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2005/11/16

82.夫婦別姓問題について

 先月あたまに友だち夫婦が結婚した。
 その前会ったときには、籍は入れずに事実婚状態でいくという話だったのだが、結局入籍して、奥さんの方が旦那の戸籍に入ることになった。その理由を聞くと、「最初は事実婚でいくつもりだったんだけど、結局親を説得するのがめんどくさくなった(笑)」とのこと。「おーい、そんな大事なことをそんな理由で決めるのかよ~」って思わず笑いそうになったが、世の中案外そんなものなのかもしれない。籍は入れたが、日常生活上は旧姓で通していくそう。そういうやり方もありだと思う。いわゆるワーキング・ネーム的な苗字の名乗り方。これからはそういう人がもっと増えていくんじゃないかな。

 夫婦別姓問題に関していえば、自分は「別姓もまたやむなし」という立場。せっかく一緒になるんだったら苗字もおそろいのにしたほうが楽しいんじゃないかとは思うものの、しかしそのためにはどちらか一方が名前を変えなきゃならない。日本では女性が姓を変えて夫の苗字を名乗るのが一般的やり方になっているわけだけど、それもどうなのかなって。「それってアンフェアなんじゃね?」と思う。なぜ女性であるというだけで苗字を変えなければいけないのでしょう? その根拠は何だ? いったい何なのだ? 考えればあまりよくわかりません。

 さて、自分が結婚するに際して苗字を変えるつもりがあるか? ありません。全っっ然ない。全然ないし、そんなの考えたこともない。「何で俺がいままで使ってきたこの名前を変えなきゃならんのよ? ふざけんな。ああ?!」ぐらいに思っている。
 だというのに、女性が女性であるというだけの理由でそれを相手に押しつけていいものなのか? そういうのっていささか短絡的暴力的に過ぎるのではないか? そう考えると、安易に相手に同じ苗字になってくださいとは言えなくなってくる。だって、自分がそんなん言われたらめっちゃ腹立つでしょ。ひっぱたくでしょ普通。そんなのを何の考えもなしに押しつけるのはどう考えても理不尽だと思います、僕は。
 じゃあ自分が相手の苗字に合わせるのかといえば、やっぱりそんなつもりはない。ないんだなあ。ないのよ、全然。となれば、夫婦それぞれ別の姓を名乗るのも仕方ないかな、となる。それが僕が「夫婦別姓もまたやむなし」と考える理由であります。

 無論、相手が岡本の苗字になりたいというのなら否とは言いません。「ほんとにそれでいいの? 事実婚や夫婦別姓というやり方だってあるんだよ」ということを形だけは言ってみるものの、内心は「しめしめ……」とほくそえむこと間違いなし。
 また、進んで自ら同じ籍に入りたいとは言わない場合であっても、「せっかくだからおそろいの苗字にしようよ」的オルグは実行することでしょう。いや、絶対するね。間違いなく。
 ただ、それで拒否されれば深追いをするだけの権利も理由もこちらにはありません。渋々ながらも別姓なり事実婚なりの方法を模索することになるでしょう。だから、自ら進んで「谷亮子になりたい!」というヤワラちゃんの心理はよくわからないわけです。戸籍上はともかく、試合に出るときぐらいは旧姓で通したらいいやないのって思いますけどね。まあそんなの本人の自由なんですが。

 まだあんまよく知らないんだけどさ、結婚って1対1で向き合う行為でしょ。もちろんそこに親類やら縁者やらめんどくさい要素がいっぱい絡んでくるのは承知だけれど、でも突き詰めれば当事者どうしの1対1の関係なんだと思う。でね、1対1の関係であるからには、そこにはある程度の公平性(fairness)みたいなものがあってしかるべきだと思うわけ。っていうか、「あるべきだ」と信じてるね、俺は。
 少しわかりやすい言い方をすれば、家事はある程度分担するとか、食事を作ってもらった側が洗い物をするのが暗黙の了解になっている。いちいち口に出さなくても「そんなの当然でしょ」みたいな、そんな関係が望ましいと思う。「どこかしら緊張感がある」っていうのかな。もちろん、だらだらしたてきとーで楽チンな関係も好きなんだけど。
 
 ともあれ、自分としてはそういうフェアネスみたいなものを大事にしたいし、そうでない関係ってどっか気持ち悪いなあって思う。どっちか一方が依存したりされたりする関係っていうか。そういうのは正直ご勘弁願いたいです。
 もちろんこれは自らのからだを通して考えたことじゃないし、多分に頭でっかちな考えだってことはわかっちゃいるんだけど、でもいまのところは頭だけで考えるしかないもんね。まあ今のところはそんな感じです。先のところは全然わからないんだけれども。どうなるんだろうねえ。少したのしみだ。

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コメント

対等な二人であるからこそ、はじめてお互いに依存することが出来るのではないでしょうか。依存とは、助け合って生きていくことです。助け合う心は、対等な関係でなければ生じません。対等ではない関係から生じる依存は、依存ですらなく、それは支配と被支配でしかないと思います。

投稿: 波へい | 2005/11/19 03:52

>どっちか一方が依存したりされたりする関係っていうか。そういう>のは正直ご勘弁願いたいです。

対等という概念を盲信しているならそれもありだね。
頼り甲斐の無い甲斐性無しの体裁って感じだ。

投稿: ゆるゆる | 2005/11/19 00:12

はじめまして。そうなんですよね。夫婦や男女は1対1で、互いに強く影響を及ぼしあいますから。
当然相手が同姓を望めばそれで終わりですが、一方的に要望を押しつけると禍根となって残ることもあります。無難に過ごすため「やむなし」と考えるのは賢明だと思います。まあ相手次第ですが。

投稿: 夫婦別姓を待つ身 | 2005/11/16 12:01

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