« 千倉 | トップページ | ぐったり »

2014/11/13

97.「ひきこもりUX会議」 ―その意義について―

 「ひきこもりUX会議」。なんとも不思議な名前ですよね。
 正直言って、僕も最初はよくわからなかったです。「UXって、そもそも何?」というのが、最初の正直な気持ちでした。たぶんみなさんもそう感じたんじゃないかと思います。
 でも、イベント当日が近づくにつれて、「このイベントはかなり画期的なものなんじゃないか」という気がしてきました。「成功させなければいけないものなんじゃないか」という気になってきました。なので今日は、僕が考えたこのイベントの意義みたいなものについて書いてみます。


 僕が思うこのイベントのポイント(意義)はふたつ。
 まず第1点目は、元・当事者が完全に自由な地点から発信するイベントだ、という点です。この「ひきこもりUX」には、どこかの支援団体の名前がついておらず、実際の不登校・ひきこもりの経験者(五名)が主催になっています。この主催形式は、ありそうでいて、でもたぶん今までなかったかたちです。
 ひきこもりや不登校の当事者や元・当事者が自らの体験談を話す行事は数多くありますが、その場合、どうしてもその主催団体の色が出てしまうところがあります。決して各団体の宣伝が目的ではないとわかっていても、「うちの団体を利用していた若者がこんなに元気になりましたよ/就職できるようになりましたよ」という我田引水的な臭いが漂ってしまうことはある。実際に我が田に水を引いている場合もあるだろうし、そうではない場合もあるでしょう。ですが、ある支援団体が主催していることで、ある種の先入観や拒否感情を誘発してしまう可能性があるということは否定できないように感じます。「ああ、○○がまたやるのか。でも、あそこは好きじゃないから行きたくないなあ……」という気持ちになることだって実際にある。
 でも、それって、もったいないですよね。そのイベントに登壇する不登校/ひきこもりの当事者が言いたいことは、別に「この団体がいかに素晴らしいか/この団体のおかげで自分はこんなふうに救われました」ということではなかったりするのに、「主催があそこの団体だから嫌だな」といって敬遠されてしまうのはとても残念なことです。せっかくの貴重な当事者メッセージが、結局一部の人にしか届かないで終わるということは、しばしばあるように思います。
 こういうことを言うと嫌がられるかもしれないけど、結局そのイベントに足を運ぶのは、その支援団体に好意を抱く人がほとんどであり、それはすなわち、だいたいいつもの似通ったメンバーだったりするわけです。それがダメとは言わないけれど、どうしても物事が局所的にならざるを得ないし、広がり(ブレイクスルー)だってそこにはない。
 でも、今回の「ひきこもりUX」は、純粋な当事者発信です。不慣れなことなど、いろいろと問題はあると思いますが、この「まったく色がついていない」という点はわりに重要なことのように思えます。先入観や拒否感情を持たせずに、当事者・経験者の声をストレートに伝えるという意味において。


 ポイントのその2。イベントのタイトルにもなっていますが、「ユーザー・エクスペリエンス(UX)」という視点に立っているという点。ここ、大事です。試験に出ます(嘘)。
 「UX」とは、ユーザーの意見を反映して製品開発に活かすという意味の言葉。ユーザーの意見や体験を反映しながら製品の改良や開発に活かしていくわけだから、考え方としては至極まっとうですよね。もう、まっとう過ぎるくらいまっとう。
 でも、裏を返せば、その「至極まっとう」なことをあらためて声高に叫ばなければならないという点に、これまでのひきこもり支援のずれが表れている――という言い方もできるような気がします。
 さて、ここで紹介するのは、このイベントの発案者になった僕の友人の言葉。


 当事者・経験者が八名登壇して、それぞれの経験した、または希望する支援について話します。行政や民間団体の行う支援はどうしても就労に偏りがちであり、「支援する人→される人」の関係が作られがちです。本当に欲しい支援はなんなのか、もう一度支援者や親御さんにも考えてもらいたくて企画しました。


 これまで行われてきたひきこもり支援というのは、行政や支援する側が、「きっとこれが必要だろう/必要なはずだ」と思って作られてきた側面があったと思います。
 ひきこもりや不登校の当事者はまだ10代だったり、物理的に外に出てこられなかったりするので、ユーザー(=ひきこもり・不登校の当事者)の声を拾うチャンスというのはなかなかない。支援対象者の声を聞き取りにくい現象だから、結果的に、家族や一部の支援団体の意向が注目され、優先されることになる。声を発しやすい(声の大きな)人たちの意見が採用され、その結果がしばしば「就労支援」になる。本人たちが希望している真のニーズは支援者側に届かない。あえて意地の悪い言い方をさせてもらえば、「本人不在の中での大騒ぎ」です。ちょうどそれは、障害者に対する支援が障害者本人抜きに考えられ、作られてきたという歴史と近いかもしれません。
 とはいえ、今まではそれで仕方がなかったのだと思います。ユーザーの声を聞けない以上、周囲の人たちが「良かれ」と思って案を作るしか方法がなかった。ある種必然の結果だった。

 しかしきっと、今は時代が進んだのです。
 自分の意見を発表できる元・当事者が多数登場し、みずからの経験を発信して、「メーカー」(行政や支援者、支援団体、あるいは親や家族)に届けていくことができる。メーカーを批判したり、メーカーと喧嘩することが目的なのではなく、ユーザーとメーカーが一体になって、より良い製品(=サービス、支援、コンテンツ)を作っていくための建設的な議論をする土壌をつくることがこのイベントの意図するところです。
 そうした、他の分野においてはごく当たり前に行われていることが、不登校やひきこもり支援の業界においても、ようやくながらに可能な時期に入ってきたのでしょう。この業界も歴史を重ねて、それだけ成熟してきたのかもしれません。


 今回の「UX」は第1回目です。プレゼンターの顔ぶれを見ればわかることですが、「当事者」というよりは、もうだいぶ現役を過ぎた人たちが中心になっています。「UX」という点からいえば、現在進行形のニーズを訴えるにはいささか心許ないかもしれません。正確さを欠くかもしれない。でも今は、大勢の人の前で話せる当事者はまだ少ないので、どうしてもこういうメンバー構成になります。その点はどうかご容赦ください。これが現在の精一杯なのです。
 でも、この第1回における僕らの話を聞いて、「いやいや、あいつらの言ってることは違うよ。俺たちはこういう支援をしてほしいんだよ」とか、「そういうことを口にしても良いんだ。だったら自分はこういうことを言いたいな」みたいなことを思いついたら、今度はあなたたち「より現役に近い世代」がプレゼンターになって、みずからのUXを訴えてほしい。われわれ古い世代をとっとと舞台から追い出して、現在進行形の――生のUXを社会に伝えてほしい。それが可能な状況が来たら僕らは喜んで舞台を降りるし、喜んであなたたちの裏方にまわります。
 そして、そういうあるべき状況をこれから作り出していくためには、このイベントが第2回、第3回、第4回と続いていくことが必要なのです。だからこそ僕は、この第1回目のイベントにはぜひとも成功してほしいと願っています。社会やメディアから認知されて、定員(240名)に迫る集客を得て、次回、次々回を待望されてほしいと強く希望しています。


 ぜひ、一人でも多くの人に、このイベントに関心を持ってほしいです。
 できれば、万障繰り合わせて当日会場に足を運んでほしいし、あなたのお知り合いやお友達に声をかけてほしい。この文章がみなさんの手元に届く頃には、もうこのイベントは終わってしまっているかもしれないけど、でも仮に事後になってしまってからでもいいから、このイベントのHPを閲覧したり、フェイスブックで「いいね」を押してほしい。あなたが抱いた感想を(たった1行でもいいから)メールで送ってほしい。
 そうしたみなさんの関心と共感こそが、これからのあるべき状況を作り出していくための大きな力になるのだと、僕は信じています。

 2014年11月12日

|

« 千倉 | トップページ | ぐったり »