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2006/03/20

93.ファッション誌Ⅲ:「モテ」について考える

 ひさびさにファッション誌のことを書いてみようと思う。
 ここしばらくその手の話を書いていなかったけど、もちろんちゃんと読んでいました。「GLAMOROUS」などの新雑誌も多くて、いまいち全体像を把握しきれていないのですが、ともかく読んでいます。
 ただ、あれ。今年もとうに秋冬に入ったもんだから、購読頻度は夏より確実に落ちています。これは去年もそうだったからわりに断言できるんだけど、やっぱ秋になると露出も少なくなるし、なんとなく見ててワクワクしないんです。やっぱり夏っぽい解放感のある服が好きさ。これには「四季の中では夏がいちばん好きで秋がダメ」という、僕の個人的な趣味嗜好も関与していると思う。なんかね、夏の終わりの物淋しさが苦手なんだ。「あー、夏も終わっちゃっうんだなー」的寂寥感というか。


 女性ファッション誌に興味を持つようになって1年半、前にファッション誌の話を書いてからもだいぶ時間が経っているわけですが、やはりこれだけの期間があると自分の中でもいくばくかの変化がある。それに気づいたのはここ数ヶ月のことだ。
 まずそのひとつめは、読む雑誌が変わったこと。最近好きで手に取ることが多いのが、「LUCI」、「BLENDA」、「S-Cawaii!」、「JELLY」、「SEDA」、「JJ bis」、「JJ」、「CanCam」というあたりだから自分でも驚く。去年の時点では、「BLENDA」や「Sカワ」はどうも受け付けない(「Popteen」などのギャル系雑誌が好きだというのに)とはっきり言っていたし、「JJ」や「JJ bis」あたりの光文社系にいたっては、「あざとさが見える」という理由で毛嫌いしていたのだから、我ながらこれはかなりの変化だ。
 逆に去年に比べて読まなくなったというか、若干色褪せてしまったのが、「non-no」、「Popteen」、「Cawaii!」、「PS」、「JILLE」あたり。「non-no」はもう単純にモデルの問題で、EMIHO(EMI&田中美保)を使わなくなったという時点で魅力がなくなった。同系誌の「mi-na」はまだこのふたりを使っているのだが、しかし少しずつモデルの世代交代は進んでいるようで、EMIHOの露出が少なくなっている(あるいは他誌に移行している)のは淋しいかぎりであります。「なんだ結局モデルで見てんじゃんよ」とつっこまれると、返しにくくてつらいところではあるのですが。
 「Popteen」と「Cawaii!」については方向性はいまでも好きなんだけど、なんというか、妙に子供っぽく感じられてしまうようになったというのが正直なところ。「たった1年でこんなにも変わるものか」と自分でも驚いているのだが、しかしこの1年で「ギャル系からお姉系へ」というシフトが見られたのは、やはり何か自らの内的な変化の表出なのかもしれない。この辺のことについてはまたあとで述べよう。


 でも何よりも驚くのは「JJ」である。去年の時点で「JJ」を敬遠していた理由は、ひとつには「あざとさ」の問題、ふたつめには「あまりにも男ウケを意識しすぎていて鼻につく」という感覚からだった。そしてさらにもうひとつ付け加えれば、いかにも光文社的な「私は勝ち犬なのよ」意識が透けて見えたこともあるかもしれない。『負け犬の遠吠え』を読んだことのある人ならわかると思うけど、光文社の雑誌ってどれもそうなんだよね。女性誌に限らず男性誌でも、「Gainer」あたりの空気ってどうも馴染めない。だいたい「Gainer」なんて、雑誌名からしてイカンよ。「メンクラ」も嫌いだが「Gainer」も負けず劣らず嫌味である。ああいう雑誌を愛読している人間とは正直お友達にはなりたくないなあと思う。こういうのって偏狭にすぎるのかもしれませんが。

 
 光文社の社風はともかく、「JJ」という雑誌が男ウケを狙いすぎている感覚はたしかにあった。それは今でもそう思う。「媚びてる」ように見えなくもない。ただ、今とあの頃の自分がひとつだけ違うのは、「『モテ』を意識していたっていいじゃないか、むしろその方があるべき姿なんじゃないか」という気持ちがあるってことだ。やりすぎはどうかと思うけど、「男ウケ結構じゃん、むしろ健全じゃん」というのが今の自分の正直な気持ちなわけです。自分でも「変わったもんだな」と思うけれど。
 断っておけば、決して「JJ」のことが好きになったわけじゃない。何かが疲れるというか、もう少し息をつかせて欲しいという感覚は今でもある。“どーでもいいけど、あの名古屋巻き神戸巻きいったいどーなのよ?”みたいな。


 でも「JJ」なんかの場合、ちゃんとそこに「見る人」の存在、あるいは「自分が見られている」という意識があるのがはっきりわかるし、やはりそれって健全なことだと思う。いや、「健全」というより、いまの自分の趣味嗜好に合致していると言うべきかな。ファッションやオシャレなんて所詮自己満足の世界だというのは、もう言い尽くされていることだけれど、でも「自分が見られている」という意識を持つこと、あるいはそういう緊張感みたいなものに包まれていることって本当に大事だ。どんな人/どんなときであれ、男(異性)の目を意識していないのはダメです。美しくない。これはもう最近つくづく感じます。
 最近興味が薄れてきてしまった雑誌――特に「Soup」や「JILLE」、「VITA」(この雑誌は休刊になりましたね)――なんかに最近感じているのは、服やページを通して「自分さえ満足できればそれでいいのよ」的意識が出てしまってるということ。これは多分に僕の好みの問題なんだとは思うんだけど、<そういうひきこもったファッションってあまり面白くないな>というのが正直なところなのです。そういうひきこもり方をすると何かが止まるんだ。何かが止まるし、何かが澱む。
 近頃こういう雑誌に手が伸びにくい原因のひとつには、やはりそういった「こもり加減」に自分が飽き飽きしているというのが大きいんだと思う。それがどれだけ当たっているのかというのは、いまいち自信の持てないところではあるんだけれども。

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