦しみの多い袋小路に入ってしまうのではないかという予感がしないこともない。

 これはこないだある人と話しててすごく意見が一致したことなんだけど、ひきこもりってぬるま湯なんだよね。もしこれが熱湯コマーシャルみたいな激熱の環境ならば、反射的に外に飛び出ていくんだけど、「ひきこもり」もしくは「ポストひきこもり」の状態というのはそうではない。たしかに苦痛や葛藤は感じているんだけど、「でもこのままここにおれんこともないかあ~」的中途半端さというか、一種の居心地の良さを感じている面も確実にあると思う。ぬるま湯ではあっても、熱湯風呂ではないんだ。そこがひきこもりの特徴というか、怖いところなんじゃないだろうか。
 ゆえにその「居心地の良い」環境に慣れすぎてしまうと、おそらくは骨が溶けるみたいにしてずぶずぶと底なしの沼に引きずりおろされてしまうことになるのだろう。正直言って僕としてはそういう先行きの暗いことはあんまり考えたくない方なんだけど、でもたぶん事実なので、少しずつその冷酷な現実に向き合うようにしている(いちおう気持ちだけは)。危機感を持たなすぎるのって、それはそれで危険だからね。少なくとも僕は、ここでこのまま腐って死にたくはないと思っている。

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