ひきこもり小考

2014/11/13

97.「ひきこもりUX会議」 ―その意義について―

 「ひきこもりUX会議」。なんとも不思議な名前ですよね。
 正直言って、僕も最初はよくわからなかったです。「UXって、そもそも何?」というのが、最初の正直な気持ちでした。たぶんみなさんもそう感じたんじゃないかと思います。
 でも、イベント当日が近づくにつれて、「このイベントはかなり画期的なものなんじゃないか」という気がしてきました。「成功させなければいけないものなんじゃないか」という気になってきました。なので今日は、僕が考えたこのイベントの意義みたいなものについて書いてみます。


 僕が思うこのイベントのポイント(意義)はふたつ。
 まず第1点目は、元・当事者が完全に自由な地点から発信するイベントだ、という点です。この「ひきこもりUX」には、どこかの支援団体の名前がついておらず、実際の不登校・ひきこもりの経験者(五名)が主催になっています。この主催形式は、ありそうでいて、でもたぶん今までなかったかたちです。
 ひきこもりや不登校の当事者や元・当事者が自らの体験談を話す行事は数多くありますが、その場合、どうしてもその主催団体の色が出てしまうところがあります。決して各団体の宣伝が目的ではないとわかっていても、「うちの団体を利用していた若者がこんなに元気になりましたよ/就職できるようになりましたよ」という我田引水的な臭いが漂ってしまうことはある。実際に我が田に水を引いている場合もあるだろうし、そうではない場合もあるでしょう。ですが、ある支援団体が主催していることで、ある種の先入観や拒否感情を誘発してしまう可能性があるということは否定できないように感じます。「ああ、○○がまたやるのか。でも、あそこは好きじゃないから行きたくないなあ……」という気持ちになることだって実際にある。
 でも、それって、もったいないですよね。そのイベントに登壇する不登校/ひきこもりの当事者が言いたいことは、別に「この団体がいかに素晴らしいか/この団体のおかげで自分はこんなふうに救われました」ということではなかったりするのに、「主催があそこの団体だから嫌だな」といって敬遠されてしまうのはとても残念なことです。せっかくの貴重な当事者メッセージが、結局一部の人にしか届かないで終わるということは、しばしばあるように思います。
 こういうことを言うと嫌がられるかもしれないけど、結局そのイベントに足を運ぶのは、その支援団体に好意を抱く人がほとんどであり、それはすなわち、だいたいいつもの似通ったメンバーだったりするわけです。それがダメとは言わないけれど、どうしても物事が局所的にならざるを得ないし、広がり(ブレイクスルー)だってそこにはない。
 でも、今回の「ひきこもりUX」は、純粋な当事者発信です。不慣れなことなど、いろいろと問題はあると思いますが、この「まったく色がついていない」という点はわりに重要なことのように思えます。先入観や拒否感情を持たせずに、当事者・経験者の声をストレートに伝えるという意味において。


 ポイントのその2。イベントのタイトルにもなっていますが、「ユーザー・エクスペリエンス(UX)」という視点に立っているという点。ここ、大事です。試験に出ます(嘘)。
 「UX」とは、ユーザーの意見を反映して製品開発に活かすという意味の言葉。ユーザーの意見や体験を反映しながら製品の改良や開発に活かしていくわけだから、考え方としては至極まっとうですよね。もう、まっとう過ぎるくらいまっとう。
 でも、裏を返せば、その「至極まっとう」なことをあらためて声高に叫ばなければならないという点に、これまでのひきこもり支援のずれが表れている――という言い方もできるような気がします。
 さて、ここで紹介するのは、このイベントの発案者になった僕の友人の言葉。


 当事者・経験者が八名登壇して、それぞれの経験した、または希望する支援について話します。行政や民間団体の行う支援はどうしても就労に偏りがちであり、「支援する人→される人」の関係が作られがちです。本当に欲しい支援はなんなのか、もう一度支援者や親御さんにも考えてもらいたくて企画しました。


 これまで行われてきたひきこもり支援というのは、行政や支援する側が、「きっとこれが必要だろう/必要なはずだ」と思って作られてきた側面があったと思います。
 ひきこもりや不登校の当事者はまだ10代だったり、物理的に外に出てこられなかったりするので、ユーザー(=ひきこもり・不登校の当事者)の声を拾うチャンスというのはなかなかない。支援対象者の声を聞き取りにくい現象だから、結果的に、家族や一部の支援団体の意向が注目され、優先されることになる。声を発しやすい(声の大きな)人たちの意見が採用され、その結果がしばしば「就労支援」になる。本人たちが希望している真のニーズは支援者側に届かない。あえて意地の悪い言い方をさせてもらえば、「本人不在の中での大騒ぎ」です。ちょうどそれは、障害者に対する支援が障害者本人抜きに考えられ、作られてきたという歴史と近いかもしれません。
 とはいえ、今まではそれで仕方がなかったのだと思います。ユーザーの声を聞けない以上、周囲の人たちが「良かれ」と思って案を作るしか方法がなかった。ある種必然の結果だった。

 しかしきっと、今は時代が進んだのです。
 自分の意見を発表できる元・当事者が多数登場し、みずからの経験を発信して、「メーカー」(行政や支援者、支援団体、あるいは親や家族)に届けていくことができる。メーカーを批判したり、メーカーと喧嘩することが目的なのではなく、ユーザーとメーカーが一体になって、より良い製品(=サービス、支援、コンテンツ)を作っていくための建設的な議論をする土壌をつくることがこのイベントの意図するところです。
 そうした、他の分野においてはごく当たり前に行われていることが、不登校やひきこもり支援の業界においても、ようやくながらに可能な時期に入ってきたのでしょう。この業界も歴史を重ねて、それだけ成熟してきたのかもしれません。


 今回の「UX」は第1回目です。プレゼンターの顔ぶれを見ればわかることですが、「当事者」というよりは、もうだいぶ現役を過ぎた人たちが中心になっています。「UX」という点からいえば、現在進行形のニーズを訴えるにはいささか心許ないかもしれません。正確さを欠くかもしれない。でも今は、大勢の人の前で話せる当事者はまだ少ないので、どうしてもこういうメンバー構成になります。その点はどうかご容赦ください。これが現在の精一杯なのです。
 でも、この第1回における僕らの話を聞いて、「いやいや、あいつらの言ってることは違うよ。俺たちはこういう支援をしてほしいんだよ」とか、「そういうことを口にしても良いんだ。だったら自分はこういうことを言いたいな」みたいなことを思いついたら、今度はあなたたち「より現役に近い世代」がプレゼンターになって、みずからのUXを訴えてほしい。われわれ古い世代をとっとと舞台から追い出して、現在進行形の――生のUXを社会に伝えてほしい。それが可能な状況が来たら僕らは喜んで舞台を降りるし、喜んであなたたちの裏方にまわります。
 そして、そういうあるべき状況をこれから作り出していくためには、このイベントが第2回、第3回、第4回と続いていくことが必要なのです。だからこそ僕は、この第1回目のイベントにはぜひとも成功してほしいと願っています。社会やメディアから認知されて、定員(240名)に迫る集客を得て、次回、次々回を待望されてほしいと強く希望しています。


 ぜひ、一人でも多くの人に、このイベントに関心を持ってほしいです。
 できれば、万障繰り合わせて当日会場に足を運んでほしいし、あなたのお知り合いやお友達に声をかけてほしい。この文章がみなさんの手元に届く頃には、もうこのイベントは終わってしまっているかもしれないけど、でも仮に事後になってしまってからでもいいから、このイベントのHPを閲覧したり、フェイスブックで「いいね」を押してほしい。あなたが抱いた感想を(たった1行でもいいから)メールで送ってほしい。
 そうしたみなさんの関心と共感こそが、これからのあるべき状況を作り出していくための大きな力になるのだと、僕は信じています。

 2014年11月12日

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2006/07/23

96.刺青/やりつくすまではやる

 「ひきこもり経験者」ということで、自分の経験談をお話する機会をいただいています。場所は比較的大きな講演会であることもあるし、比較的小規模の家族会であることもある。自分がサポーターとして応援させていただいている家族会でちょこっとばかりコメントさせていただくこともあるし、話す現場は保健所の家族会や民間の勉強会ということもあります。まあなんというか、場所についてはいろいろですね。


 最近ではゲストとして話すだけでなく、企画側にまわってゲストの方々との交渉やセッティング、話の振り役である「コーディネーター」の位置に入ることもあります。すでにそれが仕事の一部みたいになっているわけです。これはいままで培ってきた経験や人脈がこういう形で生きているというのもありますが、それよりなにより、やっててなんだか楽しいんです。
 たとえば迷惑メールの発送業者など、世の中には人に迷惑をかけることで成立する仕事もありますが、でも今のこの仕事(全然本業ではないし、本業にするつもりもありませんが)はやはり人に喜んでもらえる。こういうのってやっぱり嬉しいもんです。手応えというものがあるし、やってよかったなって思える。そういったことが非常にしばしばあります。人に喜んでもらえるから、そして何より、やってて自分が楽しいから、だからこういう活動が続けられるのでしょう。いくらなんでも、しんどいだけのものだったら続けられないよ。だいいちこういうのは大してカネになる仕事ってわけでもないんだしね。


 以前のある時期には、こういう活動って自分の過去を切り売りしているみたいで嫌だなと思っていました。早くこういうのは卒業して次のステップに進みたいと思っていました。<早く逃げたい/卒業したい>。いつまでも「ひきこもり業界」にひきこもっているのはやめて、早く外の世界に出ていきたい。そう切に願っていました。そしてそれはたしかに重要で必要なことです。それは僕にとっても、僕のまわりの多くの人たちにとっても。
 でも話はそう簡単ではなかったみたいです。30を過ぎたあたりから少しずつある種の諦めがついてきました。そう、<ひきこもり>というのは一生自分についてまわる生き物なのだと。逃げ切ることはできないのだと。「かつて自らの人生に挫折して社会からひきこもった」という過去はいまさら消しようもないし、いまとなっては消すつもりもない。だって、それを否定してしまったらいまの自分はないわけですから。好むと好まざるとにかかわらず、僕という人間はここにしか辿り着かなかったのだし、結局のところここから出発するよりほかないわけです。いわば刺青みたいなもんです。それを人に見せるか見せないかの違いだけで。


 2年くらい前のある講演会で、僕の友人が語り部としての引退宣言をしました。「今までいくつかの場所でお話をさせていただいてきましたけど、自分の経験をこうしてみなさんの前でお話するのはこれで最後にします」、と。それを聞いて僕はとてもとても驚いた。もうそういうことはじゅうぶんやってきたし、もうこれからは新しい世界に進みたい、そういう時期が来たんだ。いまはこれから来る新しい世界にとてもわくわくしているし、そのことが楽しみなんだ。そう語る彼女の言葉を僕はただ呆気にとられて聞いていました。なぜって、それこそは正に自分が求めていたことであり、なかなかその境地に到達しない自分をもどかしく苛立たしく感じている最中のことだったから。


 そしてあるとき、「こういうのって自分の過去を切り売りしているみたいで嫌だ/早くこの業界から抜けたい」とこぼす僕に、その彼女はこんなことを言ってくれた。
 「そういう気持ちは私もわかるけど、でもおかもっちんの場合はもうちょっと気が済むまでやったほうがいいんじゃないかな。何かを中途半端に残したままにすると、そういうのって結構あとあと尾を引いちゃったりするからね」
 もう2年も前のことなので正確なところは覚えていないけれど、彼女の言わんとしたことは、おおよそこの辺りのことだったと思う。


 そしてそれ以来、どこか自分で気持ちに整理がつくようになった。たしかに言われてみれば、「嫌だ嫌だ」とか言いつつも、まだ不完全燃焼で燃え尽きていない自分がいる。話し終えて家路につくたびに、「ああ、今日はうまくいかなかった。もっと上手く話せたはずなのにな」と悔しくなる。「次はもっと上手く」と切に願う。前回の落とし前をつけたくなる。だからこそ「今度こそ」と思って再び壇上に立つわけだ。もちろんそう思ったからといって、実際に「落とし前」をつけられたためしなんて全然ないんだけれど。


 もちろん本意ではない。早く離れたい。それがいつになるのかもわからない。でもはっきりと自分の気が済むまではこの活動を続けようと思う。自然にこの世界から離れられる日が来るまで。満ちた潮が引き際の鐘を打つまで。

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2006/01/23

ひきこもりセミナー終了!

終わりました、今年度ぶんの都筑区ひきこもりセミナー。
全4回の日程も今日でめでたく(?)終了です。ああ、疲れた。

全4回のうち、この最後の4回目のことがいちばん気がかりで、
ずっと今回のことを気に病んでいたというか、
自分の中でしっかりとしたイメージを定められないまま入ってしまったのですが、
ゲストの方々が思った以上に良い話をどんどんしてくれて、
コーディネーターとしては途中どうしようか迷う場面も多々あったものの、
ひとまずじゅうぶん成功だったといえるのではないかと思います。
ゲストで来ていただいた皆さん、参加してくれたみなさん、
そしてスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
僕自身、とっても良い経験と勉強を今年もさせていただきました。
ああよかった。マジでホッとした。

ここのところずっと気持ちが忙しくて、
やらなきゃやらなきゃと思いつつなかなか準備ができず、
今回のパネルトークのプロットもきのうの夜中に仕上げたという
とんでもない有り様のなか、当然睡眠時間は全然足りず、
セミナーの途中では電池切れを起こして頭がぼおおっとし始め、
終わったら終わったで駐車場の車の中でエンジンかけっぱで爆睡をはじめ、
ゆうべのうちに作っておいた今日のお昼のお弁当は
当然のようにそれを食う暇などどこにもなく、
結局のところゆうべの2時に作ったお弁当をさっき(夜中の2時)
ひとりでもそもそ食べるというトホホな事態に陥ってしまい……。
まったくもってどーなのよこれ……。

ともあれずっと気になっていた仕事がひと段落して少しホッとしました。
これが終わったら終わったでまた別の課題が抜かりなくその姿を
現すわけですが、まあとりあえずそれはそれとして……。


今回の連続セミナー自体はうまくいったと思うのですが、
とりあえず今回に関して気になったことが。
セミナー終了後に参加者の一人の方が呼びかけて、
せっかくの参加者で集まって今後も勉強会なり交流会なりを
持とうと言ってくれて(やった!待ってました!)、
一応集まったはいいのですが……。

とりあえず集まってみて、そこからみんなが何をしたいのか考える、
自分たちで能動的に何かを起こしてみるという趣旨だというのに、
「まず形が出来上がってから提示してほしい」だとか、
「そんな何をするかもわからないものに自分の連絡先を書くことはできない」
だとか言い出す人が結構いたらしくって……。

ほんっっっとどこにいっても思うんだけど、
なんでひきこもりのお子さんを抱えた家族の人っていうのは
こうも他力本願な人が多いのかなあ?
だって自分とこの家族の問題でしょ? あんたらの問題でしょ?
「自分たちでどうにかするんだ、そのためには何をしたらいいだろう?」
という意識なりがもうちょっとあってもいいでしょうに。
それを「まず形が出来上がってから」とか「どなたかやってください」とか、
いったいおまえら何なんだっつーの!!
自分たちに何ができるのかはろくに考えないくせに、
行政に対して「あれやってほしいこれやってほしい」と
自分勝手な注文ばかりつけるってのはいったいどーなのよ??

もちろん行政サービスに対していろいろ注文や要望を出してくれるのは
大いに結構だし歓迎なんだけれど、でも最終的には自分たち家族の問題だよ。
なんでそれをそんなに他力本願的にひとまかせにできるんだろう?
どうしてそんなに「お願いします」の態度をとりたがるんだろう?
「まず自分たちに何ができるか?」を考えるのが、
そしてともあれやってみるのが筋ってもんでしょうが。

別にこれは今回に限ったことじゃなくって、
いろんなところの家族会やら勉強会やらでそうなんだけれど、
「お願いします」の態度の人が多いです。多すぎる。もううざいはっきり言って。
これはいったい誰の問題なんだよ。少しは考えたらどうなんだほんとに。

結局その人が呼びかけてくれた事後交流会は、
連絡先を交換するところまではいったものの、
今後に繋げることに関してはかなり難しいという状態だそうで。
彼はとってもよくやってくれたんだけど、まったくいったいなんだかな。
ただ少しずつ個人的な繋がりというのはできつつあるので、
地道ながらもそういう小さな繋がりを大切にして温めていけば
そのうち別の何かの形で花が開くのかもしれません。
そういう意味では今回の交流会の試みは決して無駄ではなかったと思うけれど。
結局地道な積み重ねがいちばんってことでしょうか。

すごく不思議です。
ご家族の皆さんはふだんの生活で疲れすぎていて、
「自分たちで何か」というだけのパワーがないのでしょうか。
それとも最初からそんなニーズも希望もないのでしょうか。
だったらそれはそれでいいけれど、
自分は何もしないで人の仕事にばかり注文をつけるようなマネは
しないでいただきたいと思います。
ええ、はい。俺は怒ってるんですよ。
仕事がひと段落してホッとしたり、
「セミナー良かったですよ、ありがとうございました」って言ってもらって
少なからず嬉しかった/やってよかったなともたくさん思ったけれど、
でも一部の人のあの態度には本当に落胆させられます。
ええ、まあそんな感じ。感じが悪いんだろうけどこっちも気分が悪いんで。
はい、以上。

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2005/12/13

84.きっかけは、ドライヤー

昨日の投稿の続き。

ひきこもりの家族会や講演会なんかがあると必ず、
「で、ひきこもりから出られたきっかけは何ですか?」と聞かれる。
親御さん側からしたらそこがいちばん知りたいポイントなわけだから、
これはもう100%聞かれる。だからこちらも前もって答えは用意してある。
これだけ何べんも聞かれればそりゃ用意できますって。

で、いつも言う僕の答え。
「つまり、諦めたんですよ」

それまで僕は、
<この状態(=ひきこもり)は自分の問題なんだから自分ひとりで解決する>
と思い続けていた。頑なにそう信じてやまなかった。譲れなかった。
親に相談するのが恥ずかしいという気持ちももちろんそこには含まれていた。
相手が自分の親であるからこそ
自分のいちばんの弱みを見せられなかったりするもんである。
実際に僕はそうだった。

だがその膠着した生活が長期に及ぶにつれ、
自分でもあることに気がつかないわけにはいかなくなってしまった。
<もう自分だけの力では無理だ。誰かほかの人の力を借りる必要がある>と。
そう自分で諦めたとき、はじめて「人に相談したい」という気持ちが生まれ、
はじめて人に「助けて」と言える環境が整った。
そんな頃、偶然に家のドライヤーが壊れ、
僕は母にお金を渡されて近くの大型電器店まで行き、
その帰りに文藝春秋を見つけてほんの出来心で買って、
そしてその中に「ひきこもり」の記事を見つけた。
それは昨日ここで書いたとおり。

よって、家族会や講演会などで「きっかけ」を聞かれた場合、
僕はこう答えることもできる。
「きっかけは、ドライヤーなんです」

なーんじゃそりゃ。
たぶん会場の親御さんたちは呆気にとられるだろう。
そこに含まれた意味なんて、もちろんわかるはずもない。
でも実際そうなのだ。
あの時先々代の黒いドライヤーがショートして壊れなければ、
あと1ヶ月持って7月になっていたなら、
僕は「ひきこもり」にめぐり合うこともなく更なる膠着生活を続けて
30歳を迎えていたかもしれない。まだ今もひきこもっていたかもしれない。
そういうしょうもない偶然が重なっていまの僕はここにいるわけだ。
人生って不思議。

こないだはそういう話はできなかったけれど、
こんどいっぺんその内容で話してみようかな。
みんなどんな顔するのかな。
想像しただけでなんだか微妙に笑えてしまう。
でも、それもまた真実なんだよ。

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2005/10/23

「首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ」発行記念イベント感想:これが実情なのか……?

日中、御茶ノ水に
「首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ」発行記念のイベントを見に行く。
30分遅れで着いたのではじめのほうはよくわからなかったが、
第1部のパネルトークは一人当たりの発言時間が長すぎて
深い議論にならなかったのは少し残念。

斎藤環の「(どことは言わないが)民間団体のリーダーの中には
バランスの悪いと思われる人が散見される。
ただ、そういう変わった人でないとやれないというのも実情」
という趣旨の発言や、
「民間どうしのネットワークや、行政と民間のネットワークづくりが大事」という
指摘には大いに共感。
その中で<神奈川県がそういった部分で進んでいる>という話が出たが、
うーん、その神奈川だってまだ十分とはとても思えないんですけど……。

それから、<サポートセンター>じゃなくて、<サポートプラザ>ね。
よく間違えられるんだ。宣伝周知の仕方が足りないということなのでしょうが……。

あとでガイドマップをはじめて手に取ったが、
民間はともかく、行政関係の情報量が少ないのにビックリ。
神奈川なんて横浜市の青少年相談センターだけじゃん。
精神保健福祉センターは? 青少年センターは?
横浜市こころの健康相談センターは? 各地の保健所は?
をいをい、これが実情なのかと思い知らされた気がした。
取材をしてないのではない。行政側が取材に答えていないのだ。
あるいは民間レベルでこういう取り組みがあることを知らないのだ。
なーんじゃこりゃ。
その「進んでいる」神奈川においてさえこの惨状なのかと暗澹たる思いがした。
行政と民間のネットワーキング以前に、
関係機関の職員研修から始めなきゃダメじゃん。全然ダメ。
熱心に取り組んでいるところは熱心にやっているというのに……もったいな。

ひとつあるなあと思うのは、
民間団体の場合は生き残りや営業の必要性があるから、
自然、自分たちのPRに熱心になる部分があるんだけど、
行政はそゆとこ鷹揚っていうか、
「PRしてもしなくてもてめーらの給料は変わんない」ってところ。
あくせくしなくていいのは良面なんだけど、それが悪いほうに出ちゃってるというか。
そもそも行政はPRどヘタだしね。
「広報に載せたらはい終わり」って思ってますから。
そんなヌルいやり方じゃダメなんだけどねー。

ああ、なんか疲れてしまった。
とまれ、ガイドマップ作成スタッフの皆様にはほんとお疲れ様。

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2005/10/02

くらげ

めずらしくサイトのおしらせです。

ひきこもり系の自助グループというか、居場所で、
くらげ」のHPができました。

もともと金沢文庫にあった「峠の茶屋」がリニューアルしてできたものです。
それにしてもきれいなHPですね。
それなりに技術のある人がいないとできないでしょう。
そういう「つながり」があるという点で、ちょっと期待できそうな感じです。
グループというものも、単体で孤立していては先行きは知れているので。

自助グループと書きましたが、セルフヘルプよりは敷居が低い感じなので、
対人不安の強い方はこちらのほうが合いやすいかもしれません。

あと、HPの文面を自分で考えて書いているのも◎。
以前というか、これは今もですが、中には、とあるグループのHP内容を
そのまんまパクっていたところもいくつかありましたから。
パクりはひどい。自分の言葉で語るって、案外大事ですよね。

応援してます。がんばってください(がんばりすぎない程度に)。

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2005/09/08

17年度横浜市都筑区ひきこもり連続セミナーのお知らせ

続きましてもうひとつイベント告知です。
こちらは僕が昨年から企画スタッフとして関わっているものです。
今年は当事者(経験者)の声に焦点を当てたものになっていますので、
ご家族だけでなく、当事者の方にも来てもらえたらと思っています。

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「つづき発 ひきこもり連続セミナー “当事者の立場から”」

 横浜市都筑区福祉保健センターでは、いわゆる「社会的ひきこもり」のご本人、 ご家族や、ボランティアなどを対象に、4回連続のセミナーを開催します。
 昨年度の“まずは家族から”に引き続き、今年度は“当事者の立場から”をテーマに、主にひきこもりの経験者の方たちをゲストに迎え、ひきこもり問題について一緒に考えていきます。
 一方通行ではなく、参加者が出会いお互いに学び合う、そんなセミナーにしていきたいと思っています。皆様のご参加をお待ちしています。

※このセミナーは、ひきこもりの経験者や家族会のメンバーが中心になって
企画・運営を行なっています。
   
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◇第1回 10月9日(日)
「ひきこもり問題をどう理解するか ~家族ができること、できないこと~」
ゲスト:関口 宏さん(文庫こころのクリニック院長、精神科医)
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◇第2回 11月12日(土)
「経験者が語るひきこもり ~当事者は何を思い、考え、何を望んでいるのか~」
ゲスト:ひきこもり経験者2~3名
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◇第3回 12月4日(日)
「なぜ“仕事”に踏み出せないのか ~当事者の語りから考えてみる~」
ゲスト:永冨奈津恵さん(フリーライター) + ひきこもり経験者2名
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◇第4回 1月22日(日)
「“仕事”についてもう一度考える ~仕事のイメージを広げてみよう~」
ゲスト:ひきこもり経験者1名と小野寺伸晃さん(「㈱ブレイド」社長)
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■時間  各回とも午後1時~4時 
■参加費 無料
■会場  横浜市都筑区役所6階会議室(市営地下鉄センター南駅下車徒歩5分)
(地図はこちら

■対象  ひきこもっているご家族をお持ちの方、またはご本人。
      自助グループ、ボランティアなどの活動をしている方。
      関心のある方、これから始めようとしている方など。
■定員  50組(ご夫婦での参加歓迎。もちろんお一人でも構いません。)
※ 応募多数の場合は都筑区民を優先します。
※ 申し込み時に、どの回に参加したいかをお知らせください。
■申込  住所・氏名・連絡先・応募動機を明記し、
      電話またはFAXで下記までお申込ください。(9月20日必着)
      参加の可否につきまして、9月末までに郵送でご連絡いたします。

★申込先 横浜市都筑福祉保健センター サービス課
     担当/山田・山本 TEL045-948-2316 FAX045-948-2309

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首都圏版 社会的ひきこもり支援ガイドマップ 刊行記念イベント

知人がこんな本を出しました。

h-guidemap

この本の刊行記念イベントが10月22日(土)にあります。
詳しくはこちら

本の内容についてはこちらをご覧ください。
(下のほうへスクロールすると出てきます)

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2005/05/27

夢でよかった

目覚め前に嫌~な夢を見た。
昔こもっていたときに見たのと似たような夢だ。

こないだ家族会で話をしたときに、ちょうど悪夢をよく見たという話をした。
最初は眠りにまで考えごとが侵入して休まる時がなかったけれど
(これは本当に本当にきつかった。眠るのが怖くなったぐらい)、
途中から目が覚めたときに「ああ、夢でよかった」と思うようになった、
夢が現実のきつさを追い越した途端にラクになった、
たぶんあの転換が自分の底つき体験の一部だったんだろうという話。
今日も起きぬけに「なんだ夢か。ああよかった」と思う。とっさに。

悪夢を見ることはだいぶ少なくなったけど、
でもなくなったわけではないんだよなあ。
一時期だいぶ調子がよくなってからも
「夢だけはまだ許してくれない」という時期がありました。
そのことをいまさっき思い出した。すんごいひさしぶりに。
かなり長いあいだ、僕は夢を見ることが恐怖だったのです。

悪い夢はそんなに見なくなった。「ほとんど」というほどではないけれど。
でもじゃあ良い夢を見るかというとそうでもない。というか、全然そんなことはない。
もう1回見たいなあと思うようなのは年に1回あるかないかです。
だから見たときはすんごく印象に残ってる。問題はその辺だな。

その貴重な良い夢の内容は……言えないっす。
バカだと思われるから。あはははははー。

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2005/04/10

69.桜咲く春の空は

 いやぁ、暑い。なんなんざんしょこの暑さは。ついこないだまでコートを羽織っていたというのに、いまはもう春物の上着でさえぶらさげて歩く。冬から夏。春を飛ばして夏。こう温度が変わるとからだがついていけませんわ。服も何をチョイスしたらいいのかわからない。桜もものすごい駆け足で若葉の青に変わろうとしています。そんなに急いでどこへ行くの? 桜はあまり好きではないのでさっさと散ってくれてもいいんですけどね。なんで日本人ってこんなに桜が好きなんだろう?? マジ謎。

 そう、桜という花があまり好きではありません。なぜか? あまりに残酷だから。節目の時期の花だから。心朗らかな人にとっては美しい花なのかもしれないけれど、そうでない人にとってはそうではない。痛い。そういう記憶をいまでも持っているのです。この感覚はそう簡単にはなくならないと思うな。

 ことしの春は自分なりに変化があったのでそう以前みたいにきつくはない。「ああ、咲いてるんだな」と思ってそれで終わり。桜は夜の方がずっとやさしくていいと思うけど、ことしはそういうこともあまり意識しなかった。けど今年の春も特に進捗なく過ごした人たちにとっては、この急激な花の咲きようはかなりしんどいんじゃないかと思う。空は晴れてるし、気温は高いし。快晴の中の桜の狂い咲き。桜の花って変われない自らを残酷に照らし出す凶器みたいなものだ。こんな花を愛でて楽しむなんて正直あまり気が知れない。花見ってそんなに楽しいのかなあ?

 話変わって。
 横浜市は4月からゴミの分別がうるさくなりました。特にプラスチックごみ。しょうがないのでうちでもプラ用の箱を作ってごみの分別をはじめたのですが、多いんだねぇ、プラごみ。家から出るごみのほとんどがプラスチックごみだということが判明しました。いままでのごみ箱の方はちっとも嵩が埋まらない。少々の生ごみと紙ごみと、あとは猫のウンコとおしっこ団子ぐらいのもの。ひぇ、こんなに少なかったんだぁ。紙ごみも厚紙は別に分別をしているのでたいした量が出ません。これじゃ燃えないじゃんねぇ。最近はなぜかごみの分別が楽しくなって、いらんところまで細かく分けて遊んでいます。キャンディの包み紙はきっちりプラごみの方に選り分けたりしてね。凝り性なんだやっぱ。で、よく見るとたいがいのものに「プラ」とか「リサイクル」とか書いてあるのね。知らなかったよ全然。世の中は進んでいるのだなあいつのまにか。

 今日は花見の人が多かったです。土曜日だったからかな。仕事場(仕事場? 俺が? なんてこった!)のそばが桜の名所だったらしくて、昼も夜も人が通る通る。ふだんからこれだけ賑やかならいいんだけど、見慣れないもんでつい眺めてしまいました。何を?人を。ごみもたくさん出たらしいんだよね。山盛りてんこ盛りで。このごみの分別はいったいどうするんだろう? 余計なところまで気になります。分別なんてきっとしないんだろうけどね。

 でもその桜もすでに早くも散りモード。ことしの桜は4日と持たなかったようです。天気が良くっていささか眩しかったと思うけれど、さっさと散ってくれたから案外良かったのかもしれないね。結果論ですが。

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