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2004/11/14

56.スロープと私

註:これはもう1年ぐらい前に書いたものなので、内容的にちと古くなっています。時制が違うので読んでるとちょっとややこしいのですが、ともあれそういうことでご勘弁ください。

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 先週の日曜にラグビーを見てきた。ラグビーの試合を生で見るのは生まれて初めて。1年ぐらい前から「1回生で見てみたいもんだな~」とぼんやり思っていたのだが、なかなか機会がなくってすっかり延び延びになっていた。なんというか、わりに腰が重いたちなのです。ものごとを始めるのにひどく時間がかかる。それに、本格的なラグビー・シーズンって冬なんだよねえ。寒いんだよ、マジな話。そりゃ腰だって重くもなるってもんさ。
 でもこないだオーストラリアでラグビーのワールドカップがあってちょっと気分的に盛り上がったし、天気も良かったから気分転換にちょうどいいかと思って出かけてみた。晴れた日曜日に家でくすぶっていてもしょうがないし、やっぱり一度生で見てみないことにはわからんものって結構あるから。

 見に行ったのは早稲田対明治の早明戦。深い理由は特にない。たまたま日にちがいちばん近かったのと、それから何といっても大学ラグビーにおける「伝統の一戦」だから。今年の対抗戦は早々と早稲田が優勝を決めてしまって、最後に残ったこの早明戦もすでに消化試合になっていたけれど、しかしそこは伝統の一戦、優勝関係なしでもおもしろいゲームが見れるんじゃないかと思ったのだ。どうせ見るのならおもしろいカードの方がいい。そうですよね? 悪いとは思うけど、わざわざお金を払ってまで青学対立教の試合を見に行こうとは思わないもの。
 それにしてもラグビーっていうのは、社会人のトップリーグよりも学生リーグの方が人気があるんだから不思議だ。むかしの野球も、プロより大学野球のほうが人気があったっていうけど、つまりはそんな感じなのかなあ?

 ところで、早明戦を見に行ったことと自分が早稲田の卒業生であることには特にこれといった関係はない。えーと、たぶんない。べつに隠し立てをするつもりはない。僕は早稲田大学というところのOBです。もっとも学校にいるあいだは全然勉強しなかったし、卒業するまでに5年半もかかった落ちこぼれの学生だったんだけどね。
 さて、一応その有名私大のOBである僕だけど、その大学時代に蹴っつまずいて、その後のひきこもり生活になだれ込んだクチだから、正直言ってあの学校にはあまり良い思い出がない。良かった思い出ももちろんあるが、そうでないことの方が印象は強い。特にこれといってあの学校に恨みがあるわけではないのだが、でもいまでも何か釈然としない気持ちを抱えていることは隠しようのない事実だ。それが証拠に、僕はあの学校を卒業した98年以来、いちども早稲田というところに足を踏み入れたことがない。べつにあの界隈に立ち入ることに言いようのない恐怖とトラウマを抱いているわけではないのだけれど、でもなんとなくそういう機会がなかったのです。きっと単なる偶然の問題なんだと思うけど。

 ともあれ、そういう苦い思い出を抱えているものだから、僕には愛校心というものがまるっきりなくて、野球の早慶戦だって「ふんっ」てな感じで一度も見に行かなかったし、正月の箱根駅伝で自分の出身校を熱心に応援したりすることも全然ない。はっきり言って早稲田の成績や順位なんてどうでもいい。そういえばいつだか早稲田の入学式で、校旗に唾を吐いたという理由でひとりの学生が入学早々退学処分になるという事件があったが、この時も僕は、彼のとった行為に対して密かに心の奥で拍手を送っていた。実際のところ、その程度の感覚しか持てないのだ。「都の西北」なんてべつに興味ないし。

 で、その僕が早明戦を観に行った。早稲田のOBだからということは特に関係ない。特に関係ないのだが、その早明戦の現場で僕はある発見をした。それも2つ。
 発見のひとつめは、スタンドで応援している学生がみなひどく眩しく映るということである。もちろんこれは早明戦や国立に限らず、どこにいても同じように感じることなのだが、一箇所に大勢の大学生が多数集まっていたせいか、とりわけそれを強く強烈に感じた。若くて眩しくて可能性に溢れていて、それでもって屈託がない。ついでに言うと、明治にも結構かわいい子が多かった(ごめん、こういうとこしか見てなくて)。そう、残念なことだけれど、僕にはもう彼らほどの若さもなければ選択肢もないのだ。これから先、彼らに較べれば限られた可能性の中でしか生きることができない。多くの可能性に満ち満ちた彼らの姿を見ていると、半ば嫉妬にも似た思いを感じる。もっとわかりやすい言い方をすれば、僕は彼らのことが羨ましいのだろう。彼らは僕にないものを持っている。

 発見のもうひとつは、自分でも知らず知らずのうちに早稲田を応援していたことである。全体の展開が見やすいようにと思って、バックスタンドの真ん中付近に陣取ったのだが、気がついたら中央よりも早稲田寄りのサイドに座っていた。ゲームはほぼ早稲田のワンサイドだったから、判官びいきで明治を応援してもよさそうなものだが、それだけは断じてしなかった。早稲田が勝つべくして勝った試合を見届けたあとは、「そりゃそうだよな」という納得や満足にも似た気持ちを抱えて家路に着いた。自分が内心早稲田を応援していたことに気づいたのはその帰りの電車の中でのことだ。これは僕にとってちょっとした発見であり、同時に少なからぬ驚きでもあった。なんてこった、こんな俺にも愛校心なんてものがあったんだ、と。

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 そしていま、僕の手元には「あかね」というお店のチラシがある。「あかね」というのは「だめ連」がやっている喫茶店のようなもので、この手書きのチラシは、こないだ神長さんとペペさん(ともにだめ連を運営しているヒト)にお会いしたときにもらったものだ。「木曜日だったら大体いますから、よかったら来てください」。ペペさんはそう言って僕にこのチラシをくれた。
 このときの集まりはなかなか楽しいものだったので、面白そうだからちょっと行ってみようかとも思ったのだが、問題がひとつあった。「あかね」の所在地である。あろうことか、かつて僕が行っていた学校の、キャンパスのすぐ目の前にあるのだ。ふだん通ることのない位置にあるから当時は気がつかなかったのだが、どう考えても見逃しようがない位置にその店はある。そこから道を1本挟んだ向こう側には、かつて僕が通ったキャンパスや体育館、そして講堂や教室へと向かう長くなだらかなスロープが見える。
 「あかね」に遊びに行くということはつまり、僕がかつてあの言いようのない孤独感や疎外感を感じた場のすぐそばに行くということだ。その場に立ったとき、僕はどういう思いを抱くのだろう? かつての嫌な記憶をフラッシュバックのようにして唐突に思い出すのかもしれないし、あるいはとりたてて何の感興もなしに、ただ傍観者的にその場を見つめるだけかもしれない。どっちだろう、それはわからない。ためしに行ってみてもいいような気もするけれど、でもやっぱり行きたくないような、妙な感覚だ。うまく言葉にならない。

 でも、ある程度は時間が解決するのかもしれないな、と僕は思う。以前に較べて少しずつ心がほどけているというか、自分自身の過去の苦い記憶に対して、少しずつではあっても歩み寄りが出来てきているのかもしれない。
 むかしは大学時代の嫌な夢を見た。ほぼ毎日といっていいほど、眠りにつけばほぼ必ずといっていいほど、逃れたくても逃れられない定例の拷問として、僕はあの頃の夢を見た。それが高じた結果、僕はいつしか、あのエンジ色の記憶に対して憎しみすら覚えるようになっていた。決してあの場所が諸悪の根源というわけではなかったというのに。

 いまのところ例の「あかね」には行っていないが、それでも時々、僕はスロープや体育館のことを考える。所在なしに入り浸った図書館や、いつもひとりで食事をした学食のことを、中庭の噴水や売店のことを。あそこはいまどうなっているのだろう?
 いつかそのうち、僕はあの場所と和解することができるのだろうか?

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