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2004/07/04

41.日焼けについて、いくつかの省察

 すっげー暑い。

 今年はカラ梅雨にちがいない。梅雨の時季は頭ん中までカビ臭くなるからキライだ、という僕みたいな人間にとってはありがたいような嬉しいような万々歳ハラーショな事態にほかならないわけだが、しかしここまでクソ暑い晴れ間が続くと、ちょっともういい加減にしてくんないかな森田さん的思いが頭をもたげてくる。たまに珍しく雨が恋しくなったりしてね。ちょっと一雨降らないかなあなんて。それにしても紫陽花やかたつむりさんたちは今頃どうしてるんだろう?

 と、カラ梅雨に対して文句のひとつもぶつけてみたくなるわけだが、しかし晴天が続くことで好ましいこともある。ひとつは雨続きで気分までじめじめしなくて済むことで、もうひとつは早いうちから日焼けにいそしめることである。例年なら6月の終わり頃からぽちぽちと海に通ったりなんかし始めるのだけど、今年はも少し早くて、6月の頭ぐらいから何度か行った。
 さすがにそれくらいの時期では少し涼しくてあまり日焼けは捗らないのだが、それでも「梅雨前にお陽様を拝む最後のチャンスだ!」ってな感じで10年落ちのバイクに乗って江の島の近くまでせっせと出掛けたりした。バイクだと江の島までうちから50分ぐらいで行ける。

 よく人から「焼けてるね」と言われることが多いのですが、日焼けは好きです。むかしはそんなことは全然なかったのだけど、いつぐらいからかなあ、4年ぐらい前から天気が良いと海まで出掛けて、のんびり本を読んだり適当に音楽聴いたりしながら、浜辺でぼけっと時間を過ごすことが多くなった。もちろんこれは、暑い夏のあいだの話。
 以前にもどこかで書いたのだけど、浜辺というのはたえず風が吹いているので涼しいのです。元々クーラーが苦手で、家ではなるべく扇風機派であるところの僕は、家でクーラーつけてへばってるよりかは自然の風を受けている方がずっといいと考える。本は読めるし気分は変わるし、電気代だってかからない。運が良ければ多少は目の保養になるという特典もある(←これ重要)。それに海辺というのは、昼間からサーフィンしてる人がいたり犬を散歩させている人がいたりと、どことなく自由な雰囲気があるから居心地もいい。だってみんな短パンにサーフ系のTシャツみたいなゆるゆるのカッコしてるんだもん。そりゃ気分が楽ですよ(ちなみに僕は泳ぎに行くわけではない。なぜなら僕はまったく泳げないから。まあこんなことだから「陸サーファー」とか言われちゃうんだけどね)。

 長々と海辺にいれば、当然焼けます。というか、焼きに行くのが目的の半分。だから天気の良い日にしか海には行かないし、風の強い日にも行かない。強い風で皮膚の温度が下がると日焼けの効率が落ちるからです(逆に温度が高いとよく焼ける。炎天下に裸で運動していたりすると、そりゃもうあっという間)。

 むかしは日焼けが好きじゃなかったと書きましたが、これは本当です。いなかが海のない山の中だったせいもあって、「夏本番! 海か?山か?プールか?」といえばまず間違いなく山だったし(別に本屋でも良いのだが)、海水浴なんてものに最後に行ったのはたぶん幼稚園のおわりの頃じゃないかと記憶している。とにかく海に縁のない家だったのです。当然川で泳いだという経験もない。そもそもまったく泳げないしね。水が怖かったんだ、子どものときから。

 日焼けが好きになったというか、焼けるようになったのは、自転車ツーリングをするようになってからだ。ツール・ド・フランスに影響されてマウンテンバイクを買い、ツーリングを始めるようになったのだが、2週間とか1ヶ月とか旅行をしてると、これはもう嫌でも焼ける。なにしろ日中の8時間とか9時間を自転車漕いで走っているのだ。2週間もすればきれいにまっ黒。それも不可抗力的に。これは経験のある人なら実感としてわかると思う。
 ツーリングを始めたての頃はこの日焼けをするのが嫌で、無謀にも日焼け止めクリームなんぞを塗ったりしていたのだが、しょせんは無駄な抵抗。太陽の力にはかなわない。それにクリームを塗ると風呂に入れなかった日にはとても気持ち悪い思いをするので、じきにあきらめてやめてしまった。それからは日焼け街道一直線。程なく全身まっ黒になった。
 それまでは日焼けを嫌がっていた僕だが、すっかり焼けてみると「日焼けもいいもんだな」と思うようになった。要は逃げ場がなくなって開き直ったわけだが、その「尋常じゃない焼け方」に一種尊敬のまなざしを受けたことも少なからず影響したと思う。「これだけ焼けてるってことはこの人相当走ってきたんだな」と、まわりの人はあたりをつけるからだ。「この人すげぇ」という視線を感じると、当然気分は良くなる。

 それと、まめに肌を焼くようになったもうひとつの理由は、ひきこもり期に対する反動という面がある。これは断言してしまってもいいだろう。
 勝山実さんの『ひきこもりカレンダー』という本に、「八月 まったく日焼けしていない自分に気づく。外に出るのが恥ずかしい」という記述があったが、要約してしまえばそういうことだ。これは僕にも身に覚えがある(僕はこの本の大ファンなので、何度でも引用してしまう)。
 いまでも印象に残っている出来事。あるとき伊東の海水浴場に立ち寄ったら、まわりの人がみんな健康的に夏焼けしていて、気後れして浜に入れず、逃げるようにしてそそくさとその場を立ち去ったことがあった。もちろんこういうときというのは、まわりの人すべてがイケてるように、夏を楽しんでいるように見える。自分だけが救いようのないダメ人間であるように思える。自分だけが生っ白い肌をしていることが死ぬほど恥ずかしかった。自分はあちら側の世界には属していない人間なんだということを、行きたくても入れてもらえない存在なんだということを嫌というほど思い知らされた。だから僕はそのまま、なるべく彼らの姿を見ないようにしながら、ドアを閉めて車を走らせた。
 夏場に人の多いところに行かないようになったのはそれからだ。もちろん、「行かなかった」というよりは、「行けなかった」という方が近いんだけど。そんなところにわざわざ自分から飛び込むなんて、自殺行為以外の何物でもない。

 自分で意識することはほとんどなかったが、どこかにひきこもりのイメージから離れたいと思っている自分がいるのだろう。たまに親御さんなどから「(経験者には)見えないですねぇ」と驚かれると、いまでもつい嬉しくなる。「よしよし」と内心ガッツポーズだったりする。日に焼けているということがどこか優越感を誘う部分があるので(逆にいえば、まわりが黒くて自分が白いと劣等感を感じるので)、なるべく早めに、本格的な夏が来る前にせっせと焼きはじめるわけだ。もっとも、この時期色が黒いことが多いせいか、しばしば「アクティブな人」と誤解されることがあるのは少々困ったことというか、「そんなことないんだけどなぁ…」と思ってしまうところであります。

 最後に日焼けについて、気がついたことをふたつほど。
 気づいたことのひとつは、日焼けというのにはどうもアディクト的傾向というか、やり始めるとキリがなくなるところがあるように感じる。それはたとえば、ダイエットとか拒食症とか、筋トレとかボディビルなんかをイメージしてもらうと近いのかもしれないが、「別にそこまでやらんでもいいだろう」と周囲の目には映ったとしても、本人的には「もっと焼かなきゃ、もっと黒く……」という意識が働いてしまうということです。まわりに自分より黒い人がいたりすると、「負けてたまるか」と思ってさらなる日焼けにいそしんでしまったりとか。自分でもたまに、なんでこんなことやってるのかわけわからなくなったりすることがあるのですが、それでもそういう観念にとらわれてしまうところがこの問題の困ったところである。まあ、そんなアホなことをやっているのは僕だけなのかもしれませんが。

 気づいたことのもうひとつは、日焼けをすると出っ張ったところから焼けるという法則。つまりは、鼻のあたまとか、ほお骨とか。逆に引っ込んだところは焼けにくい。目の下とか、みぞおちとか。日光に対して垂直になっている面が焼けやすいという傾向は確実にあるので、落ち窪んでいるとそうなりにくいのかもしれない。あるいはメラニン色素の多寡の問題なのかもしれないが。
 で、さっき気がついたのだが、女性の場合はどうなのだろう? 体格が違うからよくわからないけど、やっぱり出っ張ったところから焼けるのかな? でも胸より先に腹が焼けてたら笑えるな。笑えないか。これには少しばかり興味のあるところだけど、聞いてまわるわけにもいかないし、あとで毒入りのお中元なんかが届くと困るので、とりあえずこの辺にしておきます。ではでは。

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