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2004/02/02

30.呪 [spellbound]

 岡野玲子の『陰陽師』という漫画がある。陰陽師・安倍晴明を主人公にした漫画で、原作は夢枕獏の同名小説。テレビになったり映画になったりして一時期かなり話題になったから、記憶にある人は多いと思う。
 この漫画の単行本第1巻(全12巻中第11巻まで既出)の中に、晴明が友人の源博雅に向かって、「名とは呪(しゅ)である」と語るシーンがある。話の内容からすれば、そこは特段大きな場面というわけではないのだが、しかしどういうわけか、僕はそのシーンのことが気になって仕方がない。僕がこの漫画の中でいちばん好きなのは、あるいはこの場面かもしれない。

 「なあ博雅……、この世で一番短い呪とは何だろうな」
 「この世で一番短い呪……? しかし何でおれが考える? おまえが教えるべきじゃないか?」
 「さっき言ってやったろう? 名だよ」 
 「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か?」
 「そう。山とか海とか樹とか草とか、そういう名も呪のひとつだ。呪とはようするに、ものを縛ることよ。ものの根本的な在様を縛るというのは名だぞ」
 「たとえばおぬしは博雅という呪を、おれは晴明という呪をかけられている人ということになる。この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何でもないということだ。存在しないとも言える」
 「難しいな。おれに名がなければ、おれという人はこの世にいないということになるのか?」
 「いや、おまえはいるさ。博雅がいなくなるのだ」
 「だが博雅はおれだぞ。博雅がいなくなればおれもいなくなるだろう?」
 「…………。眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる」

 5年以上も前。
 僕がひきこもっていた時、自分にとっていちばんきつかったのは、自分の状態が何なのかわからないということだった。自分でもまずいとは思っていた。自覚はある。しかしいまの自分の状態が定義できない。一種の精神病なのだろうかとも考えたし、単なる怠けなのかもしれないとも考えた。いろいろと考えてはみたが、それでも自分の状態がわからなかった。地図もなければ磁石もなく、方向も名前もないという混沌の中。だからこそ僕は、なんとか自分の体勢を立て直そうともがき、より深く後悔と反芻の世界を漂った。いまの自分の状態はいったい何なのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。早く何とかしなければ。でも結果的には、僕は考えれば考えるほどわからなくなり、そしてそのうち、僕は考えるのをやめた。すでにその頃には、考えることもできないくらい消耗していたから。
 そしてそんな消耗にほとほと疲れきった頃、僕は偶然、「ひきこもり」という言葉に出会う。はじめは自分には関係のない他人事だと思っていたのだが、いろいろと本を読んで調べるにつれて、もしかしたら自分はこれなんじゃないかと思うようになった。この本に書かれていることというのは、まるで自分のことみたいじゃないか。そういう感覚は、それまでに読んだどのような本からも得ることのできない種類のものだった。

 振り返ってみれば、あそこで通院を始めたことが自分にとっての大きな転機だったのだと思う。通院を転機にして、それ以降いろんなことが良い方へ良い方へとまわりはじめた。信頼できる援助者たちに出会い、同じ悩みを抱えた人たちの集まりに顔を出すようになり、親の理解を得ることにも成功し、そしてたくさんの友だちもできた。もちろん僕の精神状態は急カーブを描いて快方へと向かった。
 これは以前から述べていることだけど、医師から「ひきこもり」という名前を与えられたあの時点で、僕の悩みは半分解決したのだと思う。なぜって、いま自分がどこにいるのかわかれば、どっちに向かって歩けばいいのかもわかるから。言うなれば、自分を定義する言葉を与えられたあの時点をもって、僕はそれまでのひきこもり生活から抜け出すことに成功したのだ。これはいまでもそう思っている。

 しかしものごとというのはそんなに簡単ではない。
 あれから4年半。このひきこもりの問題から早く抜けたいと願いながら、ずるずるといまだにこの問題にかかずらっている自分がいる。いつまでたってもここから離れることができないし、また、まだしばらくのあいだはここから抜けられないであろうことも予感している。たぶんきっと、このひきこもりというのは僕にとって一生ついてまわる問題であり、また結局のところ、自分はここからしか出発できないのだろう。そういうことも、薄々ながら自覚はしている。
 しかしそうではあっても、いつまでもこの場所に縛りつけられたままの自分を、そしていつまでも次のステージに移行できずにいる自分を見ていると、「いったい自分はいつまでここに居ればいいんだろう?」といった疑問や焦りが頭をもたげてくる。どうして自分はいつまでもこの界隈から離れられないのだろう、なぜこんなにもひきこもりに典型的な悩みをいまもって引きずっているのだろう。それはここ数年間――特にここ最近の僕にとって、かなり切実な問題だった。まったく、こんなの全然笑えた話じゃない。

 名前を与え、付与すること。
 僕はずっと、あそこで「ひきこもり」という名前を与えられたことは自分にとって救いだったと思っていたのだけれど、でも最近になってようやく気がついた。たしかにあれは自分にとってひとつの救いではあったけれど、しかし同時に、それは呪いでもあったのだと。医師にそんなつもりがなかったことは僕にもよくわかっているが、でも結果的に見れば、彼は僕にひきこもりという呪をかけ、僕という人間の根本的な在様までをも縛ったのだ。言霊の力というのは恐ろしい。
 僕はいまの担当医に出会えたことをとても幸運で幸せだったと思う。でもときどき、「うちの主治医も罪なことをしてくれたものだよなあ」などと思ったりもしている。その人から名前を奪うのは残酷なことだけど、ある意味においては、名を付与することもまた、それと同じくらい残酷なのではないか。まあそんなことを言ってみても、これは仕方がないんだけどさ。

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