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2004/01/14

28.棚の上の命題Ⅱ

 2. [The Warning / So What]

 去年の12月のある日、それまでただの一度も「あなたこれからどうするの」的突き上げをしてこなかった母親に、出し抜けにこれからのことを問い詰められた。あなたがこれからどうしていくつもりなのか、どうしたいと思っているのか聞かせてほしい。唐突にそう告げる彼女の目は、どこからどう見ても真剣だった。

 うちは担当医の指示もあって、ここ数年、その手の突き上げのたぐいをされることはまずなかった。また、それ以前にしたって、その手の突き上げをしてくるのは決まって父の役割だったから、母親がこの手の質問を投げつけてくるというのは僕にとってはひどく意外な出来事であり、もっと有り体に言えば、僕にとってその事実はショック以外の何物でもなかった。単純に言えば僕自身、母はこの手の問い詰めはしてこないだろうという読みというか、甘えがあったのだ。しかし現実は違う。「あなたがこれからどうするつもりなのか聞かせてほしい」と告げる母の言葉には、抜き差しならない決意と怒りの響きがこもっていた。僕はここに至って、ようやくひとつの重大な事実を理解した。いままでそれを口にしなかっただけで、母は母なりにいろいろな思いを溜め込んでいたのだと。

 彼女は続ける。うちはいま転機の中にいる。いままで「安心してひきこもれる環境」をつくってあなたのやることにあれこれ口出しをしないでやってきたが、いつまでもいまの状態を続けていくことはできない。あなたも今年でいい加減30になるんだし、これからどうするつもりなのか聞かせてほしい。それがわかればこちらとしても対処のしようはあるが、いままで何も言わなかったからこちらも敢えて聞かなかった。いままであなたのことを腫れ物に触るようにして扱ってきたからいけないのかもしれないが、それにしても限度がある。追いつめられてから慌ててみても遅いし、いまのうちに前もってちゃんとあなたの考えを聞いておきたい。
 あなたがいろいろと活動していることはぼんやりとは知っている。いままでは医者が「とにかく刺激しないように」と言うので黙って好きにさせてきたけれど、いままでのところを見ていて、私の目には一向に良い結果に結びついたようには見えない。たしかに以前に較べて悪くなってはいないとは思うが、しかしいつまで待っても「稼ぐ」という点に至っていない。私はあなたのことが心配だし、もっとはっきり言えばストレスだ。一人立ちしてほしい。昔に較べたら多少は良くなったのかもしれないが、しかしいつまでたってもひきこもりから抜け出したようには見えない。
 あなたは私なんかよりもずっとものごとをちゃんと考えることができるし、冷静だし、やってできないことはないと思う。なのになぜいつまでたっても一人立ちできないのか正直不思議だ。医者からは「安心してひきこもれる環境を作るように」と言われてきたからそうしてきたが、居心地よくし過ぎてしまったのではないかという思いがある。

 ここまでのことを一気に言われた僕は、彼女のこの意見表明に対して何ひとつ反論できなかった。これからどうする。限度。腫れ物。心配。ストレス。いったいこれになんて答えればいい?
 中でもショックだったのは、自分のことを「ひきこもり」と呼ばれたことである。僕自身の意識の中では、いかなる定義に当てはめてみても、自分はもうひきこもりではないと思っていたのだが、親の目にはそうは映っていなかったのだ。ずいぶんまとめていろいろなことを言われたけれど、煎じ詰めてみれば、僕にとってはそれがいちばんきつかった。これだけの時間をかけたというのに、自分はあの頃から何にも変わっていないのか、と。
 たしかに母はひきこもりの定義なんてよくわかっていないし、彼らが問題にしているのは「稼げていない」というただその一点なのだろう。賭けてもいいけど、彼女はひきこもりと無職の区別だってろくについていないに違いない。しかしおそらく、問題はそんなことではないのだ。ここで厚労省のガイドラインなんぞを持ち出してひきこもりの定義を一から説明してみたところで、そんなものはクソの役にも立たないことなど充分すぎるほどに明らかだ。彼女の抱いている印象というのはある意味とても痛いところを突いている。「稼げていない」。そう、僕がどんなにいままで自分なりにがんばってきましたと主張してみたところで、「稼ぐ/一人立ちする」という観点から見たら、この4年半で何の進捗もないのは間違いのない事実なのだ。僕には反論できるだけの材料がない。

 いつまでも黙っているわけにもいかないので、僕は途切れ途切れに小さな声で答える。その質問に答えるのは簡単ではない。それに答えるためには、いままでの自分の経過についてかいつまんで知っておいてもらう必要があると思う。そう述べたあと、僕は先に書いたようなことを順序を探りながら母に向けて話し、そしてその話の最後に、僕は現時点での暫定的な結論を彼女に告げざるを得なかった。これからどうしていくつもりなのか、どうしていきたいのか、はっきりとした展望はない。


 それまでのひきこもり生活に一応のピリオドを打ち、病院に通いはじめてから、この1月でちょうど4年半になる。そしてこの4年半という期間の中で僕が培ってきたものはといえば、やはり人間関係ということになると思う。人間関係、ただそれだけ。
 でもこの人間関係というものの困ったところは、それ自体に形がないことである。作ってきたものは人間関係ですなどと言ってみたところで、僕はそれを具体的な色や形のあるものとして提示できないし、履歴書にだって書けない。それはそうだ。だからあなたはいままで何をしてきたのかと面と向かって聞かれると、僕はものすごく困ってしまう。
 それにもうひとつ言えば、いままでどれだけ自分なりに努力してきたつもりでも、世間的に見てそれが本当に「人間関係を作ってきた」と言えるほどのものなのかどうか、よくよく考えてみれば自信がない。全然自信がない。所詮は狭い世界におけるささやかな達成にしか過ぎないし、何のかのと言ってみたところで、そんなの丸っきり大したことないんじゃないかってことも思う。この程度のことをやってきた人間なんて、世間にはいくらだっているじゃないか。普通に仕事をもって働いていたら、この程度の経験なんてなんぼでもできるじゃないか。そう考えると、僕は自分で自分の立ち位置がわからなくなる。俺はいままでいったい何をしてきたんだ? 何ができるんだ? 実際のところ、これからどうすればいいんだ?

 こんなことを書くと、僕のことを直接に知っている人たちはこう思って訝しく考えるかもしれない。君はいままでいろいろやってきたじゃないか。それは君にとって大きな財産だよ。いい経験だよ。そういう経験はあとあときっと何かの役に立つと思うよ。これからのことだって、君ならきっとだいじょうぶだよ。そんなに悲観することはないと思うな。実際、少なくない数の人が異口同音にそう言ってくれる。それは僕にとってとても嬉しいことだ。僕にしたって、いままでの自分の時間がただの無意味な消耗だったなどとは思いたくない。
 しかしながら、僕が自分がいままで取ってきた路線に対して何らかの違和感や行き詰まりを感じていることは、もはや隠しようのない事実である。他人の目をごまかすことはできても、自分の目をごまかすことまではできない。
 たとえばいまはこうして、「考える会」を主な居場所としてやっているわけだが、正直僕はこの手の活動に確信が持てない。こういうことはあまり言いたくないけど、もうだんだん若いといえる歳でもなくなってきているし、自分のキャリアを作る上で、こんなことをしていても意味ないんじゃないかと正直思う。ほかにやるべきことがあるんじゃないか。間違いなんじゃないか。ただの言い訳に過ぎないんじゃないか。ただ結論を先延ばしにして逃げ続けているだけなんじゃないか。もうやめたほうがいいんじゃないか。正直そう思う。しょっちゅうそう思う。
 もちろん、僕がいままでやってきたことはそれほど間違いではないと思うし、また、そう思いたい。しかしそれが一向に「稼ぐ」という点に結びつかないことを考えると、<やはり自分のやってきたことは間違っていたのではないか……>という思いにとらわれることになる。だいたいよく考えてもみれば、いままでやってきたことなんてほとんどすべてがボラ(ンティア)なのだ。その線上をどこまで辿ってみたところで、それはカネには結びつかない。

 端的な事実をここで。結局のところ、僕がずっと棚上げにしてきた「自分が何をしたいのか」「これからどうやって食っていくのか」という最初からの命題は、いまに至っても一向に解決していないのだ。僕はあの頃から何にも変わってやしない。病院に通うようになった99年の夏からだけではない。就職活動に失敗した97年の夏から、いや、生まれて初めて進路選択に悩んだ高校3年のときから、ことこの件については僕は何ひとつ進歩していないのである。

 そういうわけでここ最近、僕はこの界隈での活動に力を入れれば入れるほど、深い矛盾の中に落ち込んでいく自分の存在をしばしば確認する。徒労感とまでは言わないにせよ、無力感・無意味感みたいなものはやっててすごくある。
 たしかに僕はいままでのことを振り返って、こう述べることが出来る。いろいろあったけど、なんとかひきこもりからは抜けました。いくつかの場所に顔を出して、友達も知り合いもたくさんできました。携帯だって持ってます。自助会もやったし、いまは「考える会」でやってます。本当に腹を割って話せる友達だって何人かいます。たしかにそうだ。間違っていない。でもそこまで来たとき、僕の前には次のある根本的な疑問が抜かりなくその姿を現す。だからなんだっていうんだ? それでいったいどうなるっていうんだ? その疑問に対する答えを、僕はまだ持っていない。

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