« 64.岡中対談Z | トップページ | R.E.M.見たかった…… »

2005/03/15

65.新しい種子

 今日15日をもって「みんな大好き」が終了する(はず)。

 正確な時期は覚えていないが、僕が「ひきこもり」という言葉を知って、最初にこのサイトにアクセスしたのが99年の6月ぐらいのことだった。「大好き」ができてから約半年後ということになる。その頃にはすでに「大好き」はひきこもり界隈では名の知れた存在になっていて、その近辺の人が出入りするところといえば、いまはなき「籠城」(懐かしいね)とここと、あともう1箇所どこかだったと思う。いまと違って「ひきこもり」で検索してヒットするページの数なんてたかが知れていたから、ちょっと調べれば必然的にここにたどり着くことができた。

 あらためて考えるまでもなく、僕はこのサイトにずいぶんと助けられた。もうなくなってしまった「とびらの会」を知ったのもここだったし(どうでもいいけど、当時僕は「ふみこ」さんと「きみこ」さんの区別がほとんどつかなかった。そういう人は多いハズ)、「考える会」に参加したのもそう。ここを出発点としていろんな人に会ったし、関東近郊にできた自助会のほとんどが「とびらの会」をモデルにしていた。僕に限らず、ここを基点にしていろんな人たちと繋がったという人は結構多い。つまりすんげー大袈裟な言い方をすれば、いろんなものが「大好き」の子どもたちだったという言い方だってできるわけだ。
 そしてさらに付け加えれば、その他各種の情報を集めるのもここひとつあればほとんど用が足りた。「ひきこもり」に関する一括した情報源がなかった当時(いまもないと思うが)においては、このサイトは実質的にひきこもり関連の情報ステーションの役割を果たしていたと思う。ま、管理人さんにはそんな意識はなかったと思うけどね。

 この3月でいろんなところがその活動に幕を下ろす。人によっては「連鎖倒産」みたいな言い方もあるが、どういうわけかこの3月いっぱいで活動を終了するところが多い。「みんな大好き」しかり、「スペース1」しかり、「丘の上」(神奈川県精神保健福祉センターのひきこもりデイケア)しかり、そのほかでは「ラビット」、「峠の茶屋」、「さつき会」など……。実質的に終わっているところを入れれば、「ステップ」もそのリストに入るのかもしれない(ここは活動を終了したわけではないようだが、続けるにしてもさっぱり衣替えをしてやりかえた方がいいと思う)。
 なかでも特に大きかったのは、神奈川の県立精神保健福祉センターがグループ活動を終了すること。各都道府県の精神保健福祉センターレベルではここの活動はかなり初期から行われていたし、僕も個人的にかなりお世話になっていたので、そういう意味では結構感慨深い。うーん、痛いなあって。

 たしかにこの3月でいろんなところが終わるし、それを指してひとつの時期の終わりととることもできるのかもしれない。必要性の減退を指摘できるのかもしれない。しかし僕個人としては、あまりそういうもんでもないのかなという気がしている。というのは、大きな木がひとつ倒れても、そのあとにちいさな芽がいくつも吹いているのを目にしているから。
 たとえば神奈川の精神保健福祉センターの場合。全県単位での活動はいったん終わるが、そのかわりに県内のいくつかの場所でそれに代わる動きがいくつかある。鎌倉保健福祉事務所はこないだから当事者グループを始めたし、横須賀も去年あたりからかなり気合い入れてやっている。横浜の都筑もそうだし、いままで空白地帯と呼ばれていた県央地域でも大和と厚木共催の形でアクションを起こそうという空気がある。県西でも小田原、秦野、足柄上、平塚といったところが繋がりあって勉強をはじめている。考えようによっては、大きな木がなくなるからこそ小さな芽が生えるのだという見方もできるかもしれない。大きな木があるんだったらみんな、何も自分でアクションを起こす必要なんてないと考えただろう。
 ここで面白いのは、ひとつの単位では難しいと見るや、2つ3つと束になってやろうとしているところだ。つまり共催。まあいまやワールドカップやEUROだって2ヵ国共催でやる時代なんだから、そういうことがあっても全然おかしくはないのだが、僕にしたってなんとなくいままでそういう発想がなかった。「自分らだけでできなけりゃよそと一緒にやりゃあいいじゃん」、「自分らだけで無理ならとりあえず『助けて』って言ってみる」。行政というとふた言めには縦割りの弊害が指摘されるところだから、この手の動きには結構びっくりさせられた。「え、マジ? そういう手があったかよ」って。

 「みんな大好き」だって完全に終わるわけではないと思う。その根拠は「ひきこもり村。」(http://www.hikky-mura.net/)だ。
 僕がここを知ったのはまだ「『ひきこもり村。』をつくろう」だったときのことだが、「なんか面白いことやってるな~」と思って密かに勝手にチェックを入れていた。しばらく見ないあいだに「つくろう」が取れて、ヒット数も1日一千数百を叩き出していたのにはびっくりしたけど。
 序文にも書いてあるとおり、このページは初期の「みんな大好き」をモデルにしている。掲示板がうじゃらかあった頃の「みんな大好き」。それはもう最初見たときに一発でわかった。<ああ、ここはかつて「大好き」の掲示板に出入りしてて、あの頃の「大好き」が好きだった人たちがやってるんだな~>って。だってあまりにも似てたんだもん、かたちも雰囲気も。そういう愛着みたいなのって伝わるんだよね。案外。

 なんかすげぇなって思った。主催する人は変わっても、なんかしら脈々と受け継がれていくものがあるんだなって感心した。ふみこさんは気力体力的な問題で「大好き」を少しずつ縮小して最終的に終了に至ったわけだけど、でもその種子みたいなものは拡散してどこかに散らばって、また新しい芽を生やすんだ。終わらないんだ。なんかそんなんだったら、最初に始めた人も安心して抜けられるかもしれない。そんなことを考えた。

 もちろんそんないいことばかりじゃない。小さな芽たちが無事に成長するための条件としては、彼らがいかにして横で繋がれるかという問題が立ちはだかるだろう。ここをクリアできるかどうか。芽というのは小さくて体力が弱い分、何か起きた時に一発で倒れてしまう恐れは否定できない。先細りになってすぐ死んでしまう可能性だってじゅうぶんある。卵から孵ったばかりの稚魚みたいなものといえば近いか。束になって勉強をはじめている各保健所の動きだって、単一にバラされてしまえばいつまで続くかわかったものではない。先の「ひきこもり村。」にしたって、いまの安定は管理人さんたちの熱意とキャラクターによっている部分が大きい(という印象を僕は受ける)。もし彼らが孤立してしまったら? 気力体力が続かなくて今のレベルでページを維持できなくなったら? 一部の心無い人たちによって荒らされてそのまま崩壊という可能性は……残念ながら、ある。
(蛇足:ネット掲示板というのはいわば公衆トイレみたいなもんだから、掃除が行き届いていればみんなきれいに使う。汚れない。でもひとたび掃除が入らなくなれば、時期を置かずして「オマ○コ」みたいな世界になる。必ずなる。そしてそれを防ぐための掃除を続けていくのには結構な気力と手間がいる。こういうのはただ利用しているだけの人間にはわかりにくい。しかも困ったことには、こういうのはヒマがないとできないみたいな部分が少なからずある。つまり社会参加をはじめて時間がなくなってくると、どうしてもそこまで手がまわらなくなってくるという側面にぶち当たるわけだ。時間の余裕と担当者の熱意。そのふたつを維持したままものごとを続けるというのはまわりが思うほど簡単なことでは決してない。よって管理人さんにはホントご苦労様と言うしかない)

 余談はともかく。
 ひきこもりの話になったとき、当事者が孤立しているというのはみんなが理解している。その孤立した当事者をどうするかという話になる。が、それを取り囲む家族もまた孤立しているのだという点にはなかなか気がつきにくい。特に家族が。そしてそのもっと先を言えば、その当事者や家族を支援する側が孤立しているという可能性には輪をかけて気がつきにくい。援助援助と言って人のお世話にかまけているあいだに、自分の足元がおろそかになっていたんじゃこれはもう目も当てられないし、だいいち説得力というものがない。全然ない。当事者の孤立状態を解消することがひきこもり支援の一中心課題なのだとしたら「まず自分らが手を繋げよ」っていう話になるし、孤立状態を解消することが課題なのだとしたら、「『当事者』ってそもそも誰のことよ」という話にもなる。善意の王様気分で「援助」とかをする前に、援助者が前もってやるべきことはまだほかにあるのかもしれない。

 長くなっているのであとひとつだけ、「ひきこもり村。」の話を。
 こないだある知人から、「ひきこもり村。の管理人さんはいい人だし、あそこはいろいろと面白いことになっているが、でもその彼が孤立している可能性がある」という指摘をもらった。そのときには「ふぅん、そんなもんかいな」と適当に流しただけだったが、最近のまわりの動きを見るにつけ、その指摘はあまり外れていないのかもしれないなと思い至った。現状として「ひきこもり村。」が成功しているのは誰の目にも明らかだが、もしここが何かのはずみでつぶれてしまうようなことがあれば、これはかなりもったいない出来事になる。実際問題、当事者のニーズもかなり多いみたいだし。1日一千数百って、ねぇ……。
 まわりからはなかなか気がつきにくいことかもしれないが、サイト運営者の孤立状態というのを意識する必要があるのかもしれない。もちろん余計なお世話と言われてしまえばそれまでだし、その必要はないのかもしれない。また仮にその孤立状態があるのだとして、実際にどうすればいいのかと言っても僕にはそれがよくわからない。でもせっかく芽吹いた「大好き」の種子がむざむざとなくなるようなことにでもなれば、それはそれでひどく残念な気分になるだろうしね。そういうのって本当にもったいないと思う。

 ……などとエラソーな言葉をうだうだと並べましたが、6年間続いた「大好き」の終了に寄せて。

|

« 64.岡中対談Z | トップページ | R.E.M.見たかった…… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15236/3304461

この記事へのトラックバック一覧です: 65.新しい種子:

« 64.岡中対談Z | トップページ | R.E.M.見たかった…… »