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2005/09/14

76.山と街と

 自分の居場所について考えることがある。
 母の実家は静岡の山奥にあるのだが、ここに帰るたびにあることを思う。「とどのつまり、ここが自分の居場所なのではないか」と。自分のための場所だと思えるし、そこにからだが馴染んでいる自分を発見することができる。何よりも空気が違う。美味くて、澄んでいる。辺りは広く、人は少なく、自然な流れでものごとが動いている。母の実家にはインターネットがないのだが、何日かのあいだネットのない生活をしていると、「こちらの方がよほどまともなのではないか」と思えることがある。数時間おきにメールをチェックしてそのたびにイライラしている自分は何なのかと、ひどく馬鹿馬鹿しくなる。そこが子どもの頃から慣れ親しんだ土地だ。

 広い世界が好きだ。海や空港などに行くと、それだけで心がワクワクするし、逆に狭い部屋へと押し込められると、それだけで気が狂いそうになる。そういう意味では都会というところはひどくストレスフルなところなのだが、都会には田舎にはない刺激がある。狭く、空気は悪く、濁った空が頭上を広く覆ってはいても、しかしこの東京という街で得られる刺激と感度はほかに何ものにも代えがたい。そういう思いがあるせいか、田舎の自然をあるべき姿としながらも、毎日の日常の中でついそのことを忘れ、日々の惰性に押し流されてしまう自分がいる。そして山々の澄んだ空気を吸うたびにそういう自らを自覚し、僕は考え込むことになる。もう何年この営為をくり返してきたことだろうか。

 きっと山と街、その中間にいる人間なのだろうなと思う。純然たる田舎の人間ではないし、かといって生まれながらの都会人でもない。これからどういった場所に身を置くにせよ、そのふたつの気持ちに挟まれながら、まだしばらくのあいだは生きていかざるを得ないのかなと、心の端に少しだけ覚悟を決めはじめている。きっと、その両者の中間にあたる場所を探し当てることができればいいのだろうけれど……。
 ただひとつだけ決めていること。死に場所は静かな山の奥で身を置きたい。終わりから逆算する生き方もありなのかなと、またそれまでは見苦しく逡巡し続けるのもありなのかなと、いまは思っている。

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