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2004/02/08

31.猫の幸せ

 先日、母が家の近くで猫の死体を発見した。死体で発見されたのは、うちのまわりでよく見かけたグレーの可愛らしい猫だった。首輪をしていたのでどこかの飼い猫らしいということまではわかっていたのだが、どこの家で飼われているのかまではわからなかった。うちの向かいの家はなんとなく近所の猫の集会所みたいになっているので、ベランダから眺めていても、近所の猫たちがちょろちょろしているのがよく見える。その子は僕もよく見かけた。飼われているせいか、わりに人なつっこくって、うちにもよく餌をねだりにきていた。
 母がその子の死体を見つけたのはうちからすぐ近くの道路わきだった。道路といっても住宅地のなかにある狭い道路で、場所によっては車1台分ぐらいの広さしかない。ただその道はちょっとした迂回路みたいになっているので、狭いわりには車はよく通る。中には結構なスピードでぶっ飛ばしていくバカも少なからずいる。すぐそばには小学校もあるので、時間によっては運転していて結構気をつかう道路だ。
 道ばたで死体を見つけた母はいつまでもそうしているわけにもいかないので、とりあえずその子を毛布にくるみ、飼い主が誰かを調べてからその人が住むアパートへと運んでいった。飼い主のおじさんは最初何のことだかわからず、しばしきょとんとしていたようなのだが、徐々に事情が飲み込めてくると人目を憚ることもなく大声で泣き出し、それからしばらくするとうちにスコップを借りに来て近所の公園にその子を埋めに行った。彼はその子のほかにもう1匹猫を飼っていたのだが、死んでしまったほうの猫は2匹の中でもよくなついていたほうだったらしい。もう1匹のほうもよく見かけたけれど、たしかに死んでしまった子のほうが可愛らしかった。毛並みもきれいだったし、その前の日には近くの草むらにその子が駆け込んでいくのを目にしたばかりだった。きのうはあんなに元気だったのに……と思うと、どうしてもやるせない気分になってしまう。

 奇妙だったのは、その死んでしまった子の姿である。僕は直接見ていないからあくまで母からの伝聞なのだが、体には目立った外傷もなく、ただ鼻というか口の辺りから血を流していたという話だ。死んでいた場所から考えれば、走ってきた車に轢かれるなりぶつかるなりしてしまったと考えるのが妥当な線なのだが、それにしては目立った外傷がないというのはどうも変だ。車に轢かれたのであれば当然それとわかるような傷や痕が残るだろうし、急に飛び出して車の側壁にぶつかったのだとしても、口や鼻から血を流しているだけというのは何か不自然な気がする。母と二人で変だね変だねとしばらく話していたのだが、そのとき不意にイヤ~なことが頭をよぎってしまった。毒殺である。

 猫に限らず犬でもそうだけど、世間には犬嫌い・猫嫌いの人が少なからず存在する。数年前には餌に毒を混ぜて近所の犬を何匹も殺してしまったという事件も報道された。動物好きにしてみれば「なんて酷いことを……」となるのだが、残念ながらそれくらい動物を嫌っている人がたくさんいることもまた事実である(もちろんそれがいけないというわけではないし、糞尿の始末をきちんとしない飼い主にも大いに責任はある)。また、実際にそういうことまではしなくとも、いつかそうしてやりたいと密かに心に思っている人ならもっとたくさんいるかもしれない。
 実際、いまうちで飼っている猫をもらってきたときには、里親の人にそのあたりのことをうるさく注意された。外に出してはいけない。車だけでなく、猫エイズなどの病気を持っている猫もたくさんいる。外に出さなくても予防接種は必ず受けること。それにいちばん怖いのは人間だ。世の中には猫嫌いの人もたくさんいるし、中には毒を盛って殺してしまうような人だっている。中学生が猫を捕まえて土の中に埋め、尻尾を切ったり足を切ったりしながらじわじわとなぶり殺しにするという話も聞かされた。さすがにそれはちょっと極端なんじゃないかと話を聞きながら僕は思ったけれど、しばらく前には子猫を少しずつ殺していく様子を写真に撮って2ちゃんの掲示板に流すというブタ野郎が現れたぐらいだから、こういう話もまんざらありえないことではないわけだ。

 ともかく、その猫が毒を盛られて殺されたという可能性は否定できないもののように思えた。うちの近所は猫好きが多いからしょっちゅう近所の猫がちょろちょろしているし、それだけ数が多ければ、猫嫌いの人がそっと餌に毒を混ぜたということも考えられなくはない。ちょっと弱めに毒を盛っておいて、それを食べた猫が苦しみながらしばらく歩き、最後に力尽きて倒れたところがたまたま道路のそばだったと考えれば、道端で倒れていたことにも一応の筋道は立つ。口と鼻からしか血が出ていなかったことも、そう考えればそれなりの説明がついてしまう。
 もちろんそれはあくまでひとつの仮説でしかないし、いまとなってはそれを確かめる術なんてない。あるいは最初に考えたとおり、ただ単に車にぶつかって死んでしまっただけのかもしれない。でも母の見た現場の状況から考えれば、毒殺説を否定しきるだけの根拠もないように僕には思えた。もっともいまとなっては何を言ってみたところですべては土の中だし、本当のことはもう誰にもわからない。残ったのはスコップについた土と、近所にそういう人が住んでいるのかもしれないという薄ら寒い予感だけ。

 うちでは2年ほど前から猫を1匹飼っているが、里親のきつい言いつけもあって、外には出さずに完全室内飼いにしている。狭い家の中でしか生活できないなんて可哀相だとは思うけれど、街なかの住宅地に住んでいる以上やむを得ない。だからうちの猫は生まれてこのかたほとんど家の外に出たことはないし、自分でえさを捕ることだってできない。えさは自分で捕るものではなく人間にもらうものだと思っている。外の世界のことなんてなんにもわからないし、もし何かの事情で外におっ放り出されてしまったら、いくらもしないうちに野垂れ死んでしまうことだろう。
 自分でえさを捕ることもままならず、家から外に出ることもないなどというのは猫として不自然だとあなたは言うかもしれない。正直に言えば、僕だってそういうふうに思わないことはない。自由に外を走り回って獲物を捕って、蚤にまみれつつも好きなときに好きなところに行って、自立して生きる方が猫としてよほど自然なのではないかと思う。
 でも、言っておきたいのだけど、野良というのは決して楽ではないのだ。
 よく「猫っていうのは気楽でいいよね、好きなときに起きて好きなときに寝て、何に縛られることもなく自由に生きられるんだからさ。生まれ変わったら猫になりたいよ」みたいなことを言う人がいるが、現実はそんなにお気楽なものではない。外の世界には自動車や人間をはじめ、身の危険になるものがたくさんある。夏は暑さに耐え、冬は寒さに凍えなければならない。雨が降れば小さな体を濡らしながら空が晴れるのを待たなければならないし、雪が積もればひたすら寒さに震えなければならない。栄養状態が良くないからおしなべて身体は小さいし、猫どうしの縄張り争いで傷つくこともある。ときにはその傷が致命傷となって短い命を落とすことだってある。飼い猫の寿命が十数年あるのに対し、野良の寿命は平均で5年前後といえば、彼らがどれほど過酷な世界に生きているのかおおよその見当はつくと思う。つまり、一見気ままに暮らしているように見える彼らが得ている「自由」というのは、そういう代償を引き受けた上で得られる小さな自由のことなのだ。言うまでもないことだが、彼らの住む世界にはこたつもなければクーラーもないのだ。こたつで丸くなれるのは飼い猫だけに許された特権である。

 さて、うちで飼っている猫(「だいず」 オス・3歳)だが、狭い家の中しか知らないわりには、特にこれといった不満もなく暮らしているように見える。あるいはそれはただ単に飼い主のひいき目に過ぎないのかもしれないが、でもそう見える。近所の野良たちに較べると図体ばかりがでかくて、外の世界を生きていることが醸し出すタフさなんてものはかけらほども見当たらないけれど、その代わり目立った傷もなければ毛並みもきれいだ。なにより、人間に対して警戒心を持たない。人間の前では平気で腹を見せてゴロゴロと喉を鳴らし、そのうち何の警戒心もなく伸びきった手足をぴくぴくさせながらぐるんと丸くなって寝てしまう。食べ物にも不自由しないし、身の危険だって感じない。エサをほかの猫に取られる心配なんて全然ない。見てるとすごく幸せそうである。
 たしかに彼は外の世界のことを知らないわけだが、でもそのことで特段の痛痒を感じているようには見えない。たまにベランダから外の景色をじっと眺めていることはあるにはあるけど、だからといって「脱走」して外に出て行こうとするわけではない。まあ彼にとっては、世界というのはほぼこの家の中だけで完結しているようなものだから、外に出れなくて辛いも何もないのだろう。知りもしないものを欲しがるなんてことは、誰にもできないのだから。

 うちで飼っている猫はだいず1匹だけだが、うちに遊びに来るというか、餌をねだりに来る猫が1匹いる。名前は「クロ」といって、以前は近所で飼われていたのだが、その後捨てられて野良になった黒猫である。
 うちのだいずは「お友達」が来ると嬉しいらしく、クロが来ると喜んで網戸越しにへばりついて、飽くこともせずにじっとクロの姿を眺めている。クロはクロでだいずになんか興味はなくて、窓越しにじっとこちらを見つめて、ただ辛抱強く餌がもらえるのを待っている。向かい合った2匹の思いはかくのごとくまるで噛み合っていないのだが、しかし傍から見たら、たぶんこれはちょっと絵になる微笑ましい光景だと映ることだろう。「窓越しに見つめあう冬の猫たち」みたいな感じで。
 でも、網戸越しに顔を合わせているクロとだいずの姿を見ていたら、なんだかこの薄っぺらな網戸一枚が、恵まれた者とそうでない者との間に横たわる冷徹な壁を象徴しているように僕には思えた。ほんとに世の中っていうのは、つくづく不公平にできてるんだ。彼らを隔てているのは薄っぺらい網戸1枚でしかないけれど、しかしその両側にある世界の差は決して小さくない。その片側にいるのは食べものを探してあちこちを徘徊する痩せた黒猫であり、その向こう側にいるのは、飽食に慣れた世間知らずのお坊っちゃん猫なのだ。まったくいったい、どうしてこんなことになってしまったのだろう?

 「猫の幸せって何だろう」ってことをたまに考える。外の世界をしぶとくしたたかに生きている方が猫として自然なような気もするし、家の中でぬくぬくと過ごしている方が幸せなような気もする。厳しくとも自立している方が幸福な気もするし、窮屈でも気楽な方がよほど幸せなような気もする。どっちだろう、正直よくわからない。
 だからたまにうちの猫に向かって、「だい、おまえは恵まれてるんだぞ! クロには屋根もなければゴハンもないんだから。野良の子たちはいまごろ、猫団子になって凍えてるんだから」ってなことを言ってみるのだけど、もちろんこいつはそんなことなんにもわかってない。むしろ「ボクはいぢめられて不幸なんだ」ってな顔をしてる。まあ、それも無理はないんだけどさ。だいたい僕にしたって、そんなえらそうなことを言えた義理じゃ全然ないしね。彼の前では言葉は乾く。そしてそんなふうにして僕は、今日もまた変わることのない1日を過ごしている。

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