ひきこもり小考

2006/07/23

96.刺青/やりつくすまではやる

 「ひきこもり経験者」ということで、自分の経験談をお話する機会をいただいています。場所は比較的大きな講演会であることもあるし、比較的小規模の家族会であることもある。自分がサポーターとして応援させていただいている家族会でちょこっとばかりコメントさせていただくこともあるし、話す現場は保健所の家族会や民間の勉強会ということもあります。まあなんというか、場所についてはいろいろですね。


 最近ではゲストとして話すだけでなく、企画側にまわってゲストの方々との交渉やセッティング、話の振り役である「コーディネーター」の位置に入ることもあります。すでにそれが仕事の一部みたいになっているわけです。これはいままで培ってきた経験や人脈がこういう形で生きているというのもありますが、それよりなにより、やっててなんだか楽しいんです。
 たとえば迷惑メールの発送業者など、世の中には人に迷惑をかけることで成立する仕事もありますが、でも今のこの仕事(全然本業ではないし、本業にするつもりもありませんが)はやはり人に喜んでもらえる。こういうのってやっぱり嬉しいもんです。手応えというものがあるし、やってよかったなって思える。そういったことが非常にしばしばあります。人に喜んでもらえるから、そして何より、やってて自分が楽しいから、だからこういう活動が続けられるのでしょう。いくらなんでも、しんどいだけのものだったら続けられないよ。だいいちこういうのは大してカネになる仕事ってわけでもないんだしね。


 以前のある時期には、こういう活動って自分の過去を切り売りしているみたいで嫌だなと思っていました。早くこういうのは卒業して次のステップに進みたいと思っていました。<早く逃げたい/卒業したい>。いつまでも「ひきこもり業界」にひきこもっているのはやめて、早く外の世界に出ていきたい。そう切に願っていました。そしてそれはたしかに重要で必要なことです。それは僕にとっても、僕のまわりの多くの人たちにとっても。
 でも話はそう簡単ではなかったみたいです。30を過ぎたあたりから少しずつある種の諦めがついてきました。そう、<ひきこもり>というのは一生自分についてまわる生き物なのだと。逃げ切ることはできないのだと。「かつて自らの人生に挫折して社会からひきこもった」という過去はいまさら消しようもないし、いまとなっては消すつもりもない。だって、それを否定してしまったらいまの自分はないわけですから。好むと好まざるとにかかわらず、僕という人間はここにしか辿り着かなかったのだし、結局のところここから出発するよりほかないわけです。いわば刺青みたいなもんです。それを人に見せるか見せないかの違いだけで。


 2年くらい前のある講演会で、僕の友人が語り部としての引退宣言をしました。「今までいくつかの場所でお話をさせていただいてきましたけど、自分の経験をこうしてみなさんの前でお話するのはこれで最後にします」、と。それを聞いて僕はとてもとても驚いた。もうそういうことはじゅうぶんやってきたし、もうこれからは新しい世界に進みたい、そういう時期が来たんだ。いまはこれから来る新しい世界にとてもわくわくしているし、そのことが楽しみなんだ。そう語る彼女の言葉を僕はただ呆気にとられて聞いていました。なぜって、それこそは正に自分が求めていたことであり、なかなかその境地に到達しない自分をもどかしく苛立たしく感じている最中のことだったから。


 そしてあるとき、「こういうのって自分の過去を切り売りしているみたいで嫌だ/早くこの業界から抜けたい」とこぼす僕に、その彼女はこんなことを言ってくれた。
 「そういう気持ちは私もわかるけど、でもおかもっちんの場合はもうちょっと気が済むまでやったほうがいいんじゃないかな。何かを中途半端に残したままにすると、そういうのって結構あとあと尾を引いちゃったりするからね」
 もう2年も前のことなので正確なところは覚えていないけれど、彼女の言わんとしたことは、おおよそこの辺りのことだったと思う。


 そしてそれ以来、どこか自分で気持ちに整理がつくようになった。たしかに言われてみれば、「嫌だ嫌だ」とか言いつつも、まだ不完全燃焼で燃え尽きていない自分がいる。話し終えて家路につくたびに、「ああ、今日はうまくいかなかった。もっと上手く話せたはずなのにな」と悔しくなる。「次はもっと上手く」と切に願う。前回の落とし前をつけたくなる。だからこそ「今度こそ」と思って再び壇上に立つわけだ。もちろんそう思ったからといって、実際に「落とし前」をつけられたためしなんて全然ないんだけれど。


 もちろん本意ではない。早く離れたい。それがいつになるのかもわからない。でもはっきりと自分の気が済むまではこの活動を続けようと思う。自然にこの世界から離れられる日が来るまで。満ちた潮が引き際の鐘を打つまで。

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2006/01/23

ひきこもりセミナー終了!

終わりました、今年度ぶんの都筑区ひきこもりセミナー。
全4回の日程も今日でめでたく(?)終了です。ああ、疲れた。

全4回のうち、この最後の4回目のことがいちばん気がかりで、
ずっと今回のことを気に病んでいたというか、
自分の中でしっかりとしたイメージを定められないまま入ってしまったのですが、
ゲストの方々が思った以上に良い話をどんどんしてくれて、
コーディネーターとしては途中どうしようか迷う場面も多々あったものの、
ひとまずじゅうぶん成功だったといえるのではないかと思います。
ゲストで来ていただいた皆さん、参加してくれたみなさん、
そしてスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
僕自身、とっても良い経験と勉強を今年もさせていただきました。
ああよかった。マジでホッとした。

ここのところずっと気持ちが忙しくて、
やらなきゃやらなきゃと思いつつなかなか準備ができず、
今回のパネルトークのプロットもきのうの夜中に仕上げたという
とんでもない有り様のなか、当然睡眠時間は全然足りず、
セミナーの途中では電池切れを起こして頭がぼおおっとし始め、
終わったら終わったで駐車場の車の中でエンジンかけっぱで爆睡をはじめ、
ゆうべのうちに作っておいた今日のお昼のお弁当は
当然のようにそれを食う暇などどこにもなく、
結局のところゆうべの2時に作ったお弁当をさっき(夜中の2時)
ひとりでもそもそ食べるというトホホな事態に陥ってしまい……。
まったくもってどーなのよこれ……。

ともあれずっと気になっていた仕事がひと段落して少しホッとしました。
これが終わったら終わったでまた別の課題が抜かりなくその姿を
現すわけですが、まあとりあえずそれはそれとして……。


今回の連続セミナー自体はうまくいったと思うのですが、
とりあえず今回に関して気になったことが。
セミナー終了後に参加者の一人の方が呼びかけて、
せっかくの参加者で集まって今後も勉強会なり交流会なりを
持とうと言ってくれて(やった!待ってました!)、
一応集まったはいいのですが……。

とりあえず集まってみて、そこからみんなが何をしたいのか考える、
自分たちで能動的に何かを起こしてみるという趣旨だというのに、
「まず形が出来上がってから提示してほしい」だとか、
「そんな何をするかもわからないものに自分の連絡先を書くことはできない」
だとか言い出す人が結構いたらしくって……。

ほんっっっとどこにいっても思うんだけど、
なんでひきこもりのお子さんを抱えた家族の人っていうのは
こうも他力本願な人が多いのかなあ?
だって自分とこの家族の問題でしょ? あんたらの問題でしょ?
「自分たちでどうにかするんだ、そのためには何をしたらいいだろう?」
という意識なりがもうちょっとあってもいいでしょうに。
それを「まず形が出来上がってから」とか「どなたかやってください」とか、
いったいおまえら何なんだっつーの!!
自分たちに何ができるのかはろくに考えないくせに、
行政に対して「あれやってほしいこれやってほしい」と
自分勝手な注文ばかりつけるってのはいったいどーなのよ??

もちろん行政サービスに対していろいろ注文や要望を出してくれるのは
大いに結構だし歓迎なんだけれど、でも最終的には自分たち家族の問題だよ。
なんでそれをそんなに他力本願的にひとまかせにできるんだろう?
どうしてそんなに「お願いします」の態度をとりたがるんだろう?
「まず自分たちに何ができるか?」を考えるのが、
そしてともあれやってみるのが筋ってもんでしょうが。

別にこれは今回に限ったことじゃなくって、
いろんなところの家族会やら勉強会やらでそうなんだけれど、
「お願いします」の態度の人が多いです。多すぎる。もううざいはっきり言って。
これはいったい誰の問題なんだよ。少しは考えたらどうなんだほんとに。

結局その人が呼びかけてくれた事後交流会は、
連絡先を交換するところまではいったものの、
今後に繋げることに関してはかなり難しいという状態だそうで。
彼はとってもよくやってくれたんだけど、まったくいったいなんだかな。
ただ少しずつ個人的な繋がりというのはできつつあるので、
地道ながらもそういう小さな繋がりを大切にして温めていけば
そのうち別の何かの形で花が開くのかもしれません。
そういう意味では今回の交流会の試みは決して無駄ではなかったと思うけれど。
結局地道な積み重ねがいちばんってことでしょうか。

すごく不思議です。
ご家族の皆さんはふだんの生活で疲れすぎていて、
「自分たちで何か」というだけのパワーがないのでしょうか。
それとも最初からそんなニーズも希望もないのでしょうか。
だったらそれはそれでいいけれど、
自分は何もしないで人の仕事にばかり注文をつけるようなマネは
しないでいただきたいと思います。
ええ、はい。俺は怒ってるんですよ。
仕事がひと段落してホッとしたり、
「セミナー良かったですよ、ありがとうございました」って言ってもらって
少なからず嬉しかった/やってよかったなともたくさん思ったけれど、
でも一部の人のあの態度には本当に落胆させられます。
ええ、まあそんな感じ。感じが悪いんだろうけどこっちも気分が悪いんで。
はい、以上。

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2005/12/13

84.きっかけは、ドライヤー

昨日の投稿の続き。

ひきこもりの家族会や講演会なんかがあると必ず、
「で、ひきこもりから出られたきっかけは何ですか?」と聞かれる。
親御さん側からしたらそこがいちばん知りたいポイントなわけだから、
これはもう100%聞かれる。だからこちらも前もって答えは用意してある。
これだけ何べんも聞かれればそりゃ用意できますって。

で、いつも言う僕の答え。
「つまり、諦めたんですよ」

それまで僕は、
<この状態(=ひきこもり)は自分の問題なんだから自分ひとりで解決する>
と思い続けていた。頑なにそう信じてやまなかった。譲れなかった。
親に相談するのが恥ずかしいという気持ちももちろんそこには含まれていた。
相手が自分の親であるからこそ
自分のいちばんの弱みを見せられなかったりするもんである。
実際に僕はそうだった。

だがその膠着した生活が長期に及ぶにつれ、
自分でもあることに気がつかないわけにはいかなくなってしまった。
<もう自分だけの力では無理だ。誰かほかの人の力を借りる必要がある>と。
そう自分で諦めたとき、はじめて「人に相談したい」という気持ちが生まれ、
はじめて人に「助けて」と言える環境が整った。
そんな頃、偶然に家のドライヤーが壊れ、
僕は母にお金を渡されて近くの大型電器店まで行き、
その帰りに文藝春秋を見つけてほんの出来心で買って、
そしてその中に「ひきこもり」の記事を見つけた。
それは昨日ここで書いたとおり。

よって、家族会や講演会などで「きっかけ」を聞かれた場合、
僕はこう答えることもできる。
「きっかけは、ドライヤーなんです」

なーんじゃそりゃ。
たぶん会場の親御さんたちは呆気にとられるだろう。
そこに含まれた意味なんて、もちろんわかるはずもない。
でも実際そうなのだ。
あの時先々代の黒いドライヤーがショートして壊れなければ、
あと1ヶ月持って7月になっていたなら、
僕は「ひきこもり」にめぐり合うこともなく更なる膠着生活を続けて
30歳を迎えていたかもしれない。まだ今もひきこもっていたかもしれない。
そういうしょうもない偶然が重なっていまの僕はここにいるわけだ。
人生って不思議。

こないだはそういう話はできなかったけれど、
こんどいっぺんその内容で話してみようかな。
みんなどんな顔するのかな。
想像しただけでなんだか微妙に笑えてしまう。
でも、それもまた真実なんだよ。

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2005/10/23

「首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ」発行記念イベント感想:これが実情なのか……?

日中、御茶ノ水に
「首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ」発行記念のイベントを見に行く。
30分遅れで着いたのではじめのほうはよくわからなかったが、
第1部のパネルトークは一人当たりの発言時間が長すぎて
深い議論にならなかったのは少し残念。

斎藤環の「(どことは言わないが)民間団体のリーダーの中には
バランスの悪いと思われる人が散見される。
ただ、そういう変わった人でないとやれないというのも実情」
という趣旨の発言や、
「民間どうしのネットワークや、行政と民間のネットワークづくりが大事」という
指摘には大いに共感。
その中で<神奈川県がそういった部分で進んでいる>という話が出たが、
うーん、その神奈川だってまだ十分とはとても思えないんですけど……。

それから、<サポートセンター>じゃなくて、<サポートプラザ>ね。
よく間違えられるんだ。宣伝周知の仕方が足りないということなのでしょうが……。

あとでガイドマップをはじめて手に取ったが、
民間はともかく、行政関係の情報量が少ないのにビックリ。
神奈川なんて横浜市の青少年相談センターだけじゃん。
精神保健福祉センターは? 青少年センターは?
横浜市こころの健康相談センターは? 各地の保健所は?
をいをい、これが実情なのかと思い知らされた気がした。
取材をしてないのではない。行政側が取材に答えていないのだ。
あるいは民間レベルでこういう取り組みがあることを知らないのだ。
なーんじゃこりゃ。
その「進んでいる」神奈川においてさえこの惨状なのかと暗澹たる思いがした。
行政と民間のネットワーキング以前に、
関係機関の職員研修から始めなきゃダメじゃん。全然ダメ。
熱心に取り組んでいるところは熱心にやっているというのに……もったいな。

ひとつあるなあと思うのは、
民間団体の場合は生き残りや営業の必要性があるから、
自然、自分たちのPRに熱心になる部分があるんだけど、
行政はそゆとこ鷹揚っていうか、
「PRしてもしなくてもてめーらの給料は変わんない」ってところ。
あくせくしなくていいのは良面なんだけど、それが悪いほうに出ちゃってるというか。
そもそも行政はPRどヘタだしね。
「広報に載せたらはい終わり」って思ってますから。
そんなヌルいやり方じゃダメなんだけどねー。

ああ、なんか疲れてしまった。
とまれ、ガイドマップ作成スタッフの皆様にはほんとお疲れ様。

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2005/10/02

くらげ

めずらしくサイトのおしらせです。

ひきこもり系の自助グループというか、居場所で、
くらげ」のHPができました。

もともと金沢文庫にあった「峠の茶屋」がリニューアルしてできたものです。
それにしてもきれいなHPですね。
それなりに技術のある人がいないとできないでしょう。
そういう「つながり」があるという点で、ちょっと期待できそうな感じです。
グループというものも、単体で孤立していては先行きは知れているので。

自助グループと書きましたが、セルフヘルプよりは敷居が低い感じなので、
対人不安の強い方はこちらのほうが合いやすいかもしれません。

あと、HPの文面を自分で考えて書いているのも◎。
以前というか、これは今もですが、中には、とあるグループのHP内容を
そのまんまパクっていたところもいくつかありましたから。
パクりはひどい。自分の言葉で語るって、案外大事ですよね。

応援してます。がんばってください(がんばりすぎない程度に)。

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2005/09/08

17年度横浜市都筑区ひきこもり連続セミナーのお知らせ

続きましてもうひとつイベント告知です。
こちらは僕が昨年から企画スタッフとして関わっているものです。
今年は当事者(経験者)の声に焦点を当てたものになっていますので、
ご家族だけでなく、当事者の方にも来てもらえたらと思っています。

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「つづき発 ひきこもり連続セミナー “当事者の立場から”」

 横浜市都筑区福祉保健センターでは、いわゆる「社会的ひきこもり」のご本人、 ご家族や、ボランティアなどを対象に、4回連続のセミナーを開催します。
 昨年度の“まずは家族から”に引き続き、今年度は“当事者の立場から”をテーマに、主にひきこもりの経験者の方たちをゲストに迎え、ひきこもり問題について一緒に考えていきます。
 一方通行ではなく、参加者が出会いお互いに学び合う、そんなセミナーにしていきたいと思っています。皆様のご参加をお待ちしています。

※このセミナーは、ひきこもりの経験者や家族会のメンバーが中心になって
企画・運営を行なっています。
   
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◇第1回 10月9日(日)
「ひきこもり問題をどう理解するか ~家族ができること、できないこと~」
ゲスト:関口 宏さん(文庫こころのクリニック院長、精神科医)
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◇第2回 11月12日(土)
「経験者が語るひきこもり ~当事者は何を思い、考え、何を望んでいるのか~」
ゲスト:ひきこもり経験者2~3名
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◇第3回 12月4日(日)
「なぜ“仕事”に踏み出せないのか ~当事者の語りから考えてみる~」
ゲスト:永冨奈津恵さん(フリーライター) + ひきこもり経験者2名
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◇第4回 1月22日(日)
「“仕事”についてもう一度考える ~仕事のイメージを広げてみよう~」
ゲスト:ひきこもり経験者1名と小野寺伸晃さん(「㈱ブレイド」社長)
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■時間  各回とも午後1時~4時 
■参加費 無料
■会場  横浜市都筑区役所6階会議室(市営地下鉄センター南駅下車徒歩5分)
(地図はこちら

■対象  ひきこもっているご家族をお持ちの方、またはご本人。
      自助グループ、ボランティアなどの活動をしている方。
      関心のある方、これから始めようとしている方など。
■定員  50組(ご夫婦での参加歓迎。もちろんお一人でも構いません。)
※ 応募多数の場合は都筑区民を優先します。
※ 申し込み時に、どの回に参加したいかをお知らせください。
■申込  住所・氏名・連絡先・応募動機を明記し、
      電話またはFAXで下記までお申込ください。(9月20日必着)
      参加の可否につきまして、9月末までに郵送でご連絡いたします。

★申込先 横浜市都筑福祉保健センター サービス課
     担当/山田・山本 TEL045-948-2316 FAX045-948-2309

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首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ 刊行記念イベント

知人がこんな本を出しました。

h-guidemap

この本の刊行記念イベントが10月22日(土)にあります。
詳しくはこちら

本の内容についてはこちらをご覧ください。
(下のほうへスクロールすると出てきます)

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2005/05/27

夢でよかった

目覚め前に嫌~な夢を見た。
昔こもっていたときに見たのと似たような夢だ。

こないだ家族会で話をしたときに、ちょうど悪夢をよく見たという話をした。
最初は眠りにまで考えごとが侵入して休まる時がなかったけれど
(これは本当に本当にきつかった。眠るのが怖くなったぐらい)、
途中から目が覚めたときに「ああ、夢でよかった」と思うようになった、
夢が現実のきつさを追い越した途端にラクになった、
たぶんあの転換が自分の底つき体験の一部だったんだろうという話。
今日も起きぬけに「なんだ夢か。ああよかった」と思う。とっさに。

悪夢を見ることはだいぶ少なくなったけど、
でもなくなったわけではないんだよなあ。
一時期だいぶ調子がよくなってからも
「夢だけはまだ許してくれない」という時期がありました。
そのことをいまさっき思い出した。すんごいひさしぶりに。
かなり長いあいだ、僕は夢を見ることが恐怖だったのです。

悪い夢はそんなに見なくなった。「ほとんど」というほどではないけれど。
でもじゃあ良い夢を見るかというとそうでもない。というか、全然そんなことはない。
もう1回見たいなあと思うようなのは年に1回あるかないかです。
だから見たときはすんごく印象に残ってる。問題はその辺だな。

その貴重な良い夢の内容は……言えないっす。
バカだと思われるから。あはははははー。

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2005/04/10

69.桜咲く春の空は

 いやぁ、暑い。なんなんざんしょこの暑さは。ついこないだまでコートを羽織っていたというのに、いまはもう春物の上着でさえぶらさげて歩く。冬から夏。春を飛ばして夏。こう温度が変わるとからだがついていけませんわ。服も何をチョイスしたらいいのかわからない。桜もものすごい駆け足で若葉の青に変わろうとしています。そんなに急いでどこへ行くの? 桜はあまり好きではないのでさっさと散ってくれてもいいんですけどね。なんで日本人ってこんなに桜が好きなんだろう?? マジ謎。

 そう、桜という花があまり好きではありません。なぜか? あまりに残酷だから。節目の時期の花だから。心朗らかな人にとっては美しい花なのかもしれないけれど、そうでない人にとってはそうではない。痛い。そういう記憶をいまでも持っているのです。この感覚はそう簡単にはなくならないと思うな。

 ことしの春は自分なりに変化があったのでそう以前みたいにきつくはない。「ああ、咲いてるんだな」と思ってそれで終わり。桜は夜の方がずっとやさしくていいと思うけど、ことしはそういうこともあまり意識しなかった。けど今年の春も特に進捗なく過ごした人たちにとっては、この急激な花の咲きようはかなりしんどいんじゃないかと思う。空は晴れてるし、気温は高いし。快晴の中の桜の狂い咲き。桜の花って変われない自らを残酷に照らし出す凶器みたいなものだ。こんな花を愛でて楽しむなんて正直あまり気が知れない。花見ってそんなに楽しいのかなあ?

 話変わって。
 横浜市は4月からゴミの分別がうるさくなりました。特にプラスチックごみ。しょうがないのでうちでもプラ用の箱を作ってごみの分別をはじめたのですが、多いんだねぇ、プラごみ。家から出るごみのほとんどがプラスチックごみだということが判明しました。いままでのごみ箱の方はちっとも嵩が埋まらない。少々の生ごみと紙ごみと、あとは猫のウンコとおしっこ団子ぐらいのもの。ひぇ、こんなに少なかったんだぁ。紙ごみも厚紙は別に分別をしているのでたいした量が出ません。これじゃ燃えないじゃんねぇ。最近はなぜかごみの分別が楽しくなって、いらんところまで細かく分けて遊んでいます。キャンディの包み紙はきっちりプラごみの方に選り分けたりしてね。凝り性なんだやっぱ。で、よく見るとたいがいのものに「プラ」とか「リサイクル」とか書いてあるのね。知らなかったよ全然。世の中は進んでいるのだなあいつのまにか。

 今日は花見の人が多かったです。土曜日だったからかな。仕事場(仕事場? 俺が? なんてこった!)のそばが桜の名所だったらしくて、昼も夜も人が通る通る。ふだんからこれだけ賑やかならいいんだけど、見慣れないもんでつい眺めてしまいました。何を?人を。ごみもたくさん出たらしいんだよね。山盛りてんこ盛りで。このごみの分別はいったいどうするんだろう? 余計なところまで気になります。分別なんてきっとしないんだろうけどね。

 でもその桜もすでに早くも散りモード。ことしの桜は4日と持たなかったようです。天気が良くっていささか眩しかったと思うけれど、さっさと散ってくれたから案外良かったのかもしれないね。結果論ですが。

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2005/03/15

65.新しい種子

 今日15日をもって「みんな大好き」が終了する(はず)。

 正確な時期は覚えていないが、僕が「ひきこもり」という言葉を知って、最初にこのサイトにアクセスしたのが99年の6月ぐらいのことだった。「大好き」ができてから約半年後ということになる。その頃にはすでに「大好き」はひきこもり界隈では名の知れた存在になっていて、その近辺の人が出入りするところといえば、いまはなき「籠城」(懐かしいね)とここと、あともう1箇所どこかだったと思う。いまと違って「ひきこもり」で検索してヒットするページの数なんてたかが知れていたから、ちょっと調べれば必然的にここにたどり着くことができた。

 あらためて考えるまでもなく、僕はこのサイトにずいぶんと助けられた。もうなくなってしまった「とびらの会」を知ったのもここだったし(どうでもいいけど、当時僕は「ふみこ」さんと「きみこ」さんの区別がほとんどつかなかった。そういう人は多いハズ)、「考える会」に参加したのもそう。ここを出発点としていろんな人に会ったし、関東近郊にできた自助会のほとんどが「とびらの会」をモデルにしていた。僕に限らず、ここを基点にしていろんな人たちと繋がったという人は結構多い。つまりすんげー大袈裟な言い方をすれば、いろんなものが「大好き」の子どもたちだったという言い方だってできるわけだ。
 そしてさらに付け加えれば、その他各種の情報を集めるのもここひとつあればほとんど用が足りた。「ひきこもり」に関する一括した情報源がなかった当時(いまもないと思うが)においては、このサイトは実質的にひきこもり関連の情報ステーションの役割を果たしていたと思う。ま、管理人さんにはそんな意識はなかったと思うけどね。

 この3月でいろんなところがその活動に幕を下ろす。人によっては「連鎖倒産」みたいな言い方もあるが、どういうわけかこの3月いっぱいで活動を終了するところが多い。「みんな大好き」しかり、「スペース1」しかり、「丘の上」(神奈川県精神保健福祉センターのひきこもりデイケア)しかり、そのほかでは「ラビット」、「峠の茶屋」、「さつき会」など……。実質的に終わっているところを入れれば、「ステップ」もそのリストに入るのかもしれない(ここは活動を終了したわけではないようだが、続けるにしてもさっぱり衣替えをしてやりかえた方がいいと思う)。
 なかでも特に大きかったのは、神奈川の県立精神保健福祉センターがグループ活動を終了すること。各都道府県の精神保健福祉センターレベルではここの活動はかなり初期から行われていたし、僕も個人的にかなりお世話になっていたので、そういう意味では結構感慨深い。うーん、痛いなあって。

 たしかにこの3月でいろんなところが終わるし、それを指してひとつの時期の終わりととることもできるのかもしれない。必要性の減退を指摘できるのかもしれない。しかし僕個人としては、あまりそういうもんでもないのかなという気がしている。というのは、大きな木がひとつ倒れても、そのあとにちいさな芽がいくつも吹いているのを目にしているから。
 たとえば神奈川の精神保健福祉センターの場合。全県単位での活動はいったん終わるが、そのかわりに県内のいくつかの場所でそれに代わる動きがいくつかある。鎌倉保健福祉事務所はこないだから当事者グループを始めたし、横須賀も去年あたりからかなり気合い入れてやっている。横浜の都筑もそうだし、いままで空白地帯と呼ばれていた県央地域でも大和と厚木共催の形でアクションを起こそうという空気がある。県西でも小田原、秦野、足柄上、平塚といったところが繋がりあって勉強をはじめている。考えようによっては、大きな木がなくなるからこそ小さな芽が生えるのだという見方もできるかもしれない。大きな木があるんだったらみんな、何も自分でアクションを起こす必要なんてないと考えただろう。
 ここで面白いのは、ひとつの単位では難しいと見るや、2つ3つと束になってやろうとしているところだ。つまり共催。まあいまやワールドカップやEUROだって2ヵ国共催でやる時代なんだから、そういうことがあっても全然おかしくはないのだが、僕にしたってなんとなくいままでそういう発想がなかった。「自分らだけでできなけりゃよそと一緒にやりゃあいいじゃん」、「自分らだけで無理ならとりあえず『助けて』って言ってみる」。行政というとふた言めには縦割りの弊害が指摘されるところだから、この手の動きには結構びっくりさせられた。「え、マジ? そういう手があったかよ」って。

 「みんな大好き」だって完全に終わるわけではないと思う。その根拠は「ひきこもり村。」(http://www.hikky-mura.net/)だ。
 僕がここを知ったのはまだ「『ひきこもり村。』をつくろう」だったときのことだが、「なんか面白いことやってるな~」と思って密かに勝手にチェックを入れていた。しばらく見ないあいだに「つくろう」が取れて、ヒット数も1日一千数百を叩き出していたのにはびっくりしたけど。
 序文にも書いてあるとおり、このページは初期の「みんな大好き」をモデルにしている。掲示板がうじゃらかあった頃の「みんな大好き」。それはもう最初見たときに一発でわかった。<ああ、ここはかつて「大好き」の掲示板に出入りしてて、あの頃の「大好き」が好きだった人たちがやってるんだな~>って。だってあまりにも似てたんだもん、かたちも雰囲気も。そういう愛着みたいなのって伝わるんだよね。案外。

 なんかすげぇなって思った。主催する人は変わっても、なんかしら脈々と受け継がれていくものがあるんだなって感心した。ふみこさんは気力体力的な問題で「大好き」を少しずつ縮小して最終的に終了に至ったわけだけど、でもその種子みたいなものは拡散してどこかに散らばって、また新しい芽を生やすんだ。終わらないんだ。なんかそんなんだったら、最初に始めた人も安心して抜けられるかもしれない。そんなことを考えた。

 もちろんそんないいことばかりじゃない。小さな芽たちが無事に成長するための条件としては、彼らがいかにして横で繋がれるかという問題が立ちはだかるだろう。ここをクリアできるかどうか。芽というのは小さくて体力が弱い分、何か起きた時に一発で倒れてしまう恐れは否定できない。先細りになってすぐ死んでしまう可能性だってじゅうぶんある。卵から孵ったばかりの稚魚みたいなものといえば近いか。束になって勉強をはじめている各保健所の動きだって、単一にバラされてしまえばいつまで続くかわかったものではない。先の「ひきこもり村。」にしたって、いまの安定は管理人さんたちの熱意とキャラクターによっている部分が大きい(という印象を僕は受ける)。もし彼らが孤立してしまったら? 気力体力が続かなくて今のレベルでページを維持できなくなったら? 一部の心無い人たちによって荒らされてそのまま崩壊という可能性は……残念ながら、ある。
(蛇足:ネット掲示板というのはいわば公衆トイレみたいなもんだから、掃除が行き届いていればみんなきれいに使う。汚れない。でもひとたび掃除が入らなくなれば、時期を置かずして「オマ○コ」みたいな世界になる。必ずなる。そしてそれを防ぐための掃除を続けていくのには結構な気力と手間がいる。こういうのはただ利用しているだけの人間にはわかりにくい。しかも困ったことには、こういうのはヒマがないとできないみたいな部分が少なからずある。つまり社会参加をはじめて時間がなくなってくると、どうしてもそこまで手がまわらなくなってくるという側面にぶち当たるわけだ。時間の余裕と担当者の熱意。そのふたつを維持したままものごとを続けるというのはまわりが思うほど簡単なことでは決してない。よって管理人さんにはホントご苦労様と言うしかない)

 余談はともかく。
 ひきこもりの話になったとき、当事者が孤立しているというのはみんなが理解している。その孤立した当事者をどうするかという話になる。が、それを取り囲む家族もまた孤立しているのだという点にはなかなか気がつきにくい。特に家族が。そしてそのもっと先を言えば、その当事者や家族を支援する側が孤立しているという可能性には輪をかけて気がつきにくい。援助援助と言って人のお世話にかまけているあいだに、自分の足元がおろそかになっていたんじゃこれはもう目も当てられないし、だいいち説得力というものがない。全然ない。当事者の孤立状態を解消することがひきこもり支援の一中心課題なのだとしたら「まず自分らが手を繋げよ」っていう話になるし、孤立状態を解消することが課題なのだとしたら、「『当事者』ってそもそも誰のことよ」という話にもなる。善意の王様気分で「援助」とかをする前に、援助者が前もってやるべきことはまだほかにあるのかもしれない。

 長くなっているのであとひとつだけ、「ひきこもり村。」の話を。
 こないだある知人から、「ひきこもり村。の管理人さんはいい人だし、あそこはいろいろと面白いことになっているが、でもその彼が孤立している可能性がある」という指摘をもらった。そのときには「ふぅん、そんなもんかいな」と適当に流しただけだったが、最近のまわりの動きを見るにつけ、その指摘はあまり外れていないのかもしれないなと思い至った。現状として「ひきこもり村。」が成功しているのは誰の目にも明らかだが、もしここが何かのはずみでつぶれてしまうようなことがあれば、これはかなりもったいない出来事になる。実際問題、当事者のニーズもかなり多いみたいだし。1日一千数百って、ねぇ……。
 まわりからはなかなか気がつきにくいことかもしれないが、サイト運営者の孤立状態というのを意識する必要があるのかもしれない。もちろん余計なお世話と言われてしまえばそれまでだし、その必要はないのかもしれない。また仮にその孤立状態があるのだとして、実際にどうすればいいのかと言っても僕にはそれがよくわからない。でもせっかく芽吹いた「大好き」の種子がむざむざとなくなるようなことにでもなれば、それはそれでひどく残念な気分になるだろうしね。そういうのって本当にもったいないと思う。

 ……などとエラソーな言葉をうだうだと並べましたが、6年間続いた「大好き」の終了に寄せて。

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