« ひげを剃ったのですが | トップページ | ちいさい頃の »

2005/03/27

68.銭湯における考察

 ここ1年ぐらい、たまに銭湯に行ってます。といっても昔ながらの番台があるようなあれじゃなくて、最近流行りのスーパー銭湯のたぐい。以前はその手があんまり好きじゃなくって、誘われても行くことはまずなかったのだけど(だって家にある風呂でじゅうぶんじゃないですか)、やはり首や肩に痛みが出てからだろう。「まあいいか」なんて気になって行くようになってしまった。特に冬場。寒い冬に広いお風呂に入るとそれだけでも身体が伸びてラクになるような気がする。おぉ、肩が軽い。前はこんなことまるで考えなかったんだけどなあ。歳をとったということなのか。とほほ。

 たまにそういうところに行くようになってからいくつかの発見があった。といっても、それは風呂の作りがどうとか温泉の効能がどうたらといったことではなくて、もっと下世話な、つくづくしょうもないことです。
 銭湯みたいなところに行けば当然、たくさんの人の裸を目にすることになる。歳を取ったおじいさんもいるし、ガタイのいいおっさんもいるし、高校生とおぼしき一団やお父さんに連れられた小さな男の子もいる。見ていて目の保養になる光景とは言えないけれど(言うまでもなく敷居の向こう側の景色の方が楽しいはずだ。間違いない)、それでもいちどにこれだけたくさんの裸が見れる機会というのはここぐらいしかない。それも全裸である。海辺や砂浜とはわけが違う。
 んで、決してじろじろ見ているわけではないし、その手の趣味があるわけではまったくないのですが、どうしても視線はある一点に集中してしまうことになる。チ○コ。まったく世の中にはいろんなチン○があるんだなあと見るたんびに思う。「いろんな○ンコがある」というより、「ふ~ん、世間の在り様とはこんな感じなのか」といった方が近いか。

 チンコいろいろ。黒いのもあれば色の薄いものもあるし、ちょっとデカイのもあれば小さいのもある(傾向的にデブは小さい)。とんがってたり太かったり、やけに細いのもあれば包茎だってもちろんある。たくさんある。長さだって色だって違うし、こういうのってほんといろいろだ。ふたつとして同じものはない。まあだいたい人の顔かたちだってまったく同じものはないわけだから、チンコの色や形が人それぞれだってまるで不思議はないのだが、でもこうして見ると、やはりひと括りにしてはいけないんだなあなどと思う。つくづくしょうもない発想ですが。

 んで、もひとつ発見したのは、「世間一般の標準ってこんなもんなんだな」ってこと。
 だいたいその、そそり立つような巨根なんていないんすよ。いや、たまにはいるかしんないけど、でもそんなにはいない。男ってのはどーしても自分の「サイズ」を気にしてしまうおバカな部分があって、人と較べて自分はなどとあれこれ悩んだりしてしまいがちなんだけども、でも世間一般の標準なんてこの程度のものなんだって、ああそうなんだって、なんかそんな気になったわけです。べつに自慢こいてるんじゃなしに。だって自分のだってごくフッツーなんだから。

 それを特に感じたエピソード。
 前に北海道は比布(ぴっぷ)のお風呂に行ったとき、二人の男の子を連れたお父さんが入ってきました。4歳と2歳ぐらいかな。まだ小さい子どもだった。子どもが小さいわりにお父さんは結構歳いってて、おまけになんか疲れたようなくたびれたような、あまり生気のない感じでした。こう言っちゃなんだけど、あたまは禿げてるし痩せてあばらは浮き出てるし、女にモテそうな雰囲気では全然ない。しかもまた悪いことに――これはおもいっきり見えてしまったのですが――その人のチンコが小さかった。「え?」っていうぐらい小ぃちゃかった。おまけに皮かぶってたし。もろ包茎やんあんた。思いましたよ、「うっわー、三重殺だな」って。トリプルプレイ、スリーアウトチェンジ。

 でね、男の子たちと、その決して立派とは言いがたいチンコを交互に見較べて思ってしまったんです。僕は。「頑張りましたね」って。

 そりゃ余計なお世話だとは思う。でも思うよあれ見りゃ誰だって。ホント小さかったんだもん。
 そのときに僕は悟った。大きさなんて関係ないんだって。少なくとも平常時の大きさなんて関係ないんだって。短・小・包の三重苦揃ったって子ども作れるんだから。しかもふたりも。立派じゃないっすか。大きさがいったいなんだというのかまったく。
(というのは半分ウソだけど)

 それから銭湯におけるもうひとつの問題。それは隠すか隠さないか問題です。これは女の人もたぶんそうだと思うけれどね。男の人もふたつに分かれるんです、隠す人と隠さない人に。ちなみに僕は隠さない派。理由は単純。隠す必要がないと思うから。
 だってさぁ、大きさなんて言うほど変わんないんですよ、一部の人を除けば。だったら卑下して隠す必要なんてないよね、と僕は思う。それにこれってそんなに汚いものか? 人の目から隠すようなものか?? そうとはあまり思えないんだけれど。
 それからこれはほんとマジな話、隠す意味がわからない。だってそこにあるわけでしょ、チンコが。そりゃ「実は生えてない」とか「2本生えてる」とかだったら僕も隠すとは思うけれど、ふつうに1本生えてるだけだったらみんなと同じやん。フツーにさりげなくぶら下げといたらいいやないのって思う。そういうのってダメですかねぇ……。

 本日の結論らしきもの:
 世間の人はそんなにすごいことしてるわけじゃないってことです。みんなフツーなの。気にしてんの。いろいろ。みんな。きっと。たぶん。
 だからいかにまわりが「すげー」ように見えたとしても、「こんなのただのおっさんだよ」的に捉えてみてもいいんじゃないかってこと。「コイツなんかエラソーなこと抜かしてっけど、実は包茎かもしんないぜ」みたいに思ってもいいんじゃないかってこと。そしてさらに一歩押し進めれば、「世間で“いっぱし”に働いてる人たちだって、実は結構つまんないことで悩んでるんじゃないか」「思うほどそんな大したことないんじゃないか」。そういうことです。現状の自分にもそっと自信らしきものを持ってみてもいいんではないでしょーか……。特に「オレのがいちばんデカイ by Bigger」みたいな人はね。

 ダメ……??

|

« ひげを剃ったのですが | トップページ | ちいさい頃の »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15236/3466359

この記事へのトラックバック一覧です: 68.銭湯における考察:

« ひげを剃ったのですが | トップページ | ちいさい頃の »