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2005年4月

2005/04/29

カーナビ導入

うちのクルマにナビがつきました。
僕は地図さえあればどこでも行けちゃう人間なので
そんなもんは別にいらんと強く主張したのですが、最後は母の意向。
聞けばいろいろ理由があるのだそうな。んで納得。
安い買い物ではないけど、たかだか15万のために
あとで後悔するのはバカらしいものね。そういうお金はムダではない。

……ってわけで一緒にくっついていってナビ選びをする。
実は使ったことがないもんで何にもわからなかったんだよ。
ナビ要らずの人間はこういうときに困る。
ずいぶん長々と店員さんに質問をしました。
悪いね、安い買い物じゃないんで適当に決めるわけにはいかなかったんだよ。

取り付けに3時間ほどかかるということなので
(そういや今日は祝日だ。ところでGWって何? 時給労働者には関係がない)
その間スポーツセンターに行っていつものワークアウト。
本来なら今日は笛田に行ってサッカーしてるはずだったのに……うく。

あとで少しだけナビ触ったけど面白そう。
いろいろ遊べるいいおもちゃって感じです。
ナビ専用でTVもビデオも何にもついてないけどね。
クルマん中で映画見てもしょーがないしさ……。


明日は夕方から仕事→そのまま直で静岡に移動(たぶん0時着)
→1日&2日は田舎の田植え。
(泥田との格闘が早朝から待ってます。色気もクソも何もなし)
→んでもって3日の昼に向こうを出て→夕方から仕事直入り。
ほんっっっっとマジで聞きたいんだけど、GWって何?!!!

しかも今日タイガー&ドラゴン見逃してるし!!!
バカ!!!(血涙)


IWGP

↑最近よく聴いてるのは「池袋ウエストゲートパーク」のサントラ。
 まともにCD買ったのは今年初です。いばれたことじゃないんですが。

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2005/04/28

「シアワセな雑誌」

……というのは僕がいま勝手につけたコピーだが、
なんかそんな感じの雑誌です。「アルネ」。
大橋歩さんがほぼ一人で企画して編集して発行しているらしい。
ちいさくてほのぼのしてるんだ。なんかそこが好きさ。

表紙の写真がすごく良くって、「このカメラマンは誰だろう?」と思ったら
どこにもクレジットがない。どうやら大橋さんが自分で撮ってるらしい。
いいよ、この写真。ほんとうにシアワセな感じなんだよ。伝わってくるんだ。
造本にもこだわってるし。きっとセンスもいいんだね。


arne10

(↑「アルネ」10号 村上春樹お宅訪問載ってます。HPはこちら↓)
http://www.iog.co.jp/arne.html


大橋さんの本業はイラストレーター。
けど銅版画をやったりエッセイも書いてる。
最初にこの人のことを知ったのは『村上ラヂオ』の挿絵ででした。
で、その縁か、アルネの10号では村上春樹の自宅におじゃまして
仕事場の写真をいっぱい載せてたりする。す、すごい……。
村上春樹ってメディアには年に1回ぐらいしか出ないし、
まして彼のプライベートなんてものはまず表に出ない。
こんなのが出たのはこれが初めてなんじゃないだろうか?
もうつい買ってしまいましたってばよ。


murakami-radio

(↑このブログタイトルの由来っぽい一冊。うぅ、ベタだ。)


こういう手づくり風味の雑誌が書店に並んでるっていうのも嬉しい。
個人で作る同人誌的なものって仲間内で小さくまとまる傾向があるけど、
僕は好みの問題としてそういうのが好きじゃない。そんなの発展性がない。
敷居は低く、門戸は広く。だってそうじゃなきゃつまんないでしょ。

やっぱあれだ、根本的にメジャー志向のヒトなんだな、俺は。
これはここ1年ぐらいで確信するようになったとです。はい。

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【香港的小旅行記 第8回】

 ■ホテル案内所 その1:

 入国審査をパスし、バゲッジ・クレーム〔預け入れ手荷物の引き取り所。ベルトコンベアが回ってるやつ〕を素通りした僕は、とりあえず目についたトイレに入った。特に用が足したかったわけではないのだけれど、なんとなくリズムが悪いような気がしたし、ちょっとここらで呼吸を整えておいた方がいいように思ったからだ。初めての土地に来た時というのは、どことなく体が空気に馴染んでいないように感じられる。なんとなくしっくりこない。特に外国に行ったときにはそれを強く感じる。こう思うのはたぶん僕だけではないだろう。
 しばらく休んで洗面所で軽く顔を洗ってから、税関を通過。税関には係員はいたけど何もなかった。係員はおしゃべりをしているだけで、仕事をしてるというふうではまったくない。

 そして、次が問題のホテルの紹介所である。香港ホテル協会の案内所。その隣には両替所がある。出発前に香港ドルに替えてこなかった人は、とりあえず空港内の両替所で両替をする必要がある。空港から香港の市内まで行くのに、当然現金が必要になるからだ。
 僕はまず先に両替を済ませることにする。どのみち現金が必要になるわけだし、両替なら以前の旅行でもやったことがあるからだ。問題のホテルの紹介を頼むよりも前に、楽勝でできることをやってリズムを作りたかった。
 ガイドブックには「空港の両替所は市内のそれに較べてレートが悪い」とあったので、当座必要な額ということで、ここではとりあえず4千円を出して234香港(HK)ドルの現金を手に入れる。手数料は込み。計算すると、1HKドルが17円相当になる(以下、「ドル」の表記はすべて香港ドル)。ちなみに、1HKドルは中国の1元と同額である。呼び方が違うだけで、漢字ではドルを「元」と表記している。


toilet


 両替が終わったあとは、すぐ隣にあるホテル案内所のカウンターに行く。
 新しい空港になったにもかかわらず、僕が予想していたよりもかなりしょぼい案内所だ。それだけで僕は心細い気持ちになる。僕が両替の順番を待っている間に誰か先にやってくれないかと思ってずっと見ていたのだけれど、紹介してもらっている人は誰もいなかったので、僕はまるで勝手がわからないままに紹介を頼む羽目になってしまった。でもぐずぐずしていても始まらないので、仕方なくカウンターの前まで行く。カウンターの向こうには若い女性の職員がふたりと、五十歳ぐらいのおっさんが立っている。女性二人は制服を着ているが、おっさんは割とラフな格好。全員中国系で、ラフな格好でやや倣岸な表情を浮かべたおっさんは、どうやら彼女たちの上司であるらしい。
 僕がカウンターの前に立つと、三人は僕の方を見る。沈黙。三人は僕が口を開くのを待っているので、ちょっと迷ったあと、僕はおずおずと来意を告げる。「あの、ホテルを探しているんですが」
 マヌケだ。ここに着たからにはホテルを紹介してもらいに来たに決まっている。ホテルの紹介所に来て「私の荷物が出てこないんですが」というバカはいない。そりゃそうだろうという顔でおっさんがうなずく。女性二人はうなずきはしないが、同じような目で僕を見ている。いやな流れだ。僕はリズムがますます悪くなるのを感じる。

 「何日?(How many nights?) 」とおっさんが聞くので、僕は「ふた晩」と答える。彼はうなずいて、香港の中心部の地図を出してくる。「場所はどこら辺がいい?」というわけだ。僕の発音を聞いて、「こいつはあまり英語がうまくないらしい」とあたりをつけたようだ。僕にはそれがわかる。
 彼が地図を出すと、僕は「値段は500ドルくらいで、部屋はシングル、場所はこの辺のどこか、できればMTR(地下鉄)の駅の近くがいいです」と、地図を指差しながら飛行機の中で繰り返し練習してきた希望を述べる。だいじょうぶ、ちゃんと言えてる。女性の職員がコンピューターで検索したあと、おっさんは「ここかここなら空いてるよ」と言って、それぞれの値段を書いたふたつのホテルを紹介してくれた。僕の希望からすると、香港の中心部からはやや遠い。とりあえず「写真を見せてもらえますか?」と聞くと、女性がホテルのパンフレットを見せてくれた。パンフレットはクリアファイルの中に入っていて、部屋の写真も映っている。


hkhotel


 500ドルというと、1ドル17円計算として、一泊8500円ということになる。もちろん素泊まり。素泊まりで8500円というと、日本のビジネスホテルあたりの感覚からいうとやや高い方になるかと思う。僕はビジネスホテルに泊まる機会なんてまずないから実際どの程度なのかはよくわからないけれど、でもやはりちょっと高い方に入るだろう。今回の僕の予算からいっても、8500円というのは結構痛い。二泊で1万7千円もする。でも香港のホテル料金の相場からいえば、500ドルというのはこれでも安い方なのだ。

 香港はヨーロッパみたいに星の数でホテルの格付けをするわけではないので、宿泊料金がその指標となる。僕の買ったガイドブックによれば、最高級といわれるホテルが一泊約2千ドル以上、高級ホテルが1500ドル以上、中級が1千ドル以上とあり、気楽に泊まれるビジネスタイプはこのランク(中級)になるとある。ガイドブックには「中級」とされるホテルが二十五個ほど載っていたのだけれど、1千ドル以下のホテルは八つしか載っていなかった。
 しかしいくら香港のホテル相場が高いとはいえ、一泊につき1万円以上を出す気にはとてもなれなかったので、僕は日本円で1万円、ドルに直すと588ドル以下と考えたわけだ。500ドルという数字はそういうラインから導き出された数字である。僕にとっては500ドルでも十分高かったのだけれど、ガイドブックに載っていた1千ドル以下のホテルのうち、500ドル以下というのはたったのひとつしかなかったので、仕方なくこの辺で落ち着いたわけだ。

 案内所の人に見せてもらったパンフレットの写真を見ると、500ドル強の部屋は僕が思っていたよりもずっとよかった。もちろんパンフレットに載っている写真というのは、ちょっとよく映してあるものだから鵜呑みにするわけにはいかないだろうけど、でも僕の予想を越えたものだった。ちょっと意外に思いつつ、もうちょっと立地のいいところにならないかという思いもあって、「400ドルぐらいの部屋はあるか?」と聞いてみた。ある。400ドルでもある。今回も二件候補を出してくれた。そのうちの片方は、僕の希望の地域に近い。ニュー・キングス・ホテル(新高雅酒店)。MTRの油麻地という駅からすぐだ。いい感じ。値段は452ドル。日本円で7682円。
 写真を見せてもらうと、500ドルの部屋よりは確実にグレードが落ちるようだった。もうこれぐらいが限度かもしれない。もちろんもっと安いのを探せば下はいくらでもあるだろうけど、たった二泊とはいえ、泊まる場所というのはまったく初めての土地でのベースキャンプになるわけだから、あんまり変なところになってもらっても困る。慣れない英語で長いことやりとりをするのも億劫だったので、もうこの辺でいいやということで、シャワーがあるかどうかだけを確認してからここに決めた。オーケー、ディス・ワン、プリーズ。
 カウンターの向こうの三人はうなずいて、女性の職員がホテルに電話をし、予約確認書を出してくれる。予約確認書とはいってもぺらぺらの粗末な代物だったけど、でもこれがないと困る。僕はそれを大事に財布にしまう。


airport


 ここまではまあオーケーだ。悪くない。最初こそ躓いたが、まあどうにかなった。どんなホテルかは行ってみないことにはわからないけれど、ホテル協会で紹介しているところなんだからそんなにひどいものではないだろうし、正直僕も半分どうでもいいやという感じになっていたのだ。フライトの疲れもあったし、すべてが慣れないことばかりで気分的にはもっと疲れていた。それに昨夜はほとんど寝られなかったのだ。
 少しほっとした気分で気が抜けかけた頃、上司のおっさんが僕に何かを言った。ちょっと困ったような表情だ。いやな予感がしつつ、僕はまだ気を抜いてはいけないのだということを思い出す。現実に引き戻される。しかも僕は彼の言ったことが聞き取れない。「え、なんですか?」と聞き返してみるが、やはりわからなかった。しばらく聞いてみると、どうもバスがないということを言っているらしい。シャトルバスがもう出てしまったから、だいぶ待たないといけないということのようだった。たしかに僕はほかの人たちよりだいぶ遅れて出てきたし、その上トイレの中で時間をつぶしてしまっていたので、それはあり得るかもしれないという気はした。でもなんでシャトルバスなんてものが出てくるんだ?

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2005/04/27

ヘビメタさん

おバカな番組を発見。
題して、「ヘビメタさん」

来たね~、テレビ東京。
テレ東じゃなきゃできねぇだろこんな番組。バカだ、バカすぎる。でもいい!
レギュラーに元メガデスのマーティ・フリードマン!
演歌大好きガイジンギタリスト! 「演歌の花道」を毎週録画してた!
どっかで見たことある顔だと思ったらあんたか~。懐かしいよ君~。

にしても、小林幸子の「思い出酒」とジューダス・プリーストの「Electric Eye」が
同じコード進行とは知らなんだ。すごいよそれ。その組み合わせ。

ほかにもエアギターの腕で勝ち抜きを競う「エアメタルバトル」。
王様ばりにメタル曲の歌詞を直訳する「鋼鉄カラオケ」。
す、すごい……。メタルってやっぱ歌詞に意味なかったんだ……。
そんな感じでおバカ炸裂の企画満載です。いいよ~、これ。

なんといってもあれだ、
メタルをバラエティにしちゃったところがエライ。
そう、メタルはバラエティにすべきなんだよ。
マジメにやっちゃいかん。笑え。笑わなきゃ。
「おお、我らメタルの戦士たち」なんて冗談じゃなきゃ言えねぇだろ。

トゥイステッド・シスター、ジューダス・プリースト、レインボー、
アイアン・メイデン、オジー、モトリー、アクセプト、ダークネス……。
いやぁ、笑いがわかってます。あとパンテラとかもやってほしいわ。
ディオとかイングヴェイ・マルムスティーンなんかもいい。ステキだ。
いまじゃジョーク以外の何物でもないもんね。

むかしメタルが好きだった人は見とくといいです。懐かしいし、笑えるから。
いまでもメタルが好きな人は……勝手にしてください。はい。

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2005/04/26

コンセント

『コンセント』を読了。この小説を読むのは5年ぶり2度目。
ふっと読みたくなったんだなー、急に。

最初読んだときはピンとこなかったんだけど、
この小説は90何%かまでは実際にあった話だという話を
直接だか又聞きだかで聞いていたので、ずっと気にはなっていた。
「3部作」を書いたことですっきりしたのかと聞いたら、そうじゃなくて、
この『コンセント』を書いたのが大きかったと本人が言っていたのも後押し。
単行本がどっかに行ってしまったのでブックオフの100円本です。

3日かけて風呂の中で読んでしまいました。
なんだかんだ、すらすら読まされてしまうのはランディさんの特徴だわね。
斎藤美奈子が言うように、「パンツ脱ぎすぎ」の気はしないではないのだが。
しかしこれも実話なのか? すっげー。

今日は帰りがけに「PLUTO」2巻と「ラストイニング」の5巻を購入。
ふふふ、これから読むのだ。
しかし読んでも読んでも逆に物が増えていくのはなぜ? 謎。

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2005/04/23

父親の会

今日は以前から進めていた父親の会の初回でした。

初回の感じは予想していたよりもずっと良くってひと安心。
個人的にうまくいってほしいなーという気持ちが強かったし、
「ダメだったらダメだったでいいや」とは捉えられなくって
必要以上に抱え込んでてた部分はあったから、
とりあえずうまくいってくれてホッとした。

実際、うちに帰ったらメシも食わんとソファーにひっくり返って
2時間ばか爆睡してしまったし。安心したんですね、やっぱり。
結構心配性なのですよ。自分で言うのもなんだけど。

しかし疲れてひっくり返ってしまった理由はほかにもある。
いや、「ほかにある」と言うべきなのか。
そんなに単純な話でもないんですよね。わかってるって。

が、その辺はこの先もずう~っと抱え続けていく種類のものなので
もうしょーがない。あがきながら進んでいくしかないんでしょうな。
ははははは。困ったもんだ。どーすんだよマジでもう。

ともあれ今日は父親の会。
自分は父親の立場ではないのだけれど(←えーと、たぶん)、
ここのお手伝いをさせていただく中で
これからもいろいろ勉強させていただこうと思っています。
「父親」って、おもしれぇぞ。

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2005/04/22

「俺の話を聞け!」

ひさびさにスポーツセンターに行ってトレ。
やはりなまってしまいますね。3キロのランがいつもよりつらかった。
筋力はそんなに落ちないんだけど、体重と体脂肪がちょっといけない。
体重はアンダー60、体脂肪は17%ぐらいに落としたい。
落としたいっつっても何にもしなければ落ちるはずはないのですが。

昼間はヤボ用で横浜。
新歓コンパとおぼしき一団があちらこちらに散見され。
4月の下旬。そういえばそういう時期だったんですねぇ。
ときたま大学生ぐらいの子がひどく幼く見えることがあるのだけど、
今日はそれほど幼くは感じられず。みんなおしゃれしてるんでしょうか。

トレーニング後は近所のスーパーに寄って
半額札のついたお肉やら惣菜やらをカゴに放り込む。
なんとなく虚しい気もするのだが考えない考えない。
たまーにうなぎが美味そうに見えることもありますが、
そういうのも無視無視。見なかったことにする。何かが悲しい。
1尾850円は高いっすよ。

やはり『タイガー&ドラゴン』はよい。面白い。岡田准一最高。
そして一人でもそもそ食べる飯はうまいんだかうまくないんだかよくわからない。
どーんどーんどーん! どどどっど、どどーんどどーん! 
「隊長! 花嫁に浣腸完了いたしましたぁ!」

地味な一日、ですかねぇ。はぁ。

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【香港的小旅行記 第7回】

 ■入国:

 外国に降り立った旅行者がまず最初にやらなければならないことは、入国審査を通過することである。その国に入れてもらえなければ、観光も何もあったものではないからだ。でも入国審査とはいっても、それ自体はべつに何もむずかしいことはない。入国審査のゲートに並んで、自分の番が来たら係官にパスポートを見せて入国許可のスタンプをもらうだけだ。一般の観光客に関していえば、入国審査なんてごく形式的なもの以外の何ものでもない。誰かと何かを話さなければならないということもないし、あったとしてもごく簡単なやり取りで済む。全然むずかしくない。でも、たとえそれがどんなに簡単なことであったとしても、一度自分の力でそれをこなしてしまわないことには、それは自分の実になることはない。経験値も積めないし、それが自信になることもない。大事なことは、それがどんなに些細で簡単なことであっても自分自身の力でそれを勝ち取ることだ。どんなに小さなものであったとしても、一度こなしてしまえばそれは自信に変わる。いったん自信になってしまえば、もう次からそのことで気を煩うことはない。なにしろ自分はもう一度それができたのだから。一度できたことなんだから、今度もできるはずだ。二回目からはものごとがすごく楽になる。

 そんなことを心の中でひとりぶつぶつと呟きながら審査の列の最後に並ぶ(性格が暗いのかもしれない……)。ゲートはたしか四つか五つほど並んでいたと思う。初めての自分だけでの入国審査だ。これから起こることはすべてそうだけど、自分ひとりだけだから誰も助けてくれる人はいない。添乗員が代行してくれることもない。全部自分ひとりでやらなければならない。ただしその代わり、「やってしまったこと」はすべて自分の実になる。成功すればその成果はすべて自分のものになるし、失敗すればすべて自分の責任になる。文句を言うのも言われるのも自分である。すごくわかりやすい。責任の所在。責任と成果。このふたつはコインの裏表であり、ふたつでワンセットだ。ご飯と味噌汁みたいなもんだ。僕はこういうわかりやすいのが結構好きである。

 審査を待つ人の列は時間とともに短くなり、だんだんと僕の番が近づいてくる。もちろん僕はすこしずつ緊張していく。だいじょうぶだ。こんなの簡単だ。すぐに片付く。実際、〈入国目的は何か?〉なんて質問されてる人はひとりもいない。無愛想な表情を浮かべた係官は、カフカの小説に出てくる冷酷な裁判官のごとく、ごく機械的に彼らの前の人列をさばいている。それが彼らに与えられた仕事なのだ。だいじょうぶ、問題ない。そう自分に言い聞かせる。でも、どういうわけか、それまで順調に流れていた審査が僕の前にきて急に止まってしまう。僕の前の人の審査がいつまでたっても終わらないのだ。

arrival


 僕のすぐ前に並んでいた人は、風貌からすると大陸から来た旅行者のように見えた。係官と中国語で何かやり取りをしていたから、たぶんそうなのだろう。外国人専用のゲートに並んでいることからして彼が香港の人でないことは明らかだし、なんとなく田舎くさくて垢抜けない顔立ちや、ちょっと貧しげな身なりをしているところからしても、たぶんそうなのだろうと僕は見当をつけた。僕は少しイラつきながらも黙って順番が来るのを待っている。まあこういうこともあるさ。気にしない気にしない。

 でも、僕がおとなしく自分の順番を待っているあいだ、ほかのゲートに並んだ人たちは次々と審査をパスして自分たちの荷物を引き取りに行っている。僕よりだいぶあとに並んだ人たちまでもが僕より先に審査を終えて出て行く。僕の前の人の審査はいつまでたっても終わらず、必要な書類を手荷物のどこかにしまいこんでしまったのか、今頃になって荷物の中を掻き回し始める。その書類だか何だかが出てこないことで、彼の隣のゲートに並んでいた彼の妻とおぼしき人も審査を終えることができず、この二列に並んだ人たちは延々待たされ続けている。〈このマヌケ野郎、書類ぐらいちゃんと用意しておけよな〉と、僕は内心穏やかでない気持ちでいるのだけれど、だからといって事態が好転してくれるわけでは少しもない。余計にイライラが募るだけだ。いま審査を受けている人の次の順番の人は床に引かれた赤い線のうしろで待っていなければならないので、僕らはそこを動くこともできない。僕より後ろに並んだ人たちは気配を察して違う列に並び、結果僕より先に審査を終えてさっさと出て行ってしまう。なんだよそれ。僕は列の並びを管理している係員の目を見て違う列に移りたいということを訴えようと試みるのだが、規則でもあるのか、彼は僕の意図を汲みとることはしてくれない。
 そのうち、僕より後ろにいた人たちはあらかた審査を終えてゲートを通過してしまい、残されたのは僕を含めて数人だけになってしまった。おいおい、勘弁してよ。そんなバカな話ってあるか? 

 ここに至って、列を管理している係員は「こっちの列に並びな」と合図をして僕を別のゲートに呼んでくれる。はあ、やっとか。でももちろん僕はほっとしている。疲労感と安心感とでぼんやりしていると、じきに僕の番がやってきて、無表情な顔の入国係官が僕の入国審査を始めた。彼女はパスポートを眺めたり、ちらちらと僕の顔を確認したりしてやけに間をもたせたあと、そのうち入国許可のスタンプに手を伸ばしてくれた。ふう。そうやって、僕の長い長い入国審査が終わった。係官は僕にパスポートを手渡し、僕は「サンキュー」と、あまり気のない礼を言って先に進む。振り返ると、僕の目の前で延々もたついてくれた夫婦の審査はまだ終わっていなかった。まったくやれやれだ。

passport


 僕の入国審査(正確に言えば「彼の」入国審査だが)に時間がかかったのは、決して僕のせいではない。それはじゅうぶんわかっていた。僕には何の落ち度もない。そのとおり。ただ単に運が悪かっただけだ。でも、結果的にとても時間がかかってしまったことで、僕は妙に疲れてリズムが狂ってしまった。のっけからものごとがうまくスムーズに流れなかったことで、なんだか悪い予感がしてしまった。最初が肝心だからうまくリズムに乗れるようにしようと考えていたのだけれど、どう考えてもリズムに乗り損ねたとしか思えなかった。いやな流れだ。僕はその予感をなるべく自分の頭から振り払おうと努めたけれど、その試みはあまりうまくいかなかったし、また、それは間違った行為だったのかもしれない。僕は自分の予感を真正面から受け止めて、その上でものごとを考えるべきだったのかもしれない。でもそう考えるには僕にはいささか余裕がなさすぎた。できたら何の支障もなくすんなり運んでほしいという気持ちが強かったのだ。まだこれから面倒なことはいくつもあるというのに、たかが入国審査ごときでこんなに手間取るなんて……。そう考えると、僕は落ち込んだ気持ちにならざるを得なかった。もちろん、落ち込んでみたところでそれでどうなるわけではないということぐらいわかってはいたのだけれど。

 いまから思えば、まあそれも仕方なかっただろうなと思う。それがあの時僕にできる精一杯だったのだろう。あれ以上のことなんてできようはずもなかったのだから。
 ともかく、そんなこんなで僕は入国審査をパスし、はじめての香港(中国)へと足を踏み入れた。そして僕が感じたいやーな予感は、この日の間もうしばらく続くことになった。

airport4


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2005/04/19

【香港的小旅行記 第6回】

 ■成田出発:

 でも正直言って不安だった。前回の旅行でだいたいの流れはつかめていたとはいえ、ひとりですべてをまかなうというのは完全に初めてだったからだ。行きの飛行機のチェック・インから始まって、出国手続き、現地での入国審査、両替、ホテルの手配、移動、ホテルのチェック・イン、食事、その他すべてを自分で把握していなければならない。しかも会話は基本的に英語である。

 特に不安だったのが現地での宿泊先のことだった。ホテルはこちらで手配するのではなく、現地に着いてから空港にあるホテル案内所で紹介してもらうことにした。というのは、家族優待で使える航空券は海外便に関しては予約がきかないという非常に弱い種類ものだったので、もし満席になって乗れなくなってしまった場合、キャンセル料が発生してしまうことが考えられたからだ。事前の話では「満席になることはまずない」とのことだったけれど、急にばたばたと席が埋まるということもなくはないので、念のためホテルの予約は取らずにおいた。まあ向こうに着いてからでもどうにかなるだろう。たぶん。

 それに会話だってやっぱり不安だった。前回、前々回と、2回とも会話は自分が担当したけれど、でも決して上手に話せるというわけではない。ほかに誰もやれる人がいないから仕方なく自分がやっただけで、決して人に自慢できるだけのものを持っているわけではない。6月のワールドカップの時にたまたまアイルランド・サポーターと話す機会があったのだが、この時は僕が言ったことがほとんど通じなかったという苦い思い出も僕の不安を助長することになった。言い訳するわけじゃないけど、アイルランド人の英語ってちょっと聞き取りにくいのだ。それに僕の英語はもっと聞き取りにくかったはずである。まあその程度だ。

 実を言えば、出発前の2週間ぐらいのあいだ、僕はずっとナーヴァスだった。何をやっていても集中できなかったし、常に旅行のことが頭から離れなかった。いや、べつにまるで自信がなかったというわけではない。うちの親や友達なんかも「だいじょうぶだよ、あんたならできるよ」と言ってくれていたし、自分でもたぶんできるだろうとは思っていた。でも、「たぶんできるだろう」と「実際にできた」との間には深く大きな隔たりがある。全然違う。仮にどれほどの自信があったとしても、実際にそれをやってしまうことなしにはその実感を得ることはできない。そして出発の日が近づくにつれ、僕の緊張の度合いは次第次第に高まっていった。

 出発の前日は、やはりよく眠れなかった。2時間とか3時間とか、そんなもんだと思う。いつもそうなのだ。しかも僕は飛行機の中では寝れないときている。なぜなのかはわからない。電車の中だと寝れるんだけど、飛行機や車の中はほぼダメ。前回の旅行の時もその前の時も、10時間前後あるフライトのうち、1時間程度しか眠れなかった。そして言うまでもなく、こういうのって結構不便である。性格的に神経質なのかもしれない。のび太くんみたいにどこでもすぐに寝ることのできる人が羨ましくなる。

 家から成田までは問題ない。横浜まで出てしまえば、あとは電車で一本、乗り換えなしで行けるし(もちろん成田エクスプレスなんていうカネのかかるものは使わない)、成田空港だって知っている。この2年で2回使っているから、だいたいのことはわかるようになった。最初に来た時は物珍しさで外国人用のお土産屋などをいろいろ見てまわったりしたものだが、今回はそんなに見るべきところがないということに気がついた。やはり慣れつつあるのだ。
 ちょっとどきどきしながらも飛行機のチェック・インを済ませ、少し混んでいたので早めに出国審査に向かう。審査はすぐ終わる。年々審査が簡略になっているようにも思えたし、それに僕もこうして出国審査を受けるのはもうこれで3回目なのだ。なんだ、そんなに気にすることはなかった。
 機内では香港から来たとおぼしき人が、スポーツ新聞みたいな派手な色使いの新聞を広げて読んでいた。香港の新聞。「東方日報」、であるらしい。そういえば名前だけは聞いたことがある。べつに覗いて見ようとしたわけではないのだけれど、その紙面には大きな見出しで、「吉岡秀隆」と「内田有紀」という文字が見えた。その前日ぐらいにこの二人が結婚するというニュースが伝えられていたから、その話だということは僕にもすぐにわかった。どうやら香港でも日本の芸能ネタは人気であるらしい。面白そうだったので二日後の帰りの便の中で香港の新聞を読んでみたら、芸能面にはV6の井之原と長野が香港に来たという記事や、パフィーの大貫亜美が妊娠4ヶ月であるといった記事が載っていた。


DSCN1139

(↑PUFFY大貫亜美妊娠の記事。東方日報はほぼオールカラー)


DSCN1136

(↑こちらはV6のふたりが香港に来たという記事。「訪港」なのね)

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2005/04/18

今日は整理日。

今日は整理日でした。
(生理日ではないです。そう変換されたけど。あっぶねー)
散らかってる服と部屋の片づけしたり、
たまっていたメールをやっつけたり、買い物したり。
週に1度ぐらいはこういう日がないといけんのですが、なかなかねぇ。
しかし送信メール今日だけで14通って……。はぁ、疲れた。

スケジュール的に忙しいわけではないのですが、気持ち的にね。
時間の使い方がヘタだというのもあると思います。
なんだか無駄に時が過ぎていくような気が……。

なんか風邪気味で体調悪いし気分も悪い。気持ちが塞ぐ。
(食欲がないのです…)
「そういうときは手を動かせ!」ってんでなるべく家事をやるようにしてるんだけど、
途中で気分悪なって、ひさびさに薬(レキソタン)飲んでいつのまにか寝ちまった。
起きたら夜の8時。おかげでトレーニングにも行けずじまい。
こういう日に行かなかったらいつ行くんだよ~~。

たまっている用事、なかなかはかどらんです。まだ半分。
このPCを置いてる壁の前に、やらなきゃいけないことをポストイットに
張って並べてあるのですが、全然減ってねぇじゃん!!ダメじゃん。

はー、もういいやー。
早く寝よ。おやすみ。

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mixi

今日はmixiなるものに登録しました。
まだ何がなんだかわかってないんですけどね。
http://mixi.jp/home.pl

説明文には
「mixi(ミクシィ)は、メンバーより招待された方のみで構成されている、
 日本初のソーシャルネットワーキングサイトです。

■mixiならこれまでの友人関係を活性化できる

■「友人の友人」と交流できる

mixiを使えば友人同士のネットワークをたどって「友人の友人」との交流が
簡単にできます。そこにはあなたの友人から繋がる信頼できるネットワークが
形成されています。mixiはどこかで繋がっている人同士が集まるコミュニティ
であり、これがソーシャルネットワーキングの特徴です。」

ってなコトが書いてある。
まーこれはやりながら追々、だな。
何かポテンシャルのありそうなメディアみたいです。
(でもまだよくわかってない)

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2005/04/16

サマソニ!

サマソニ05の日別アーティストが発表になる。
やたっ! ほぼ理想的な割り振り。
土曜は仕事で行けるのは日曜だけなのだけど、
その日曜に見たいのが集中してる。
うおー、クリマンありがとーー!! この割り振り変えるなよなー。


まずトリのオアシスがこっちに来た。
NINも好きだが、前NKホールで1回見たからなぁ。
オアシスはまだ見たことがない。

サブトリ以下も、ウィーザー、ブラック・クロウズ、シーザーズ、
カサビアンといったところが日曜に集中してる。パフィーもこっちだ。
気になるけど土曜に行っちゃったのは電グル×スチャダラぐらいのもん。
スリッペやイアン・ブラウンなんてどうでもいいし、
デュラン・デュランは気にならなくはないけどこの際仕方がない。
うーん、これならほぼ完璧じゃないっすか。

そして何よりも大事なのが Me First and the Gimme Gimmes !!!
オアシスよりも優先されるべきバンド。ついに日本初上陸っすよ! 
やったね。
このバンドが見たいから今年のサマソニに行くようなもんなのだ。
これが土曜だったらどうしようってドキドキだったよ。

あとの問題はチケ代が高いということだけど……まあ仕方ないか。


gimmegimmes

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2005/04/15

【香港的小旅行記 第5回】

 ■準備:

 父から「香港に行ってきたらどうだ」と言われた僕は、面食らってしまってしばらく答えが出せずにいたのだが、何日か考えたあと、「面白そうだから行ってみよう」という結論に落ち着いた。いい機会かもしれない。香港なら英語だってそこそこ通じるだろうし、いざとなれば我々日本人には「筆談」という秘密兵器がある。だいぶ前に沢木耕太郎の『深夜特急』を読んでいた僕にはまずそのことが浮かんだ。場所も比較的近場だし、日数だって短い。2日とか3日程度のものだ。はじめての「ひとりでの海外」にはもってこいかもしれない。いや、入門編というべきかもしれないな。香港のことはよく知らないけれど、これから調べれば済むことだし、それに僕だって香港が嫌いなわけではない。

 旅行日程については、はじめは1泊2日か2泊3日の好きな方を選んでいいと言われていたのだが、しばらくしたら「9月28日(土)から30日(月)までの2泊3日で」ということになっていた。その時の僕の都合からいえば平日の方がよかったのだが、どういうわけかその日程でしか航空券が取れなかったので、そういうことになってしまったのだ。「そういうことになってしまった」とはいっても、僕は元からあまり選り好みできるような立場にはなかったし、はっきり言ってしまえば別に一泊だろうと二泊だろうとどっちでもよかったので、日程が自動的に決まってくれたというのは楽でもあった。選択肢がひとつしかないというのは迷う余地がないので、楽といえば楽である。


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(↑沢木耕太郎『深夜特急』香港編 定番ですね。かなり参考にした1冊)


 日程が決まると、僕はあわただしく準備を始めた。最初にしたことは香港についてのガイドブックを買いに行くことだった。先ほども少し触れたように、僕は香港というところについて大した興味もなく、一般常識以上のことはほとんど何も知らなかった。1997年にイギリスから中国に返還されたことまでは知っている。でもそれ以上となるとさっぱりだった。通貨はドルなのか元なのか。「百万ドルの夜景」以外には何か見るべきところはあるのか。警察権力すら及ばない「魔窟」と恐れられたかの九龍城はいまもまだあるのか。林立するビルの谷間から離発着することで有名な啓徳空港は、たしかもう閉鎖されたんだっけ。
 だいたい僕は香港の地図を持っていなかった。僕はどこへ旅行に行くにも、まず地図を見てそれからプランを立てるので(僕は地図を見るのが好きだし、方向感覚にも自信はあるので、とりあえず地図があればどうにかなる)、地図がないことには計画の立てようもない。

 とりあえず大きな本屋に行ってみて最初に目についたのは、『るるぶ』とか『まっぷる』みたいなガイドブックだった。僕自身ガイドブックの類のことについてはよく知らないので、「とりあえず1冊必要なんだから」ということで『まっぷる』の方を買ってみた。地図の会社である昭文社から出ていたので、とりあえず地図はちゃんとしているだろうと思ったのだ。ただそれだけである。でも家に帰って読んでみて、僕はそのガイドブックが地図を除けばまるで「使えない」ことに気づいた。買い物とグルメのことしか書いていないのだ。買い物でなければグルメだし、グルメでなければ買い物である。観光スポットがどうたらとか、旅の準備や香港の自然と気候、通貨と両替、滞在実用情報といった、僕が求めている情報については大して書かれていなかった。たしかに香港には観光スポットと呼べるものが少ないから、「どこそこがこんな感じです」的情報が少なくなるのはある程度理解できた。でもどう見てもこのガイドブックは、「ちょっと遊びに行っていろいろ買い物して美味しいものでも食べてこようかしら」的OL向けの内容である。少なくとも女性向けである。べつにそういった目的の旅行がいけないというわけではない。そうではなくて、ただ単にこの本は今回の僕の旅行には向かない種類の内容だというだけのことである。
 買うべきものを間違えたことに気づいた僕は、こんどはパルコブックセンター(ここは品揃えがよく、感覚的に若いので結構好き)に行って別の本を探すことにした。数あるガイドブックをいろいろしつこく見較べてみて、最終的にはJTBから出ている実用性の高そうなやつを選んだ。出国や香港入国、先に挙げた実用情報、香港の交通、旅のトラブル対処法、困った時のための便利電話帳などが載ったやつだ。


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(↑「るるぶ」香港版。この手のガイドブックはちょっと使えなかった)


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(↑で、新しく買ったのがこっち。実用的で◎。擦り切れるまで使いました)


 使えそうなガイドブックを手に入れたあとは、必要なものの準備に取りかかった。……とはいっても、別に初めての海外への旅行というわけではないので、いまから買い足すべきもののリストはごく短いもので済んだ。必要なものは前回までにあらかた揃えてあったのだ。
 バッグは大きめのデイパックひとつにした。山登りとかにも使えるけど、普通の町歩き用に使ってもさほど違和感のないようなやつだ。日程もたったの2泊3日だし、僕はとにかく歩き回る方なので、両手がフリーになるものの方が都合がよかった。荷物は軽い方がいいので、向こうで着るものなんかはふだんあまり使っていないようなTシャツとかにして、要らなくなったら捨ててくるぐらい感じにした。文庫本だって要らない。実際には本を読んでるような空いた時間はないだろうし、いまあるガイドブックだけでじゅうぶんだ。CDウォークマンもなし。僕はふだんから音楽なしではいられない人だけど、たった3日間の我慢だし、それにあれを持つと荷物が重くなる。でも薬は必要だ。風邪薬と鎮痛剤と下痢止めを少々。香港のドラッグストアにも売っていることはわかっていたけれど、やはり使い慣れたものの方がいいだろう。それから眠剤と抗不安剤もリストに加える。実際には使わないかもしれないけれど、でもこういうのは持ってるだけでも「お守り」になる。

 いちばん困ったのはやはり服のことだった。9月の下旬、そして場所は日本よりも南にある香港なので、Tシャツに短パンぐらいでいいだろうとは思っていた。要するに普段着。ただ、ガイドブックには「建物の中ではとても冷房が効いているので長袖のものを1枚持っておいた方がいい」ということが書かれていたし、いかに暑いところに行くとはいえ、あまりスキだらけの格好をしていると飛行機に乗る時ちょっといやな顔をされる(ような気がする)ので、短パンはやめてジーンズにした。
 長袖は薄いウインドブレーカー。かさばらないし、町歩きに使っても何の違和感もなさそうなやつだ。靴は歩き回るので履き慣れたスニーカー。とはいっても、それ以外の種類の靴なんて、僕は革靴一足くらいしか持っていないんだけれど。
 準備は比較的順調に進んだ。3回目とか4回目とかにもなれば、何ごとも少しはこなれてくるものだ。

 持ち物がだいたい決まると、ガイドブックと地図をさんざん眺めてどういったところを見てまわりたいか大雑把なプランを立てた。行ってみたいと思うところにどんどんチェックを入れる。でもそんなに日数にゆとりがあるわけではないので、基本的には香港の中心部や街並みを見てまわり、観光スポットについては「余裕があれば行ってみる」ぐらいの感じにした。ただし「百万ドルの夜景」が見られるヴィクトリア・ピークにだけは行くことにする。特に夜景が見たいというわけではないのだけれど、でも香港に行っておいてこれを見ないのでは何か片手落ちであるような気がしたから。
 まあだいたいそんな感じだ。あとのことはまたあとで考えればいいや。大まかな準備を整えるまでには思ったほどの時間はかかっていない。思いのほか早く済んだ。やはり慣れてきているのだ。


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(↑おまけ。パリのシャルル・ド・ゴール空港はいちばん好きな空港のひとつ。U2のアルバムジャケットにも使われてました。)

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2005/04/12

【香港的小旅行記 第4回】

 ■(カナダ2002):

 3度目の旅行は2002年1月。行き先はカナダ。今回もスキー旅行である。前回のスイスで海外スキーの楽しさを知った父が、「こんどはカナダに行きたい」と言い出して行くことになったのだ。
 この時は僕はあんまり乗り気じゃなかったのだけど、父が行きたがったし、父ひとりだけというのも何なので、僕も一緒に行くことにしたわけだ(40を過ぎてからスキーを始め、50代も半ばを過ぎてなおスキーに対してこれだけの情熱を持てる父の気持ちの若さにはただただ頭が下がる。父だってごく普通の人間だし、近くで暮らしていればいろいろとあらや欠点が目立つ。「人間なんて所詮はみな不完全な存在なんだから」とは思っても、時にはほんとに嫌に感じることだってある。誰だってそうだろう。でもこのスキーへの意欲や情熱ということに関して言えば、僕が父の歳になった頃、何ごとかに対してこれだけの情熱を維持できるのかどうか、正直僕には自信がない。これを言うと彼は喜ぶかもしれないが、父は彼と同い年ぐらいの人たちと較べて顔が若い。何かこうはつらつとしている。もうそろそろいい具合に枯れてきた方がかっこいいんじゃないかと僕は思うんだけど、彼はその辺の感覚があまり理解できないようだし、「若さ」という観点から見れば、彼は確実に若いといえると思う)。
 この頃にはうちでは猫を飼うようになっていたので、母はその間留守番。もともと彼女はカナダにもスキーにも大して興味がなかったので、「私は家で猫と遊んでる方がいい」とあっさり言い放って、進んで留守番を選んだ。したがって、今回は父と僕の二人だけである。

 このカナダ旅行に際して、はっきり言ってしまえば僕は滑ることなんてどうでもよかった。申し訳程度に滑って、「よし、カナダで滑ったぞ」って言えさえすれば、あとはもうなんでもよかった。この時の旅行で僕がその主眼に置いていたことは、この旅行の行き帰りの中でやらなければならないこと――たとえば飛行機のチェック・イン、現地係員との話、食事、買い物、英語での会話その他――を、父ではなく極力自分がイニシアチブを取ってやるということだった。旅行の行き帰りのすべてを極力自分ひとりでやる状態に近づけ、海外に行く際に必要なことをなるべく自分の身をもって知っておきたかった。滑ることに関しては父の好きに任せておけばいい。
 僕の思惑はほぼうまくいった。前回の旅行で英会話は息子に任せておいた方がいいと判断した父は、会話や買い物、その他必要な諸々についてはほとんど僕に任せっきりにしてくれたし(単に楽がしたかっただけなのかもしれないが)、僕は僕で滑る方はどうでもいいので、父の希望に合わせて適当に流しておいた。お互い棲み分けをしてそれなりに満足できたわけだ。悪くないやり方だ。そして空いた時間はひとりで町中を散歩したりウィンドウショッピングをしたりして過ごした。例によってスーパーにどんな物が並んでいるかを眺めて遊んだりもした。そういうふうに過ごせたので、僕としては旅行前に考えていた「課題」をほぼクリアできたし、それはそれである程度満足できた。でもそれでも、僕にはふたつほど引っ掛かった点があった。何ごとにつけ、百点満点というのはむずかしいのだ。

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 引っかかった点のひとつ目は、金銭的なことに関しては今回もほぼノー・タッチだったということである。僕の個人的な買い物以外では金のことについてはまるで把握していなかったし、財布を持っているのは当然、僕ではなくて父の方だった。
 特にホテルのチェック・インや清算では、僕の出番はまるでなかった。清算はクレジット・カードを使って行ったし、カードを持っているのは僕ではなくて父の方だからだ。したがって、僕は今回もホテルに関することは何もわからずじまいで終わってしまった。
 「海外に行く際に必要なこと」を身をもって知る上で、ホテルに関することが何にもわからないというのは、ちょっとどうかである。海外に行く場合、渡航先に友達や家族がいるといった場合を別にしたら、宿の手配や清算というのは避けては通れないことだからだ。つまり僕は、海外への旅行におけるとても重要なことのひとつが何にもわからないままにこの旅行を終えてしまったことになる。もっとも、これについては当時の僕にはどうしようもないことだったから、それについて自分を責めようとかいった気持ちはあまりないのだけれど。

 引っかかった点のもうひとつは、自分の中に何か不完全燃焼のような感じが残ってしまったということだった。「充実感の欠如」とでも言えばいいだろうか。この旅行における重要な部分は「おまかせ」ではなく極力自分でやるようにしたし、また実際ある程度の手応えのようなものは得られたけれど、それでもそういう感覚が残ってしまった。なぜそう感じたのか最初はよくわからなかったのだが、あとから考えてみるに、どんなに「自分でやるようにした」とはいっても、結局のところ自分ひとりではなく「ふたり」だったので、どこか気持ちに甘えみたいなものが出ていたのかもしれないと思い至った。あるいは「ひとり」ではなく「ふたり」だったことで、達成感みたいなものも単純に2分の1になってしまったのかもしれない。

 さっきも書いたとおり、僕はこのときの旅行について自分なりにある程度の満足はできた。自分なりにベストを尽くした。自分の設定した「課題」をほぼクリアできたし、もし点数をつけるとすれば、100点満点で80点というところだろう。悪くない数字だ。じゅうぶん合格。でもいうまでもなく、80点というのは100点ではない。自分でも「よくやった」とは思っていたけれど、でも一方で、「何かが足りない」と感じていたのも事実だった。

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(↑ヴァンクーヴァーの街並み。この日はめずらしく大雪。)

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2005/04/10

69.桜咲く春の空は

 いやぁ、暑い。なんなんざんしょこの暑さは。ついこないだまでコートを羽織っていたというのに、いまはもう春物の上着でさえぶらさげて歩く。冬から夏。春を飛ばして夏。こう温度が変わるとからだがついていけませんわ。服も何をチョイスしたらいいのかわからない。桜もものすごい駆け足で若葉の青に変わろうとしています。そんなに急いでどこへ行くの? 桜はあまり好きではないのでさっさと散ってくれてもいいんですけどね。なんで日本人ってこんなに桜が好きなんだろう?? マジ謎。

 そう、桜という花があまり好きではありません。なぜか? あまりに残酷だから。節目の時期の花だから。心朗らかな人にとっては美しい花なのかもしれないけれど、そうでない人にとってはそうではない。痛い。そういう記憶をいまでも持っているのです。この感覚はそう簡単にはなくならないと思うな。

 ことしの春は自分なりに変化があったのでそう以前みたいにきつくはない。「ああ、咲いてるんだな」と思ってそれで終わり。桜は夜の方がずっとやさしくていいと思うけど、ことしはそういうこともあまり意識しなかった。けど今年の春も特に進捗なく過ごした人たちにとっては、この急激な花の咲きようはかなりしんどいんじゃないかと思う。空は晴れてるし、気温は高いし。快晴の中の桜の狂い咲き。桜の花って変われない自らを残酷に照らし出す凶器みたいなものだ。こんな花を愛でて楽しむなんて正直あまり気が知れない。花見ってそんなに楽しいのかなあ?

 話変わって。
 横浜市は4月からゴミの分別がうるさくなりました。特にプラスチックごみ。しょうがないのでうちでもプラ用の箱を作ってごみの分別をはじめたのですが、多いんだねぇ、プラごみ。家から出るごみのほとんどがプラスチックごみだということが判明しました。いままでのごみ箱の方はちっとも嵩が埋まらない。少々の生ごみと紙ごみと、あとは猫のウンコとおしっこ団子ぐらいのもの。ひぇ、こんなに少なかったんだぁ。紙ごみも厚紙は別に分別をしているのでたいした量が出ません。これじゃ燃えないじゃんねぇ。最近はなぜかごみの分別が楽しくなって、いらんところまで細かく分けて遊んでいます。キャンディの包み紙はきっちりプラごみの方に選り分けたりしてね。凝り性なんだやっぱ。で、よく見るとたいがいのものに「プラ」とか「リサイクル」とか書いてあるのね。知らなかったよ全然。世の中は進んでいるのだなあいつのまにか。

 今日は花見の人が多かったです。土曜日だったからかな。仕事場(仕事場? 俺が? なんてこった!)のそばが桜の名所だったらしくて、昼も夜も人が通る通る。ふだんからこれだけ賑やかならいいんだけど、見慣れないもんでつい眺めてしまいました。何を?人を。ごみもたくさん出たらしいんだよね。山盛りてんこ盛りで。このごみの分別はいったいどうするんだろう? 余計なところまで気になります。分別なんてきっとしないんだろうけどね。

 でもその桜もすでに早くも散りモード。ことしの桜は4日と持たなかったようです。天気が良くっていささか眩しかったと思うけれど、さっさと散ってくれたから案外良かったのかもしれないね。結果論ですが。

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2005/04/07

【香港的小旅行記 第3回】

 ■スイス2001:

 僕はこれまで、3回ほど海外へ行ったことがあった。最初はまだ高校生の時。当時僕が通っていた学校には、夏休み中に「アメリカ研修旅行」という学校主催でアメリカの街に1ヶ月ほどホームステイする行事があった。僕はこれに参加したのだ。これは生徒全員ではなくあくまで希望者のみの行事で、参加者は1回につきたしか70名程度だったような気がする。
 この時の体験は僕にとってとても得がたい貴重なものになったのだが、ともかくこの時は自分で行ったのではなく、学校主催だったわけである。参加者全員で集団で移動し、指示されるままに成田に行って飛行機に乗り、何も考えることなしにアメリカはオレゴン州のポートランドという街まで行った。黙って飛行機に乗っていたらポートランドに着きましたという感じに近い。ホームステイ先では誰も助けてくれるのことのない英語漬けの生活だったが、行き帰りの作業については、引率の教員任せ、旅行代理店任せの旅だった。

 2回目はひきこもりの生活から脱したあとの2001年。行き先はスイスだった。僕にとっては10年ぶりの海外である。
 実はこれより前の1998年のフランス・ワールドカップの時に、ちょっとしたコネがあって日本対ジャマイカ戦のパックツアーに安く行けることになり、いい機会だからということで新しくパスポートまで取ったのだが、例のチケット騒動の煽りをもろに喰らって話がご破算になったことがあった。ちなみに、この時パスポートを受け取りに行った帰りに僕は駐車禁止で車をレッカー移動され、罰金とレッカー代計3万円を支払う羽目になった。パスポートを取りに行って罰金を払わされ、挙句旅行はパアになったのだから、まったく弱り目にたたり目である。いったい何の為のパスポートだったのか。もっともテレビであの日本対ジャマイカ戦を見た時には、そのあまりにひどい試合内容にがっくりきて、「ご破算になってよかったかもしれない」と思い直すことになったのだけれど。これが初戦のアルゼンチン戦だったら……たぶんそうではなかったと思う。

 このスイスへの旅行は僕の両親の銀婚式記念(でも3年遅れ)のもので、なぜかコブつきで僕まで行くことになった。というか、銀婚式うんぬんというのは最初からただの名目で、実態は父が行きたがっていたスキー旅行だったので、半分ついでで僕も連れて行かれた(連れて行ってもらった)わけだ。98年以降ただの一度も使われていないパスポートに救いの手を……というのもあったかもしれない。

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 10年ぶりの海外ということで僕はまるで勝手がわからず、持ち物だって何を用意したらいいかもわからずにただひたすらあわあわと支度をするだけだった。長時間のフライトでは体が疲れないようラフな格好をしておいた方がよいということも知らなかったし、機内は乾燥するので大き目の飲み物のボトルを持っておくとよいということも知らなかった。機内では靴なんかさっさと脱いでスリッパでいた方がいいということすら知らなかった。おまけに行きの飛行機の中で帰りの航空券をなくすという失態を犯し、後日僕はパリの街でひいこら言いながらJALのオフィスを探し当て、1万円を払ってチケットの再発行をしてもらわなければならなくなった。まあこれもいまではいい思い出なんだけど。

 この旅行の中で僕は、「そこそこ」ではあるが、自分がこの日本とは違う環境に適応できているということを発見した。滞在先の町にあるスーパーでは買い物カゴ片手にいろんな品物を見てまわり、日本に較べてあれは高いの安いのと比較して楽しんでいた。電化製品は日本に較べたら驚くぐらいに高かった。再生専用のMDプレーヤーが3万円近くもする。アホか。日本に来る外国人旅行者がこぞってアキハバラに買い物に行く理由が解ったような気がした。ペットボトルの飲み物は概して安かった。500ml入りのミネラルウォーターは日本円にして70円位だし(日本では130~150円もする)、コーラやジュースのボトルも100円しない程度だった(ただし安いのはスーパーだけで、駅の売店などで買うとその何倍もする)。
 スイスには「レッドブル」というスポーツドリンクがあることを知っていたので(「レッドブル」はザウバーというF1チームのメインスポンサーなので)ためしに買って飲んでみたら、オロナミンCとよく似た味がした。ポテトチップやキットカットなどのお菓子をいろいろ買ってきては、日本のものと味がどう違うか較べて遊んだりした。


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↑レッドブルはヨーロッパではかなりポピュラーなスポーツドリンク。
 味はオロナミンCにそっくり。


 もちろん本屋にだって行った。どんなものが並んでいるのか興味があったからだ(マンガ『ドラゴンボール』のドイツ語版単行本があるのを発見。つい買ってしまった)。雑誌はどんな感じなのか、おもちゃ屋にはどんなものが置いてあるのか、駅のキオスクではどんな物が売っているのか……。町にはどんな建物やお店があるのか。ヨーロッパの町はやはり教会を中心として、その周囲に発展するように造られているのか。僕はそういうことをしている時がいちばん楽しかった。スキーの方は(僕はボードだけど)……半分どうでもよかった。

 ツアーのオプションでパリに移動した時も、僕のその興味は続いた。街並みはどんな感じなのか。スーパーではどんなものが売っているのか。物価はいくらぐらいか。CDはどんなものが売れているのか。シャンゼリゼにあるヴァージン・メガストアに入って品揃えを見てまわり(ただの習慣なのかもしれないが)、そこで洋楽の日本盤(帯・解説・対訳つき)がちらほらと並んでいることを発見した(日本盤は印刷がきれいだし、日本盤のみのボーナス・トラックや日本限定盤などがあるので、向こうでは一種の貴重盤のようにみなされるらしい。値段は表示されている日本円価格よりもやや高い)。

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(↑パリの街中のどこか。2月というせいもあり、すこし肌寒い日でした。)

 道を聞いたりするのも僕の担当だった。道行くフランス人相手に「英語は話せますか?」と聞いて、「ノン」と答えているにもかかわらず英語で質問した。フランス語はまったくと言っていいほど知らなかったが、地図を指し示しながら「シャルル・ド・ゴール・デュトワ(に行くにはこの電車でいいのか)?」と無理矢理聞いた。売店のおばちゃんは「そうよ、これでだいじょうぶよ」と答えてくれた。僕はフランス語が理解できないけれど、でもそれぐらいのことはわかる。「ありがとう(メルシー)」と覚えたての礼を言って、僕たちは地下鉄のホームに向かう。
 フランスといえども観光地ではたいてい英語が通じることもわかった。エッフェル塔の入場券売り場では、何を思ったか父がしばらく迷ったあと、「大人3枚」と日本語で口走ったため(売り場のおばちゃんはもちろんぽかんとしていた。当たり前だ)、慌てて僕が横から「スリー・パーソンズ」と訂正した。母はもとより父も英語がダメだということが判明したので、以来あきらめて会話はすべて僕が担当することにした。こう書くと僕の父がとんでもないマヌケのように響いてしまうかもしれないけれど、でも父だって海外に出る機会なんてほとんどないのだ。若い頃外国にいたという経験もないし、英語があまり話せないのは彼のせいではない。そして会話はすべて僕がやらざるを得なかったというのは、僕にとってみればかなり貴重な経験になった。

 かように僕はこの旅行を楽しんでいたけれど、旅行の行き帰りや空港でのチェック・イン、ホテルでの清算などといったことは、全部父、もしくは旅行会社の人に任せっきりだった。それらのことについて僕は何ひとつ把握していなかった。僕が財布の紐を握っているわけではないので、そういったことには最初からノー・タッチだったのだ。父がホテルの清算でフロントの人の英語が聞き取れずに悪戦苦闘している間、僕は知らん顔で壁の絵を眺めたり通りを行きかう人の姿を観察して遊んでいた。父がいよいよわからなくなって何を言っているのか聞いてきた時に、ちょろっと通訳して助け舟を出しただけだ(彼が聞き取れなかったのは「冷蔵庫の中の飲み物は何か飲みましたか?」ということ)。大事なことはほとんど父がやっていたのだ。でもその時は――そんなことは大して気にならなかった。


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(↑レマン湖をのぞむ車窓から。ローザンヌの街並みはめっちゃきれいでした。)

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2005/04/05

テレビって……

あー気がついたら今週も「あいのり」見らんかった。2週連続? そういや「きらきらアフロ」も見てない。これも2週連続。忘れてしまうのですなあ、どうも。ないと死ぬっていうもんでもないしね。あったらあったでうだうだと見てしまうのですが。

そう、見てしまうのです。どうでもいいときにかぎって。
昼間のドラマ再放送にハマるのは毎度のことだが、「GOOD LUCK」をちょっとだけ見たあとは「セカチュー」が始まってしまい。そして夜中は夜中で「木更津キャッツアイ」なんかやってるし。もう何度目だよこれ。でも見てしまうところが怖い。やっぱ面白いんだよね。

でもつまりあれだ、いま「木更津」をやってるのはモロ「タイガー&ドラゴン」の宣伝だし、「セカチュー」が始まったのは日曜夜の「あいくるしい」の宣伝。綾瀬はるかが出てるからね。
う~ん、きっと見てしまうんだろうなあ、どっちも。なんかまんまと乗せられてるような……。まあいいけど。

さっき「あいのり」のHPを見た。
なーんだ、今週はやってなかったんじゃん。ちょっと安心。
そうですか、裕くん突撃ですか。ふむふむ。


そうそう、関係ないけどマライア・キャリーの新譜がヤバイです。
いや、中身がじゃなくってジャケット。かなりキテます。セクシー&ゴージャス。
J.LOあたりはもうメじゃないですね。「Get Right」のビデオはよかったけれど。

なんでもビヨンセのジャケを撮った人と同じなんだとか。
確かに似てる、雰囲気が。ついジャケ買いしそうになりました。
おおぅ、危ねー危ねー。


mimi

beyonce

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2005/04/04

【香港的小旅行記 第2回】

 ■きっかけ:

 「香港に行ってきたらどうだ?」と父親に言われたのは、たしか2002年の9月はじめ頃のことだったと思う。急にそんなことを言われたものだから、そう言われても僕は面食らってしまっただけで、何でそういう話になるのかよく理解できなかった。え、香港? なんでまた。

 僕の父は航空会社に勤める会社員である。航空会社の社員とその家族には、社員優待でただで飛行機に乗れるという特典がある。「ただで乗れる」といっても、もちろん限度があるし、正月やお盆などの繁忙期、またすでに満席になっているような便には乗ることができない。ちゃんと料金を払って乗ってくれる一般のお客さんが優先だからだ。そういう時期に乗りたかったら、たとえ社員であっても正規の料金を支払わなければならない。会社だって、「ただ乗り」の社員やら家族やらを乗せるより、たとえ格安チケットであっても、お金を払ってくれる人を乗せた方がいいに決まっている。それはそうだ。だから、「好きな時に好きなところへ乗り放題」というわけではなく、「席が余ってたらそこにただで突っ込んであげてもいいよ」程度の優待だと言ってもいいかもしれない。でもまあ大まかに言って、だいたいの便には乗れるのだと理解しておいてもらえればいいと思う。社員優待でも予約を使うことはできるし、繁忙期を除けば、満席になる便なんてそれほど多くはないからだ。どの便が満席になるかなんていうのは、事前に予約状況を調べればだいたいの予想はつく。

 父が勤める会社は基本的には国内線を主力とするエアラインなのだが、多少は海外への便も運行している。海外とはいっても、韓国とか中国とかの近場の外国だけである。アメリカやヨーロッパへ行くような便なんていうものはない。そんなに大きな力を持った会社というわけではないのだ。
 父の話だと、彼の勤める会社の中国への路線は、上海・香港・広州・西安・昆明の5路線があったのだが、会社の経営合理化による不採算路線廃止の方針により、9月いっぱいをもって東京-香港線は休止になることになったのだという。「休止」とはいっても実質廃止である。香港線は競争の激しい路線なので、体力のない会社には路線を維持することが難しいのだ。それで社員家族優待は海外便に対しても多少は使えるので、いまのうちに行ってきたらどうだというわけだ。路線が廃止されてしまったらもうただでは行けなくなるのだから、ということだ。ふむ、なるほど。最初は父も行きたいと言っていたのだが、航空券が取れそうな日程と父の仕事の都合がうまく噛み合わなかったため、今回は僕ひとりで行くということになった。父がダメならうちの母が……という話も出たのだけれど、僕の母はここのところ宙吹きガラスの教室に凝っていて、しかも9月の末には作品の発表会を控えていたため、父がその話を持ち出した途端に、「あたしゃ香港なんて行かないよ」と言下に切り捨ててそれで終わりになってしまった。

 僕はそれまで香港になんて興味はなかった。もし海外に行くのであれば、ヨーロッパやアメリカなどの、日本とは基本的に異なる文化圏の国に行きたいと思っていた。アジアの国々というのは……まあまったく失礼な話だとは思うけれど、僕の中ではあまり「外国」というふうにはみなされていなかったのだ。大方の日本人の感覚と同じである。それに、香港といえば買い物天国とかグルメというイメージしかなかったのだが、僕はそのどちらにも興味がなかった。香港に行って特に見たいと思うようなものも何も浮かばなかったし、香港映画にも興味がなかった。香港映画どころか、僕は映画というもの自体をほとんど見ない人なのだ。映画館に行って観るのはせいぜい年に2、3回程度。香港映画に至っては『少林サッカー』しか観たことがなかった。それだって香港映画だから観たのではなくて、サッカーネタで面白そうだったから観に行ったというだけのことだ。たとえそれがタイやインドで作られた映画だったとしても、僕はそれほど気にしなかったと思う。

 かように僕は香港というところにたいした興味を持たない人間だったのだが、でもひとりで海外に行くというのは悪くない話であるように思えた。誰かと一緒ではなく、「ひとりで」というところがポイントだ。

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↑いままで見たことのある香港映画はこれだけ。映画はあまり見ないので。

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2005/04/02

【香港的小旅行記 第1回】

 ■着陸:

 とどのつまり、僕は緊張していたわけだ。
 エアバスA-300の座席に座り、僕を乗せた飛行機が目的地である香港に近づくにつれ、僕は次第次第に落ち着かない気持ちになっていった。香港行きの飛行機に乗っていたというのに、心のどこかでは「東京に帰りたいな」と思っていたのだ。簡単に言ってしまえば、まあそういうことになる。


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 飛行機が成田新東京国際空港を飛び立ってからおよそ4時間、窓の外の雲間からぽつぽつと香港の島々の姿が見え始めると、僕はだんだん落ち着かない気分になってくる。エコノミーの座席が狭いせいかもしれないが、出された機内食を食べきってしまうのにひどく時間がかかった。いつもはこれだけではまったく足りないので、空港の売店で前もっておにぎりやら菓子パンやらを買い込んでいたのだが、この日はもうこれ以上何かを食べようという気にはなれなかった。やはり緊張していたのだ。じきに機内のアナウンスがあり、着陸が近いことを知らせる。シートベルト着用のランプが点灯し、客室乗務員が乗客のベルトを点検して歩く。みんな席につく。当機はまもなく香港国際空港に着陸いたします。お倒しになられましたお座席の背もたれをお戻しになり、お座席のシートベルトを……なんたらかんたら。もちろん僕はそんなものたいして聞いちゃいない。高度を下げた飛行機は右に大きく旋回し、その長い旋回を終えて左の窓の外にまた香港の海がその姿を現わすと、海はさっきまでよりずっと近い位置にあった。海はくすんだ緑色の水をたたえていて、近くには小さな漁船が見える。今日の香港の天気は曇り。気温は摂氏26度。機体が雲の下へ降りていくと、窓からは島々の姿がはっきりと確認できる。そして着陸態勢に入った飛行機がさらにその高度を下げて、窓の外を海のグリーンではなくグレーのアスファルト滑走路がするすると流れていくようになると、僕は心のどこかで「ああ、いっそこの飛行機が着陸しないでまた浮き上がってくれないかな。そのまま成田に戻ってくれないかな」などと思い始めている。でも言うまでもなく、そんなのは無理な話である。管制塔から着陸許可が降りて一度着陸態勢に入った飛行機は、よほどのことがない限りその着陸を回避するなんてことはない。そして僕の淡く密かな願いは誰の耳に届くこともなく却下され、機内には鈍い衝撃が走る。どすん

 轟音とともに飛行機がエンジンを逆噴射させて強い制動でその速度を落とし、着陸に無事成功した機体が旅客ターミナルを目指してゆっくり進むようになると、僕は自分の無理な望みが完全に打ち砕かれたことを理解して、諦めてぼんやり窓の外を眺める。窓の外には尾翼に赤のペイントを施した中華航空や、白地にグリーンのポイントが入ったキャセイ・パシフィックの機体が見える。一部の気の早い乗客たちは、早々と座席の上の棚から自分の手荷物を降ろし始める。そんなに急いだって大して変わらないのにな、と僕は半分しらけた気持ちで彼らの動きを横目で見ている。棚から降ろすべき荷物のない僕は、ほかにすることがないのでまた視線を戻し、窓の外の景色を眺めることにした。

 飛行機が完全に停止し、地上の作業員が彼らの仕事を能動的にこなす間に、ボーディング・ブリッジが機体に横付けされ、そのうち機内の通路に並んだ乗客たちが少しずつ前へ前へと進み始める。特に急ぐ理由もない僕はしばらくの間ぼさっと自分の席に座って外を眺めていたのだが、そんなことをしていても仕方がないので、ゆっくり立ち上がって自分の荷物を整える。予想に反してまったく手をつけられることのなかったおにぎりや菓子パンは、ぱんぱんに膨れ上がった僕のデイパックにはとても入りきらないので、ミネラルウォーターのボトルとともにコンビニの袋に突っ込まれて僕の手からぶらさがることになった。コンビニの袋をぶらさげたまま飛行機から降りるなんてちょっとマヌケな姿だ。というか、ほかに入れるところがないので、僕はこのままの姿で香港の中心部まで行かなければならない。でも、だからといって袋ごと座席の上に置き去りにしてくるなんていうもったいないことはできないので、姿云々についてはあまり考えないことにして、僕も列の中に混ざって前へと進むことにする。だいたい今回はあまり予算がないのだ。多少ファッショナブルさに欠けるとかどうとかなんてことは考えてはいられない。そして右手にコンビニの袋(おにぎり3つと菓子パン2つとミネラルウォーターのボトル2本入り)をぶらさげ、デイパックを背負った僕は、乗客の列に混ざってそのまま飛行機を降りた。

 ボーディング・ブリッジを通過して香港国際空港の敷地の中に入ると、僕は自分の置かれた状況を少しずつ受け入れるようになってきた。いや、「受け入れるようになってきた」などというかっこいいものではなくて、「受け入れざるを得ないのだということを実感し始めた」といった方が正確かもしれない。もういまさら引き返して東京に戻るなんてことはできない。そんな見込みのない期待はうち捨てなければならない。なにしろもう香港に着いてしまったのだ。日本に帰るのはあさって。今日を入れて3日間、ともかくこの香港でやっていかなければならない。その時僕が置かれた状況というのは、そういうものだった。


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【香港的小旅行記のためのノート】

初出はミニコミ同人誌・『クラヴェリナ』(連載途中にて休刊)。
旅行の期間は2002年9月28日から30日までの3日間。
執筆は02年の年末から翌03年2月頃まで。約2ヶ月強。

『クラヴェリナ』への掲載は第5号(2003年8月発行)、
第6号(2004年2月)、第7号(2004年7月)の3回。
掲載分は全体の4割ほど。

書いてからすでに2年以上の月日が経過しているので
いろいろ直したい部分はあるのですが、
一部当時と状況の変わった箇所を除き、基本的に修正は加えていません。

全部で35回ぐらいになると思うので、
週に1~2回のペースで更新しようかなと思っています。

ではでは。

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