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2005/02/06

60.病は気から

 病は気から、ということを考えています。そんなことを言うと「甘えだ/怠けだ」と言っているみたいでなんだかあれだし、決して気持ちの問題がすべてというわけではないのですが、それでもなおかつ。

 1月の最終週は風邪で寝込んでいました。月曜日に友だちに会って、そのときに喉が痛かったので、「あ、これは変だな」と思っていたのだけど、そこそこ処置をしていたにもかかわらず、うちに帰ったら徐々に症状が悪化。次の日起きてみるとすでに喉が腫れ上がっていました。これはいかん。完全な風邪だ。喉風邪。僕はむかしから喉や気管支系がやけに弱くて、何かあるとすぐに喉がダメになってしまいます。いわんや、カラオケなんてもってのほか。
 それからいくらもしないうちに悪寒及び発熱等風邪の諸症状がフルコースのようにして流れ込み、ろくに起き上がることもできないような有り様に。喉は腫れる。声は出ない。鼻ぐずぐず。咳は出ないが熱はある。僕はわりに風邪を引きやすいたちで、決まって年に数回は引くのですが、今回のはちと重い。治りが悪い。結局火曜日から木曜日までぐずぐずと寝て過ごしておりました。家に誰もいないときに病気になるのってなかなか辛いものですね。助けを求める人はどこにもいないし、あれって結構孤独なもんです。ひとりでりんごの皮を剥いて台所でもそもそ食べてるときなんか特にそれを感じます。言い知れず気持ちがうらぶれてくるのが自分でもわかる。結局のところここには誰もいないんだなあって。人もいなけりゃ猫すらいない。ひどいもんだ。寒さが身に沁みます。

 その後、金曜日にはだいぶ良くはなったのだけど、その日にあった診察とカウンセリングの予約はパス。近場ならまだしも、病み上がりの身体を抱えて片道2時間を行くのは少しばかりためらわれました。その週末にスノボの初滑りに行く予定があったのもこの決定を後押し。そのスノボにしたって、「もうめんどくせえから行きたくないな~」というのが偽らざる本心でしたが、まわりの人に迷惑をかけるわけにはいかないので、なんとか土曜日までに治さなければならない。そのためにはここでの外出はあまり好ましくない。そう結論づけてもう1日家でぐだぐだしてることにしました。そういうのって単なる出不精ではないかという気もしないではありませんが、結果から見ればここでの判断は適切なものだったように思います。電話口で話したカウンセラーさんがやけに確信に満ちた声で、「今日はやめといた方がいい」と言ったぐらいだから、それなりに声がおかしかったのでしょう。たぶんね。

 それにしても体力が落ちたなあと、風邪を引いて体調が悪くなるたびに思います。今回のはちょっとひどかったから少し別にするにしても、それにしても風邪を引くようになった。これはここ1,2年のことではなく、遡ればここ5年ぐらいはそうであるような気がします。そして拙い勘でものを言わせていただければ、これは加齢に伴う体力の低下というのとはそれほど関係が無いような気がします。要因はもうすこし別のところにある。僕の勘はそう告げています。正確な根拠を求められても困るのですが。
 そのむかし、ひきこもっていたときはこうではなかったように思う。まえに経験者2,3人で話していたときに、ひきこもりから出てからの方が風邪を引くようになったという話になったことがあります。その前は風邪なんてほとんど引かなかった。少なくとも引いた記憶がない。たぶんきっと、その頃は風邪を引く余裕もなかったんだね。そういうところで3人はとりあえずの合意に達しました。きっといまの方が昔に較べて、ずっと気が緩んでるんだよ。まえは表面上はなんにもしてなかったけど、でもずっと気が張りつめてたからそんな余裕はなかったんだ。だから風邪を引くようになったっていうのもそれほど悪いことじゃないのかもしれないね。うん、たしかにそうかもしれない。そんなような会話。

 でも最近思うのは、いくらなんでもちょっと気が緩みすぎなんじゃねぇか?ってこと。いくらなんでも風邪を引きすぎだし、いくらなんでも緊張感がなさ過ぎる。まるで目に見えない巨大な稜線を挟んで、あの頃いた場所の逆側に来てしまったみたいだ。いや、そこまでひどいものではないにしても、それに近い種類の場所だ。ある種の近似値。線対称のこちら側。ここは生暖かくて時間の感覚がなく、息苦しさの感覚がない代わりに波もなければ風もない。ここにあるのは川というよりは沼であり、そこに淀みはあっても流れはない。あの頃と較べれば一見遠くに来たようには思えるけれど、でもそれは単に右と左が入れ替わっただけで、本質的にはあの頃とそれほどの違いはないんじゃないかという気がする。よくわからないけれど。あるいはこういうのはパセティックで悲観的なただの思い込みに過ぎないのだろうか?

 強引に環境を変えたおかげか(変えざるを得なかった、と言うべきか)、先週の風邪はどうにかその週末かぎりで治ってくれた。土曜の朝にはまだ悪寒が抜けきらず、いつもより1枚多く着込んでまるでバカみたいな格好で出かけたのだが、からだを動かしたあとの日曜の午後には、もうすこしまともなカッコで帰ってきた。そう、緊張感が働くのだ。行った先では風邪を引いているような暇もないし、やるべきこともある。まわりに風邪を伝染すような真似はとてもできないし、見るべきものも感じるものもたくさんある。そんな中では風邪のことをいちいち考えてる暇なんてない。その緊張の世界においては僕はいつもよりずっと忙しくなる。緊張が病を遠ざける。弛緩の世界に慣れた僕には、そういう非日常の世界はひどく健康的なものとして映る。まるで「これがあるべき姿なのだ」というように。
 世の中には「この何十年、病気ひとつしたことがない」という健康自慢の人がいる。少ない数ではあるけれど、僕も会ったことがある。そんな人を見るたびに感じるのは、きっとこの人たちは日々の生活が忙しすぎて風邪を引いてる暇なんかなかったのだろうな、ということだ。やらなければならない仕事があったり、行かなければならないところがあったり、開けなければいけない店があったりしたのだ。その中では風邪も思考も決して優先的な選択事項にはなりえない。やるべきことがあるというのは(たとえそれがものごとのごく一面に過ぎないのだとしても)すばらしいと思う。迷いが消えるし、思考も消える。ときには、悩みがあったということ自体を忘れることもある。これ以上の薬があるだろうか?

 おそらく、必要なのは緊張感だ。多すぎるのは選択肢だ。きっとその中間を探し当てる必要があるのだろう。風が吹き、水が流れ、寒さと発熱のある場所を。否もなく現実が押し寄せる場所を。まあこんなものを書いているうちは、いまだ思考の虜になっていると言われてもしかたないのだけれど。

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